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第52話 キッスインザダーク
和室に行くと父が待っていた。立派な仏壇の前に、姿勢ただしく座っている。
青もだが足を組まないのは、仏様の前だからではない。
膝を揃えて座るのが礼儀だと教えられていた。
(他がどうだろうと知らない)
「青、おいで」
父の隣に膝をついて座る。
「お墓の前では、たくさん話してきたかい?」
「……はい」
父が横を向く。どきりとした。
歳をとっていないようで、やはり年齢を重ねている。
今年、還暦になり風格も増した。
「翠は優秀な内科医と結婚し家庭を築いた。
青はもうすぐ医師としての道を歩き始める。
私はもう思い残すこと……いや、まだそっちにはいかないよ!」
(何言ってんだ。この親父、とち狂ったか。
思い残すとか、冗談でも言うなよ。まだそんな歳じゃないし縁起でもねぇな)
青は困惑を顔に出さなかったが、ため息はもらしそうになった。
心を落ち着けるためにも手を合わせる。線香の匂いが鼻をくすぐった。
「冗談だからね。青、心配だしさ……病院経営とかその他諸々(もろもろ)、
まだ私がいなくちゃどうにもならないから。
陽くんは本当によくやってくれてるよ。将来的には青のそばで力になってくれると思うし」
「……心配かけてすみません」
「心配させてよ。まだ頼ってほしいんだって」
クスッと笑う父は包容力が半端なかった。
笑ってみたら頷かれる。
「紫さん、青はあなたにそっくりだよ。
容姿もだけど、誇り高さとか一度決めたらブレない頑固さ。
でも青には強引さが足りないよね。もっとグイグイいけって言ってやってよ。
結婚できなきゃ家なんて捨ててやるってあなたが、家族に言ったみたいに」
(そんな情熱的な恋愛をしたのか。
藤城家と縁を結ぶのは敷居が高いと反対されたと聞いた事もる)
「青は、どうせ臆病風に吹かれて恋ができないって思ってるよね。
紫さんの前でも言ってなかった?」
仏壇の前なのににぎやかすぎた。
青は内心ぎくりとした。
「寂しがり屋なのに、ひとりじゃない時間を知ったから余計怖くなったんだろうな。
なーんにも心配いらないってあなたも言ってあげてよ」
「……そこまでは思ってないし、今は医者になることだけ考えたいだけです」
引きずっていることは、否定できない。
「青、君には運命の人が二人いるんだよ。同性と異性のね。それって奇跡だよ」
「……非科学的なことを真顔で言われても」
「……合コンでも行ってみれば何か分かるかもよ。それとも夜のお店?」
「どこの親が子供にそんな店勧めるんだよ。自分の言ったこと分かってんのか」
脱力した。
夜のお店は、溜まった欲を解消する店だという認識だ。別に否定もしていないし
そういう世界もあるのだと理解はするが、青は行きたいと思ったことはない。
「医学部の仲間内で合コンに誘われたら顔出してみよう」
「……そういうの受けつけないんだが」
親しいほどではないが適当に話す間柄の知り合いはいる。
普段から作らず愛想のいい元恋人がうらやましかったものだ。
「どんなきっかけが縁に繋がるかはわかんないよ」
「……ああ、うん。わかった」
気のない返事をした。
蒼宙も進めたが、何もなければそれでいいし痛手を負うこともないか。
青は考えを変えることにした。
一応、連絡先を知っている同級生に話を聞いてみることにする。
「男性陣と雰囲気が悪くならないよう上手くやるように」
よく分からないが目立つなということだ。
父の助言は間違いじゃないと言い聞かせた。
社交的な場は苦手ではない。
出会いを求めた場というのが、理解の範疇を超えるだけだ。
(婚活パーティーというのもあるが、合同コンパは……。
だが勧めてくれたのはあいつだから)
医学部の仲間に連絡を取ってみたらちょうど明日、合コンがあるらしかった。
主催は別の大学で医学部の連中もちらほら参加するとか。
今までは断られると分かっていたから、誘わなかったとまで言われた。
だからこそ青の変貌に驚愕し歓喜された。
(俺が行けば盛り上がる……か。そういう役割ねえ)
翌日の夜アルコールは飲むつもりはないので車で行くことにして
合コン会場に向かった。ざわめく店内には20人ほどの男女がいた。
白けた気分になったが人間観察に徹した。
陰で噂はされていたが誰にも声をかけられることもなく
終了時間を迎えた。
それから一ヶ月、誕生日を迎える親友に会いに行くことにした。
バーで待ち合わせて飲む約束。
呼び出しには応じるだろうとずる賢く期待した。
花束を手に持ち、バーの店内に入る。
「久しぶりだね。三ヶ月ぶりだっけ」
変わらない笑顔で答える篠塚蒼宙は、世界で一番愛した存在だった。
「……今日、誕生日だろ。親友にプレゼントをやろうと思って」
「覚えててくれたんだ」
隣のスツールに座る。
横顔に映る陰影は、あの頃より深くなった。
用意していた花束を差し出すと目を見張る。
「……嬉しいな。ありがとう」
(花はいずれ枯れてしまうから、選んだ)
渡された花束を膝に抱える姿に胸が苦しくなる。
花びらに鼻を押しつけて匂いを嗅いでいた。
「先月、合コンに行ってみた。お前と父の両方に
勧められたし興味本位で」
「君のオーラに圧倒されて近づいてくる人いなかったんじゃない。
陰で黄色い声は上げられただろうけどね」
「最後まで居座ったけどああいう場は合わないのが、よく分かった。
時間が経過すると気が合った連中が少しずつ消えていってはいた」
「どういう雰囲気だったかはわかった感じだね。
でも一回じゃまだ決めつけちゃいけないかな」
オレンジジュースを頼んだ蒼宙は、チラと横目で窺った。
「お前はどうなんだ。新たな出会いを探してみたのか?」
「……うーん。駄目だった。男の人達がたくさん集まる飲み会に行ってはみたよ。
声をかけられたしあからさまな誘いもされた。ちゃんと交際も申し込まれた」
衝撃を受けていた。
やはり蒼宙は相当モテる。
未練なんてあさましい。
嫉妬等とんでもない。
苦しい胸中は悟られないように気をつけなければいけなかった。
「青は僕よりはるかにモテまくるはず。僕とは違う立場で」
「……やめてくれ。俺はお前以外の男に一切興味がない。
触れられたくもない……」
「僕だけを特別として見てくれた。
元々否定してはなかった君だけどさ」
蒼宙は青に独占欲を抱いているのかもしれない。
青も身勝手な嫉妬を抱いてしまったから、同罪だ。
「……急がなくていいのかな。
親友としてたまに連絡を取りつつ
ここまで会わなかったのは危険だって思ったからだよね」
何かのシグナルが胸に響く。
寂しかったら……。
「……遊びだなんて思われたくもないが」
「慰め合いだよ。欲だけじゃないからよこしまじゃない」
彼の手に手を重ねた。
「大人になった今だから許される……か」
苦し紛れに呟く。
キッスインザダークなんて名前のカクテルを
頼んでしまったのも引き金になってしまった。
「……今日は青と呼ぶよ」
胸の内が、熱く焼かれる。
飲み干したグラスを残し、バーを出た。
強く腕を引いて、彼を車に乗せた。
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