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第10話
◆お忙しい方のためのあらすじ動画はこちら→https://youtu.be/7jZpotIPWwE
上総はドアを閉め、鍵を差し込む。それをぼおっと見ていた崇の頭に、先ほどの大輔の言葉が甦ってきた。
『人はそんな風に人を、自分を切り捨てられない。切り捨てちゃいけないんです』
違う。これは切り捨てるのではない。どうにもならないことなのだ。
もし自分と上総の間に何かあったとしても、全てが遅すぎる。今は、ほんの一時だけだったとしても昔、二人の気持ちが通じていたとわかっただけで十分だ。
(本当に……? 本当にそれでいいのか?)
もし、上総が言うようにこの再会に意味があるのなら、それは一体何だろう? 自分はこのまま、あの時と同じように背を向けて去ってしまっていいのだろうか。弱くて臆病な昔の自分のまま?
「上総先輩」
鍵をかける上総を、真っ直ぐに見つめる。
「やっぱり今晩、ここにいていい?」
顔を上げた上総は、最後の最後で味方に裏切られたような顔をしていた。
「冗談だよな?」
答えず見つめていると、上総の顔が徐々に強ばり、ぶんぶんと首が大きく振られる。
「ダメだ。わかっているだろう? お前がいたら、何もしないでいる自信がない。さっきみたいに……」
「してくれてもいい。むしろ、して欲しいんだ」
愕然とした顔をした上総に、崇は一歩近づく。
「やめろっ……!」
上総は崇を振り払い、できるだけ距離をおくようにドアに背をつけた。
「一体、何を考えているんだ。どうかしているんじゃないのか?」
「先輩が言ったんだろう。俺たちがまた会ったのには何か意味があるんじゃないかって」
「ただの思いつきだ。何にせよ、こんなことをするためじゃない」
「俺は、こんなことをするためだと思っているよ」
再び一歩近づくと、びくりと上総が肩を引き攣らせた。明かな拒絶に耐えきれず、崇は足を止め、瞼を伏せる。
「さっき大輔に言われて気がついたんだ。俺が、俺のことを本当に気遣ってくれる人たちに〝ハロー〟と言えないのは、たぶん……先輩にうまく〝グッバイ〟ができなかったからだ」
「意味がわからない。何の話をしているんだ」
半ば怒っているかのように上総は耳をふさぎ、頭を振る。崇はその肩を掴むと、真っ直ぐ相手の顔を覗き込んだ。
「お願いだから聞いてくれ。俺たちは、あの駐車場でちゃんと〝さようなら〟と言うべきだった。でも出来なかったから、今、こんなにも苦しんでいる。少なくとも俺は。これは、あの時の続きなんだ。あの頃、俺たちは子供だった。あまりにも現実が辛すぎて、お互いから逃げることしかできなかった。けど、今は違う。大人になった。だから、今度こそちゃんと過去を清算しなくちゃ。もし俺たちの再会に意味があるなら、それはきっと……〝さよなら〟を言うためだ」
上総は何も答えなかった。崇は、相手の胸元に触れるか触れないかぎりぎりのところまで顔を埋める。
「お願いだ。今晩、どうしてもあなたが必要だ。もし昔、少しでも俺のことを想っていてくれたなら、チャンスをくれ。今度こそあなたを、過去を振り切って、新しい道に歩むためのチャンスを」
相手の胸に額をとんとつける。伝わってくる震えが自分のものか、それとも上総のものなのかわからなかった。
スチール製のドアにおかれた上総の拳は、間接が真っ白になるくらいきつく握りしめられていた。
長い、長い沈黙。上総は何も言わなかった。
答えは、既にわかりきっていた。拒否 だ。
きっと数秒後、上総は「じゃ、さよなら」と言って、このドアを閉めるだろう。取り残された自分は一人、アパートへと帰る。ジ・エンド。自分たちが会うことはもう二度とない。
だが、上総は去らなかった。しかし、手を伸ばしてくることもなかった。
ただじっと立ち尽くし、弱々しく首を振る。
「無理だ。俺は藤乃には誠実でいたい」
上総らしい台詞に、逆にほっとしてしまった。
「彼女にとってもいい話だと思うけど。これでプロポーズを脅かす邪魔者がいなくなるんだ。大歓迎じゃないか」
「お前っ……」
自分で思っていたより自嘲的な響きになってしまったのか、それとも彼女を侮辱された(したつもりはないが)からか、ぶわりと上総の声が怒りで膨らむ。
「お前は、本当に、どこまでタチが悪いんだっ……!」
「……ッ!」
突然、腕を引かれたと思ったら、部屋に引き込まれていた。ガシャンと背後でドアがしまる音がする。ドアに背を叩きつけられ、ぶつかるように唇が重なる。鼻先に上総の部屋と、上総自身の匂いが広がる。
「……ふっ……」
肺から息を根こそ奪っていくキスに、崇の頭はくらくらした。弱い右足ががくがくと震え、立っていることすらできない。
「……っ!?」
突然、上総が崇の腰を持ち上げ、背中を乱暴に後ろのドアに押しつけた。不安定な姿勢に咄嗟に両足を上総の胴に回す。キスで火照った身体に金属の冷たさは心地よかったが、呼吸を整える間もなく再び唇を奪われ、また身体が火のついたように熱くなる。
