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第37話 まだ終わりじゃない
ぐ、と拳を握りしめる。
積み重ねた四年の月日は、決してうわべでは乗り切れなかった。
本気で恋をして、愛になったのだと思っている。
それなのに、目の前に突きつけられようとしている残酷な現実。
(最後の想い出を作れってことか)
青は夕食後、父の寝室を訪ねた。
トントン、とノックをすれば静かな声が入室を促す。
「お父様……旅行の件ですが」
「二人への卒業と大学合格祝いだよ。
それと、四年間も付き合ってきたご褒美」
「最初のは、まだ分かるとして次のは何ですか」
ふざけているわけではないようだ。
父は、ノンカフェインのお茶を湯飲みで飲んでいる。
「正直そこまで続くなんて思わなかった」
「ふうん。異性とにしろ同性にしろ結婚じゃなければ
恋愛には終わりが来るからって? 結婚という形を
求めず恋愛関係を維持してる奴らは大勢いる」
丁寧語をかなぐり捨てて父に向き合う。
ずっと思ってきたことだった。
「……本気で夢中で愛しているなら、
醒めた物言いはするもんじゃない」
「何が言いたいんだ。俺は遊びで恋愛なんてしない」
「当たり前だ。青は純粋に人を愛すことができる人間だって
私は知っているからね」
勉強には、自信があり結果も出したが、
どうしても卑屈な部分があった。
蒼宙にも指摘されたことだ。
「自分でも分かってるかな。ネガティブでひねくれもの」
確かに世の中のすべてを完全には信じていない。
「もしかして、いずれはさよならするんだから
学生時代の遊びの恋として応援したとでも?」
「そこまで言ってないだろ……」
瞼がずきり、と痛い。
心をえぐられた気がした。
「お父さんが悪かった……。
青と蒼宙くんはどこまでも綺麗な恋をしてる。
誇らしく思う。
人生の宝物を手にできてるんだから」
(くそ……泣きたくなんてないのに)
唇を噛んだ。
「細かく考えすぎ。もっと楽に生きないと疲れちゃうよ」
ハンカチを渡されて頬を拭う。
「……青はどこかかわいいままだね。大人になっても
そのままな気がする。患者思いのいい医者になりそうだ」
(親や姉から見て、俺はかわいいのか……)
「優しすぎるんだよ。だから考えすぎる。
今を手放しで楽しんじゃおう。
この先、終わりが来るのだとしても蒼宙くんとは
縁が切れないと思うよ。偉大なる父からの予言」
「……え」
父が椅子から立ち上がる。
いきなり抱きしめられた。
成長してから父と抱擁したことは、初めてだった。
「青は愛を知っているから、何が起きても立ち上がれる。
一回どこかで休んだっていいんだから」
「分かっています……愛してくれた皆のおかげですね」
ぽん、ぽんと背中を叩かれる。
「ありがとうございます。本当に」
「希望も入っているけどね。蒼宙くんとは家族ぐるみの付き合いしてきたし
会えなくなったらとっても寂しいんだろうな」
「……父さん」
「で、旅行の日程は決めたの。旅行はプレゼントするから予約は自分ですればいいよ」
「……二泊三日かなと。これから大学の入学準備もありますし」
父が咳払いし、ふふっと笑った。
「実はもう、初めて卒業してるでしょ」
「っ……デリカシーのかけらもないな」
しんみりしていた雰囲気は台無しにされた。
父の身体を突き放し、背中を向ける。
「……嘘はつけないタイプだ」
小さな声は運良く青には届かなかった。
(……俺じゃなかったらグレてるぞ。最悪すぎる)
めっぽう育ちがいい割に口の悪い御曹司は、自覚がなかった。
部屋に戻り、電話をかける。
蒼宙は、1コールで電話に出た。
「蒼宙?」
「やっとかかってきた」
さっき別れたばかりなのに蒼宙の声が恋しくてたまらず
吐息が漏れてしまった。
「い、いきなり誘惑しないでよ。まったく」
「勘違いするな……」
「お父さんは本当のことを言ってくれた?
別れる算段をつけさせる手切れ金みたいなものじゃないよね」
直球でこられ、うめく。
青の懸念とほぼ同じだったが、相手に言われるときつい。
「そこまで気にする必要はないみたいだ。
俺も似たようなこと考えてたんだけど」
「……ははは」
乾いた笑いが聞こえている。
「醒めた物言いはするもんじゃないって言われた。
本気で夢中で愛しているなら」
「青は現実的だからなあ。僕も夢見てるわけじゃないけど」
「細かく考えすぎだから楽に生きろ……
今を手放しで楽しめ」
「ああ……さすが青のお父様。包容力が違う」
「……そうだな。ただの卒業&入学祝いだから、
素晴らしく太っ腹ってことで感謝しよう」
ちょっとシビアな話もしたが、今言うことでもないと思った。
旅行で最後だとはさらさら考えていないし、
その時が来ることを今気にする必要もない。
「深い意味がなかったんだとしたら、
二人の初めてを演出してくれるつもりなのかな。
ちょっと罪悪感」
「蒼宙、俺らがセ……したのなんて、ばれてる。手遅れだ」
「全部言えないなら無理して言わなくて……って、え」
「開き直れ。一ヶ月くらい誤差だ」
「うん。でもさあ僕だって青が、初めてとは
思わなくて聞いちゃったんだよね。中学の時のは
いきすぎた発言だったとしても……」
「何が言いたい」
「初めてにしては上手すぎなんだもん。
テクを身につけてるから気になったんだよ」
「……あるわけねえだろ。な、何言ってんだ」
テクを身につけてると言われ、耳まで赤くなる。
「こっそり、大人の映像でも見ちゃったりとか……」
「紙も映像も、触れてません。というかそれでテクは磨けないだろ」
「……僕も興味なし。天然ドエロで認識しときます」
おかしそうに言われる。
「強いて言えば触りたい場所を触ってるし、
お前が気持ちよくなるのを想像して、愛撫してる」
「やっぱりえっちくさい。経験した途端なんなの……この人」
(挑発したら、鳴かせてやるだけだからな)
「……そんなに先にもできないし、来週末はどうだ。
二泊三日で予約する」
「それでOKだよ。たのしみー!」
中学の頃のような無邪気な声。
「煩わしいことは考えずに楽しもう。
俺にとってはお前と過ごせるのが何より贅沢だと思うから」
「ぐはっ……旅行に行く前から胸がいっぱい。苦しい」
「正直に言っただけだ」
本心だった。
「もう、好きだなあ。やんなっちゃうくらい全部好き」
「来週まで、お預けだからそのつもりでな。
やりたくなっても我慢しろよ」
「……おやすみ!」
慌てたように電話を切られた。
くっ。喉から笑い声がもれる。
冗談にしても悪ノリが過ぎたかもしれない。
「好きだよ。蒼宙、おやすみ」
二泊三日の卒業旅行まであと少し。
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