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⑩
東園の感覚はやはり精度が高いんだなと思い知ったのは翌日の昼過ぎだった。
三浦と昼は簡単でいいね、と話したあと陽向が袋ラーメンにしようと提案した。
もちろん提案した陽向がハム、卵入りの醤油ラーメンを作って出した。
小さい頃、アニメの中で登場人物がラーメンを作って食べるのを見て、実家にいるときからよく作っていたのだ。これだけは自信があるのだ。三浦からも誉められてしまった。
馨さんにも作ってあげてくださいと言われたけれど、プロの料理を食べ慣れている東園の口には合わないと思う。曖昧に流したが作る事はきっとないだろう。
三浦は午後、凛子の荷物を届けるため東園の実家へ赴く予定だ。
午前中に日用品、衣料品や大好きな絵本、凛子の生活に必要なものを準備しているとスーツケース二つ分になった。
結局車じゃないと運べなかったので、免許のない陽向では持って行けなかったなと思う。
車で出かける三浦を見送って陽向は引き受けた昼食の片付けに取りかかった。
二人分の食器を洗いながら、テレビに顔を向けると、リビングに入る午後の陽光が目に入る。
いい天気だ。部屋を照らす光を見ていると、外に行きたくなってきた。
買い物、散歩でもいいな。
あっという間に洗い終わり、寒いかなと思いながら手を拭いているとふと、東園に明日には発情期が来そうと言われたことを思い出した。
ソファに座って自分の匂いを嗅いでみる。やはり自分では分からない。
ただ万が一でも散歩に出た途中で発情してしまったら大惨事だ。周囲の人間みんなに迷惑を掛けてしまう。
本当に今日発情するとは思えないが、大事を取っておこう。
そういえば庭の芝に小さな雑草が混じってきていた。まだまだ寒いがもう3月だ。暇なうちに草取りでもしておこう。
陽向は外出を止め、リビングの窓を開きすぐ脇に揃えて置いてあるサンダルを履いた。
背中にあたる陽が暖かいが、空気はまだ冷たく風が当たると寒い。
芝の隙間から覗いている小さい草はなかなかに抜きづらく、根まで引き抜くのに一苦労だ。
「難しいんだな」
ひとりごちつつ最初に着手した玄関付近を抜ききった。数ヵ所は葉の部分だけ千切れてしまったので、そのうちにまた伸びてくるのかもしれない。
よし次の場所へ移動だ、と立ち上がると、その振動が頭に響き陽向はまた座り込んだ。
頭を誰かに揺らされているんじゃないかと思うほどくらくらする。
顔を上げることも出来ず陽向は座り込んだまま二、三度大きく呼吸をした。
しばらくそのまま動かずにいると波が引くようにすうっと眩暈が引いて陽向はゆっくり立ち上がった。
なんだろう。
このあともう少し草取りをして、抜き取った草を片付けたら家に入ろうと思っていたがまた屈んで具合が悪くなってはいけない。
陽向はゆっくりと首を回し眩暈の類いが残っていないか確かめたあと、草のヤマを置いたまま家に引き返した。
いったんソファに座ろうとした陽向だが、ブラウンのワイドパンツがところどころ土で汚れていたのでおそるおそる二階へ移動し自室で着替えを準備した。
今は普通に歩いてみても眩暈も気持ちの悪さもない。
調子が戻ったんだ、陽向はほっとしながらバスルームへ向かった。先ほどの眩暈で嫌な汗を掻いたのでシャワーを浴び、リビングに戻るとちょうど帰ってきた三浦が部屋へ入ってきたところだった。
「おかえりなさい」
「陽向さん、お風呂でしたか?」
「すみません、先にシャワー浴びました。庭で草取りしていたらちょっと土で汚れちゃって。あ、お風呂洗っておきました」
「あらあら、ありがとうございます」
三浦があ、そうそう、といつも持ち歩いているバッグから小さいピンクの折り紙を出した。
「あ、それ、りんちゃんが?」
三浦が差し出した折り紙は桜の形をしていた。角が潰れているし花びらの大きさがなんとなく違うけれど、一生懸命作ってくれたのが分かる。裏の折りあとが二重になっている、何回か折り直しているからだと思う。
「ええ、絢子様が教えて差し上げたって」
「そうなんですか。仲良く出来てるんですね、本当に良かった」
三浦が大きく頷く。
「凛子ちゃんがひーたんに会いたがっていましたよ」
「本当ですかっ、なんだか嬉しい」
可愛らしい桜を見ながら植物のほうの桜もそろそろほころぶ時期になる。その頃凛子は入園だなとまぶしく思う。
「夕飯は生姜焼きの予定です」
「はい」
手伝う前に早咲きの桜を部屋に飾ろう。三浦に断って陽向は軽い足取りで二階へ向かった。
自室の扉を開こうとしてふと、せっかくだから東園にも見せたいなと思う。
きっと凛子のプレゼントに目を細めるだろう。へえ、と微笑む顔が目に浮かぶ。東園の優しい表情は陽向をほっこりさせる。ああいう顔は好きだなと思う。いや、そういう好きじゃなくて、好ましいという意味で。
自室から、と言っても最近はほぼ着替え置き場と化しているが、東園の部屋へ行き先を変え、陽向はそちらの部屋に入った。
入った瞬間、部屋に漂う匂いに眩暈がする。陽向は目を閉じてその場に座りこんだ。
これは、やばい。
三度目ともなるともう分かる、発情期が来てしまった。
深呼吸するたび東園の匂いが身体に入ってきて辛い。皮膚が服に触れるのも刺激になって息が上がる。どんどん身体が熱くなってくる。
東園の予想が的中した。
発情期は陽向にとってとても怖いものだ、前回も前々回も、とても辛かった。今回だって、東園が相手をしてくれると言うけれど仕事だってあるしどこまで付き合ってくれるか分からない。自分の身体が普通じゃなくなるのは不安でしかたなく、お願いだから来ないで欲しいと心底思っていた。
発情期だからさっきのように待っていても回復することはないだろう。
陽向は脂汗を額に浮かべながら凛子からのプレゼントを何一つ乗っていない東園のデスクの真ん中に置いた。
階下では三浦が夕食の準備を始めているだろうけれど、陽向は手伝いに行けそうにない。
だってもう、身体がαの匂いを欲している。
心の中で駄目だと陽向の一部が叫ぶけれど、もっと欲しくて堪らないのだ。
こないだもやってしまったよなと思いながらも欲に抗えず、ウォークインクローゼットの中から東園の匂いが強いものを引き出していく。
両手に抱えられない程の衣類をぽろぽろ落としながらベッドへ運ぶと陽向は寝転がって洋服の山に顔を突っ込んだ。
もう溶けてしまいそう。急激にせり上がってくる性欲に身体が震える。
震える手でスウェットのポケットからスマホを取り出し東園のアドレスを呼び出した。
苦しい、今すぐ帰ってきて欲しい。でも、こんなことで電話するって非常識なのかも。
通話ボタンを押そうとして陽向は指を止めた。夜には帰ってくる、数時間の我慢だ。
陽向はスマホをベッドの端に置き東園の枕と下着に顔を埋めた。
「は、……ううぅ、う」
我慢だと思うのに苦しくて漏れ出る声が抑えられない。身体が熱くて涙が出てくる。
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