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第50話 ロミジュリで終わらない

青は蒼宙を応接間に案内した。 重要な付き合いのあるゲストを呼ぶ公式な部屋だ。 横向きに設置された黒いレザーのソファーの片側に、青の父・藤城隆が座っていた。 腕組みもせず非喫煙者だからタバコは吸っていない。 スーツ姿を見て青との血を感じた。 上流階級の人間だと感じさせる圧倒的なオーラを放ちながらも相手を萎縮させない。 「お……藤城先生」 「蒼宙くん、おじ様でいいんだよ。ここにいる私は病院長じゃないし青の父なんだ」 「……おじ様、今日はお話があるんですよね」 ふたつ並んだ1人がけのソファーの奥側に青、その隣に蒼宙だ。 蒼宙と父が対面にならないよう配慮していた。 ノックの後静かに入ってきたのは、家政婦の操子。 ガラステーブルに三人分の紅茶セットを置いて部屋を辞した。 「前に会ってから二年と少しかな。青もだけどすっかり大人になって、自分の老いを感じるよ」 茶化して相手の心をつかむ。 「おじ様は若々しいですよ。初めてお会いした時からあんまり変わってないですから」 「褒め上手だねぇ」 「蒼宙、操子さんの淹れてくれたお茶は美味しいぞ。飲め」 青はお茶をすすめ、自らも口に運ぶ。 蒼宙はティーカップを傾ける。 「僕と青は恋人としての関係は終わりました。 二年間も彼と一緒に暮らせて夢のような日々で……」 声をつまらせる蒼宙。 涙を拭く資格はなかった。見守るだけしかできない。 「蒼宙くん……まだ日が浅いのに呼びつける真似をしてすまないね。 君とちゃんと話したかったんだ」 目元を和らげる様には年月を生きた人間にしかない哀愁があった。 「いえ……むしろ呼んでいただいて感謝しかないです。僕なんかが」 「なんかじゃないだろ。青と8年も一緒にいてくれたんだよ。 私は最上級の気持ちでお礼を言いたい」 「ありがとう」 青の父は、テーブルに突っ伏す勢いで頭を下げた。 蒼宙は動揺し慌てた。 「お、おじ様……そ、そんな。やめてください。 僕はこれ以上にないくらい幸せだったんですよ」 青は指先で涙を拭う。蒼宙は、自分の父の横で笑いかけていた。 その手を握っている。 (やっぱりお前は強いな……) 「蒼宙くん……なんて優しくていい子なんだ。おじさんも泣いちゃうじゃないか」 今、気づいた。 この親子、どうしようもない。 「大好きなんです。藤城家の皆さんも操子さんも……だからお別れだと思うと苦しくて」 「……縁は切れないから! 青とはつかず離れずかけがえのない 親友として生きていくんでしょ」 「おじ様、今はそうでも先は分からないですよ。 彼には新しいパートナーと幸せになってほしい。僕は隣にいる人間じゃないから」 「友情と恋愛感情は別だよ。友達と縁を切れなんて、言うのはよくないことだ」 「ああ……それなら同性でよかったかな」 蒼宙は、今度こそ泣いた。 ずっと抱えてきたセンシティブな悩みだった。 「君は私の大切なもう一人の息子だよ。青と同じく蒼宙くんには幸せになってほしい」 蒼宙は、初めて青の父からあたたかな抱擁を受けた。 「進む道を切り開いて二人とも立派だよ」 「お父様、あなたが味方でいてくれたから、どれだけ心強かったか分かりません。 そこは感謝するとして」 青は言葉を切った。 「大人げなく、言っても仕方がないことを言えば…… この家じゃなかったら彼の手を離さない選択もあったのかもしれませんね」 皮肉な笑みを浮かべる。 父は悲しい笑顔を浮かべていた。 「責任感が強いから、何もかも捨てて駆け落ちは考えられなかった?」 やり込められるはずもなかった。 蒼宙と顔を見合せる。 「小さくてあたたかな暮らしは、数え切れないくらい美しいものを見せてくれたんです。 せめて跡取りじゃなかったらねぇ」 「……不甲斐ない父で面目ない。下に子供がいたら」 「おじ様、青とお付き合いしたことなーんにも後悔してませんからね! 現時点でも他に誰一人興味湧かないから……いい男といすぎたからかなって」 「はぁ。青もだけどさ、蒼宙くんも大丈夫だと思うなあ。 だから青も離れることを選んだんだ」 「どういうことですか?」 「青以外の同性は無理なんでしょ。 青も君以外は、駄目なんだろうし……考えてみて。その時がきたら分かるはずだから」 戸惑いに揺れる瞳。 青はその瞳を見られなくて目を逸らした。 「センシティブな話してもいい? 君、別に受け身なだけじゃないんでしょ。活発だし……多分」 藤城家お得意の下世話さ。 この先を考えると必要な話だ。 「……青にも言われましたね。想像が難しいんですが……」 「さすが長くつき合ってたから分かりあってるね。 とりあえず次のパーティー来て。 10月のハロウィンにするから。青の親族も招待する予定」 「お姉様以外の親族も久しぶりに?」 「青の23歳のバースデーも兼ねたお祝い。時間の都合上、別々にはできないから」 面倒な匂いがした。 蒼宙は、青の方を見て考えあぐねているようだ。 「考えさせてもらっていいですか……」 「もちろんだよ。まだ先だからゆっくり考えて」 蒼宙は、頭を撫でられ手を握られても笑みを浮かべた。 優しくて、尊い時間だった。 青は蒼宙をマンションまで送っていった。 離れたがたく思うのは、未練なのか。寂しいと感じる心は本物だったけれど。 マンションの駐車場で、車をとめる。 蒼宙が後部座席のドアに手をかける……。 「行くな……!」 運転席から降りると目の前に蒼宙が立っていた。 「じゃあ僕と一緒に来る? それともどこかに行く?」 消え入りそうな声に唇を噛む。 「僕達ってさ、まるでロミジュリだよね。 ロミオ&(アンド)ジュリエット。まぁ、死なないし後追いもないわけだけど」 「……禁断の恋人たちね」 悲劇に酔うだなんて馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。 「君はずるい! もう終わってるのに、 この家じゃなかったら手を離さなかったとか、跡取りじゃなかったらって……」 激情に駆られる姿も嫌いじゃなかった。 「……俺にとってお前は光だった」 「あおには魂をかけて愛す相手が、ふたりいるんだよ。 だって、僕とは紛れもなく運命の恋だったでしょ」  拳を握る。 「蒼宙」 別の意味では生涯、愛し続けるだろう。 特別枠だから。 後部座席から降りてきた蒼宙を後ろから抱きしめる。 「お前は運命の相手で間違いなかったんだ。俺は……」 「でしょ」  ちいさな手が、青の骨張った手を握る。 身体を離す。月の光に照らされた彼の顔は、 幻みたいに綺麗だった。 「ハロウィンパーティー、いつもならおふざけが不愉快になるところだが、 久しぶりに開くのは意味があるんだろうな」 「……身内の集まりに行ってもいいのかな」 「父が招待したんだから、いいんだ。俺も蒼宙とダンスしたりしたいしな」 「大人だし、親とか関係なく僕一人の意見で決める。 おじ様の思惑が分からなくて不安だけど」 「……俺も合コンとか行ってみようかな。 多分、失敗するだろうが、息抜きくらいにはなるだろ」 「青が合コン行くならってことでハロウィンパーティー参加しよっかな」 「……わかった。4ヶ月後が楽しみだ」 車を降りる影を見送って、ギアを入れた。

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