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第57話 邪悪になりきれなかった王子と変貌を遂げた天使
恋愛がらみの話は父にしか言えないと思っていた。
他の身内に詳細までは語れない。
「本当に無事でいてくれてよかった。今日もよく事故らずに帰ってきてくれたよ」
「……そこまで弱くはない。いや、弱い男でしたね」
ぶっ壊れた青は、料理をぱくぱく食べる合間に返事をする。
「……大恋愛ののちの失恋は後を引く。しょうがない」
「あいつに全部背負わせるように仕向けた。
受け入れてくれるって、信じて」
「彼は青を救ってくれた人だと思ってるよ。
中学の頃、二人が交際を始めて
青が喜怒哀楽の感情を表に出すのが上手くなった。
それって全部蒼宙くんのおかげだよね。
癒やされてるってあの頃も思ったけど……
恩人だよ。だから無碍に扱うわけにはいかない」
「これからも、友人として付き合ってもいいんですよね?」
「当然だよ。うちにも連れておいで」
父の言葉に胸をなで下ろした所で、プライバシーの侵害をされた。
淡々としているので、なんとも思わないが。
「最後の夜の彼は、どうだったの?」
(直接的には言わない分、デリカシーはある。
そもそも指摘される筋合いはない。
権利を使っただけだ)
「……素敵でした。
離したくなかった」
「一人で泊まったんじゃなくてよかった。
もったいないしね。相手が彼でほっとした。
それこそナンパした誰かとじゃなくてね」
「おい……」
人が真剣な話をしているのに空気を読んでほしい。
父は咳払いして続けた。
「蒼宙くんとは、これから大切な友達として
よりよい関係を築いていけばいい。
ぶしつけなことは言わないよ……別に大人なんだし」
「精算したって言ってるだろ」
ウィスキーを飲み終え水を口に運ぶ。
「からかって悪かったよ」
父は、食事を終えて青の話を聞いてくれるようだった。
「結局、本当に別れたのってこの間のことなの?
3月に青が独り暮らしを始めてから会ってなかった?」
目をそらす。
「息子のプライバシーにそこまで干渉する親はどうかと思うが。
ここだけの話だからな。全部教えといてやる。
3月にあいつの部屋を出て独り暮しを始めて、
何度か部屋に誘ったことはあるが、部屋に来ることは
かたくなに断られた。蒼宙の部屋に泊まったことは一度あったかな。
10月は、ラブホ、12月は藤城の家が贔屓にしているホテルに泊まったが何か。
ケリをつけるまでは2、3ヶ月に一度会うことが多かったかな。9月と10月は続けて会ったが。
会ったら、泊まるだけしかしてない」
「……そ、そ、そうなんだ。
でも青が遊び人じゃなくてよかった。
どうであれ、一途で浮気はしてないし二股はなかっただろ」
「……そんな面倒くさいことはしない」
(それができないのが藤城の血筋の人間(ヤツ)だろ)
「うんうん。軽いことはできないもんね」
「藤城家の人間は、一途に愛し抜くんでしょうね。
それなら俺はこの家の血の影響を受けていると言えるでしょう。
何故か、俺だけに遺伝した青い目の色、薄茶(ライトブラウン)の髪色……
全部、いらないものでもなかった。
彼は全部好きだと言ってくれて
褒めてくれたから」
胸が熱くなる。目頭もじんわりした。
今日まで涙は堪えてきたつもりだったが、
アルコールを飲んだことでちょっとまずいことになったようだ。
見られたくなくてテーブルに顔を伏せた。
「今、ごんって音がしたけど大丈夫?
頭を打ったりしてない?」
過剰に心配する父を煙たく思ったりはしない。
アルコールに逃げる息子に付き合ってくれたのだ。
「……これくらい痛いわけがあるか。
痛いのはあいつの方だ」
「……今日はゆっくり寝た方がいいよ。
あ、お風呂は入ってきたの?」
「入ってきました。また朝に入ります……」
「青、風邪ひくよ?」
「大丈夫です……部屋に戻りますから」
青はテーブルの上に頭を伏せて、目を閉じた。
随分前に蒼宙が笑顔で消えていく夢を見たことがあった。
あの時は、泣かなかったが胸が苦しかった。
予知夢になったのは、生まれのせいでもあるのか。
今更、性別がどうこう言っても仕方がない。
それに……残してほしいと健気で
最高の殺し文句をくれた。
あんなことを言われたら、この世界の理(ことわり)を変える術(すべ)など
持たない自分が嫌になってくる。
昨夜はウィスキーを飲み、醜態をさらして父親に
一部始終をぶちまけてしまった。
テーブルで寝てしまったが、その後もう一杯
水を飲み部屋に戻ってきた。
(俺の子供か……考えたことはなかった。
蒼宙ではない運命の相手は一人……
そうなのかもしれない。あいつが言うなら。
もちろん代わりではないけれど)
親友になったなら、触れることはできない。
抱き殺してしまえばよかっただなんて、どうしようもない
ことを考えた青は、ぶるぶるとかぶりを振るう。
このベッドに抱いた記憶を残さないようにしたのは、
実家に帰りたくなくなるからだった。
ベッドを取り替えれば問題はないのだろうけど……。
客室や浴室、地下室には蒼宙との想い出が残っている。
その辺は別にどうにでもなる。
蒼宙は青より立ち直りは早いのだと、身勝手にも考えていた。
新しい相手を見つけて憎めない計算高さで、
虜にしてやればいい。
身体に教えたことも全部覚えているはずだ。
ベッドの中、自嘲する。
最後に過ごした夜と朝の記憶が離れず、
一度だけ空想で蒼宙にキスをし、肌を交わした。
彼との日々は宝物で奇跡だった。
(今度バーでアディオス・マザー・ファ〇〇ーとキールでも頼むか)
さよなら……出会えてよかった。
愛した記憶は消すつもりはない。
一年三ヶ月後。
医学部を卒業し医師国家資格もクリアした青は、
いよいよ医師としてスタートを切ろうとしていた。
あの恋愛が終わってから、色々あったが
遊びで付き合えない真面目さは変わらず
今もパートナーはいない。
卒業旅行は羽を伸ばして楽しめたけれど。
旅行は二人で行く方が楽しいような気もした。
篠塚蒼宙とは、あれから一度も会っていない。
電話やメッセージで何度かやりとりはしたが、
頻繁ではなく、顔を合わせることは一度もなかった。
青とは行動範囲も似ているのに偶然ばったりもない。
やはり会おうと思わなければ会えないということなのだ。
そう思っていた矢先。
青が、以前訪れたバーに行ってみると一人で椅子に座る蒼宙を見つけた。
けだるそうな雰囲気を漂わせた彼は、前と同じのようでどこか違う。
青が声をかけずにためらっていると蒼宙の方から声をかけてきた。
「君……T大医学部を首席で卒業した超絶美男子(イケメン)の御曹司じゃない!
