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外伝「最後のバレンタイン」(☆☆)

毎年、バレンタインが来る度に相手からの贈り物を期待するようになっていた。 自惚れで傲慢だと分かりながら愛を込めた品を 受け取れるのは自分だけだと思っていたかった。 冬の冷たい雨が降りしきる中、車を飛ばす。 先に帰宅しているだろう彼に会うため急いだ。 もう時間がない。 潮時だと気づいてから長く過ごしたわけではなかった。 「ただいま……」 扉をノックすると開けてくれる。 チャイムを鳴らせばいいし合鍵(スペアキー)を使えばすむ話でも 出迎えてくれる顔を見たかった。 「おかえり。お疲れさま」 「お前もな」 少しずつ何かが変わろうとしていた。 明るい時間には名前をあまり呼ばない。 互いが忙しく時間も合わせられなくなるのは、 最初から分かっていた。 二人で暮らせば、朝や夜は必ず一緒だから耐えられた。 一年目の春、夏、秋、冬を越えて辿り着いた二年目から、狂い始めた。 「バレンタインのチョコ、用意してるよ。  ちゃんと甘さ控えめ。でも愛というトッピングで美味しいからね」  二人きりのダイニングキッチンで微笑み合う。  口にできない愛の言葉を胸の奥に隠す。 (旅立つ準備は一か月前から始めていて、  新しい場所も整えた。  一人で内覧も行った。  どことなく寂しいが、気づいたことを放置はできなかった) 「ありがとう。くれるだけで嬉しいのに。無理させてないか?」 「僕がしたいからしてるだけ」  八年前のバレンタインがすべての始まり。  大胆に襲ってきた彼の好きにさせるのが、不快になり  やり返したわけだが、それはきっと。  同性だから、力があったのかもしれないし  彼と同じくらいの体格の異性なら無理だった。  もし受け入れられないのなら  攻め返さないし猛烈な毒を吐いて逃げたと思う。 (別に同性愛を嫌悪していたわけでもないが……俺自身のこととは別で考えていた)  同性愛者になったのではないかと思い、父に訊ねたこともある。  同時に別の人間を愛することが性格的にできないのは確かだ。  俺は同性を受け入れることができる人間であり、  いつか宿命を捨てられない愚かさですべてを失う。  もしこの先に誰かを愛することができるなら、違う性別の人間だ。  東京を離れても地方の病院に就職すればいい。  医師免許を取得すれば、医師になることを諦めるわけではない。  少し前、身内に答えがわかり切った選択を提示されたが、  やはり迷うこともなく答えていた。 (俺は、幼いころになくした母にとらわれている。  彼女が愛した父の病院を長男である自分に継ぐことを望み、  別の選択を持つことを自分に許さなかった。  無理を強いられたわけでもない。  ずっとそばで生きていきたいと思うけれど……  彼には俺が相応しくないとすら感じている。  彼も俺と同様に異性も愛せる人間だから、  苦しみからは逃れられるはずだ)  テーブルの上のチョコレートケーキに手伸ばし頬張る。  時々、フォークを刺して食べさせてくれる。 「美味いよ」 「よかった。ご飯が食べられなくなるから  二人用サイズぴったりに作ってるんだ」  窓を叩く雨音も激しさを増していた。 「……来月はお返し、何がいい?」 「気持ちがこもったものなら何でもいいよ」  マグカップのお茶を飲む。 「気づいたことがあるんだ。聞いてくれるか?」  眇めた目で彼を見つめる。  今日も栗色の髪と瞳はきらきら輝いていた。 「聞くけど。疲れてるんだし、カラコンを外しなよ」 「……分かった」  薄茶色のカラコンを外しケースに入れる。  夜、寝る前に外すのが定番だが瞳の色を  偽らないほうが本音を言える気がした。 「おかえり……本当の青(せい)」 「なんだそれ……」  口元を押さえる。 「毎日、一緒にいる時はこの色でしょ。  外では違うからここが居場所になってるんだなって嬉しいんだ。  君を独り占めしてるみたいで」  胸が焼けるように熱くなる。  腕を引いて胸元に抱きすくめた。 「俺もお前を独り占めできて最高の気分だ」  耳元に響くように伝えて、笑う。  それから食器を片付けてバスルームへ向かった。  一か月ぶりの戯れ。  一度だけのぼりつめて、寝室に戻った。  雨はまだやまない。  激しい雨音も二人には聞こえず絡み合っていた。  日付が変わっても飽き足らないほど情熱は冷めなかった。 「ん……好き」  愛をつぶやく唇をふさぐ。  一度眠った後、目覚めた。  胸元に頬をすり寄せる相手の髪を撫でながらつぶやく。 「あの時やり返しただろ。  その気がなければ、暴力行為をしたうえで  お前を遠ざけたと思うぞ」 「じゃあさ、僕の前につき合った子達って、  きっかけはなんだったの?」 「ただの興味本位。  よくわからないが、目をハートにして近づいてきて  うっとおしかったし目くらましもほしかったから、  付き合ってみた。  手を繋ぐのも面倒くさかったんだけど」 「えー、それってお付き合い?」 「多分。一緒に帰ってただけ。  その間は送迎も頼まなかったしな。  勉強の邪魔だから土日は会わなかった。  会ってたのは放課後二時間くらいかな」 「……ひどすぎる」 「所詮、小学校の頃のことだしごっこ遊びだろ。  髪を撫でてやったら目を潤ませたのは驚いたが」 「……小学生で完成されてたね」 「何が? 濃密なスキンシップはお前以外とはしてないぞ」 「……そ、それはね」  抱き寄せる。  互いに素直な体はすぐに反応するが気づかない振りをした。 「あの時襲いかかってきたのが異性なら  触れたいと思わなかったかもしれない。  だから、始められたんだろうな」 「モテすぎてたから、異性が嫌になってたんだね」 「モテすぎてはない。いくら相手がクソガキでも本気と戯れの区別くらいつく」 「自分もクソガキだったでしょ」 「……お前以外だったらお断りだったよ。確実に」  嬉しかったんだろうか。  唇を重ねられて、胸の鼓動が高鳴った。 「君がほしいよ」 「……無理はさせたくない」 「してないよ。終わりが来るまで、  許される限り君に抱かれていたい」  とどめを刺されて応えた。  正面から見下ろした蒼宙は、かわいくて綺麗で宝物だと感じていた。 「……愛してる」  満たして満たされた。  朝が来るまでもう少し奪い合おう。  雨は優しく降り注いでいる。  

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