確か藤城青くんだっけ。
噂通りやばいくらいの色男だね。
性別問わずもてそう。あはは」
知らぬ風を装い声をかけてきた。
「てめぇ、何だその態度は!
大親友じゃなかったのかよ。
他人のフリとはいい度胸だな。かっこかわいい篠塚蒼宙くん?」
柔らかい髪をかきあげ元恋人は不敵に笑う。
「冗談だから怒んないでよ。
怒っても更に綺麗さが増すだけだよ」
青は蒼宙の隣に座り、ブルームーンを頼む。
ちょっとした嫌味を込めたが、さすがにあちらも気づかないはずもなかった。
「完全なる愛、叶わぬ恋……後者は僕には関係ないな」
「……完全なる愛を手に入れる予定だ」
そう遠くない未来でつかみ取る。
「悲劇に酔っているわけじゃないんだね」
「親友にもなれないならいっそ縁を切るか」
しれっと言うと相手は黙った。
「邪悪な王子、それができるならさっさとしてるはずだよね。
こっちも今更、君とどうにかなろうだなんて思わないんだけど?」
「……俺もだ。奇遇だな」
一年以上どうしていたかなんて詳しくは知らなかった。
短いやりとりを何度かしただけで深い話もしていない。
「身ぎれいにして新しい恋愛をしてるよ。
勉強や仕事だけに生きてもつまんないしね」
意外な言葉を聞いた青はうろたえた。
嘘やはったりで騙す蒼宙ではない。それだけは言える。
隠し事はしているかもしれないが。
「同性か?」
「教えてあげてもいいよ。でも、どうしようかな」
「腹黒になってないか」
「君のせいだろ。何年、僕と親しい仲になってたんだ」
口調をがらりと変えた彼にあの頃の面影はなかった。
かわいい色気なんてものじゃない。
とんでもなく妖艶な匂いを漂わせている。
「お前も香水使ってるんだな」
「フローラルな匂いでしょ。
君と違って煙草の臭いを消すためじゃないしね」
照明の下で栗色の髪がまばゆく光っている。
「蒼宙、俺はずるかったな。
今度は幸せになれる恋ができるのを祈ってる」
「……うん。ずるい。僕だって平気なはずなかったって
気づいてたでしょ。わざわざ後で言わなかったけど。
君も苦しんだって思ったからこそ先に立ち直ってやろうって」
オレンジジュースを飲みながら、蒼宙は微笑む。
「邪悪になりきれない王子の間違いだったよ。ごめんね。
君は弱くてヘタレで情けないから、
一人にするのかとか、切なげなため息漏らしてたんだし」
「あんな過去は持ち出すな」
「……僕が今どんな恋をしているかは、また教えてあげるよ。
その代わり君もいずれ新しい恋愛をしたら教えてよね」
「わかった。約束する」
「大学卒業と医師国家試験もクリアして来月からお医者様だね。
おめでとう。会えたら言っておきたかったんだ」
「ありがとう……蒼宙」
過去の憂いを取っ払い、彼は握手を求める。
「俺もまだこれからだ。お前のこれからも応援してる」
「あったり前じゃん。大親友同士なんだしさ」
ぶん、ぶんと手を振られる。
「今日、お互いここに来たのは偶然じゃないのかもね」
頼んだブルームーンを飲みながら微笑む。
「……そうかもしれないな」
「オレサマドクター誕生だ……あははっ」
「……ふざけんな」
「ちょっとふざけてみただけだってば」
茶目っ気たっぷりの笑顔を見せる親友の髪をかき混ぜた。
「そういえばお前に海外旅行の土産があるんだ」
蒼宙はきょとんとする。
「いただきます!」
「取りに来い。今、実家に帰ってるから」
「……あおのご実家で海外旅行の想い出も聞かせてよ。
ワンナイトとか、行きずりとか色々あるんでしょう」
「……そんなものあるわけねぇだろ」
昔のように気安く話せて胸をなで下ろした。
グラスを傾けながら目を細める。
かたい指切りをして別れた。
蒼宙の新たな選択は、想像もつかないものだった。
中学三年から高校、大学と共に過ごした相手は、
お互い切っても切り離せない関係だ。
叶わなかったけれど繋がりは変わらず持ち続けている。
それから二年後のこと。
青は初期臨床医研修を終えた頃、ようやくもう一人の運命にたどり着いた。
親友になった蒼宙は青のかなり先を進んでいたのだけれど。
オレサマ王子はそのままに、悪戯な天使は堕天使となったのだった。
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