外の明かりがドア脇の小窓からぼんやり差す闇の中、互いの唇がぶつかる濡れた音が響く。たまらず足をさらにぐっと寄せると、布越しに互いの股間がこすれ合う。
「……っ」
甘い電流に背骨がのけぞり、後頭部をドアにつける。すると、上総が煽るようにさらに腰骨をぶつけてきて、崇は相手の首に腕を回し、応じるように唇を重ねる。
「上総っ、ベッド……行こうっ……」
荒い息の合間に言うと、上総は抗議なのか了承なのかわからない低いうめき声を漏らした。そのまま尻をグイッと持ち上げられ、崇は赤ん坊のように抱えたまま部屋へと連れていかれる。
こうして運ばれるのは今日で二回目だったが、今度は抵抗することなく、なすがまま相手に身を任せた。
もし入院中も、こうして素直に自分の弱さを認めることができたら、あの地獄の日々はもっと少し楽なものになっていたかもしれないとふと思った。
ベッドに下ろされ、すぐにまたキスが始まるのかと期待したが、いつまで経ってもなかった。
そっと目を開けると、上総は崇の顔の脇に手をつけたまま、じっと見下ろしてきていた。
今までの荒れ様が嘘だったかのように、上総の瞳は静かだった。怒りと哀しみと疲れの色が、その奥でゆらゆらと揺らめいている。
「……お前は、本当に最低な奴だよ……崇……」
上総は崇の額に自分のをつけると、くっと唇を歪めて笑った。
「昔から、俺がお前に抗えないことをお前はよく知っている。ほんとにタチが悪い……」
泣き出す前のようなかすれた声に、ぐんと心臓が鷲づかみにされたように感じた。
一体、自分は何をしようとしているのだろう。
いくら己が楽になるためだからといって、上総を利用していいのか。他の誰かを傷つけないために、上総を傷つけてもいいのだろうか。
自分は本当に、間違っていないのか……?
「……ごめん、俺……やっぱり──」
相手の肩に手をやって起き上がろうとすると、上総の指がぴたりと唇にかかった。
「いいんだ。お前は正しい。俺もお前が近くにいる限り、藤乃にプロポーズすることは絶対にできない。……だから、さよならをしよう」
再び口づけられ、崇は目を閉じた。身体の中でごおごおと感情の嵐が吹き荒れている。脳裏にあの時の曲──上総に再会する直前に聞いたビートルズの曲が流れてきた。
Hello,hello.
I don't know why you say goodbye,
I say hello,hello,hello.
上総は崇をそっとベッドに押し倒すと、顎から首筋、鎖骨へと唇を這わせる。情熱的で感情的な先ほどのものとは違って、とても甘く、そして哀しいキスの雨だった。
「……ッ」
上総の歯がやんわりと崇の胸の突起を噛み、びりりと腰が波打つ。敏感な肌は、相手の吐息がかかるだけで十分に反応してしまう。
「ふっ……先、輩っ……」
片方を唇で、もう片方を指でつまみ上げられ、たまらず崇は上総の髪をまさぐった。上総の唇はさらに胸から腹へと下っていく。
その手がバックルにかかった時、崇はぎくりと背を強ばらせた。
「あっ、全部は──」
言ったところで遅かった。ズボンが下着ごと器用に引きずり下ろされ、ベッドの脇へ無情にも投げ捨てられる。
右足にある引き攣った傷跡が、朧気な陰影のせいで、さらにグロテスクに浮かび上がる。
「綺麗だよ」
上総は崇の右足をとると、縫合のあと一つ一つに丹念に唇を這わせていく。精悍な顔と醜い傷口の対比に、ずくりと崇の腹が疼いた。
崇は身体を起こし、上総の足の間に顔を埋める。
「!? っ、崇っ……」
大きな手がやんわりと髪を引いたが、構わず相手のバックルを外し、勃ちあがりかけている上総のものを口に含む。
「……くっ、崇……」
ゆっくりと口を出し入れさせると、上総が堪えきれなくなったように身体を曲げ、自らリズムを合わせてくる。崇の口の中で、上総のものはさらに大きく、硬くなっていく。
「崇、もういい……いいから……」
前髪を引かれて顔を上げると、上総がじっと崇を見下ろしていた。額からは汗がしたたり、胸は荒い呼吸で上下している。射るように見つめてくる瞳には、剥き出しの欲望が赤々と燃えていた。
「後ろ向いて」
上総の大きな手に導かれるまま、体勢を移動させる。ふっと後ろから上総の気配が消える。振り返ると、上総はベッド脇にあるダンボールの中からローションとコンドームを取りだしていた。
胸が嫉妬で燃え上がる。上総はこの部屋で、誰かを──藤乃を抱いたのだろうか?
ふるふると首を振る。そんなこと今考えるべきではない。今、集中するべきなのは、この瞬間と上総だけだ。
ローションのキャップが外れた音がしたと思ったら、濡れた手が両方の尻の肉を掴んだ。
「あっ……!」
予告なしの攻撃に、びくりと背中がひくつく。「ごめん」と漏らした上総は、宥めるように崇の背中を手の甲で撫でたあと、するすると尻の合間に指を這わせた。
「ん、んっ……」
喉の奥から勝手に漏れてくる声を、唇を噛んでこらえる。上総の指は穴の入口をしばらく慈しむように撫でたあと、ぐぷりと中に沈んだ。
「あっ、っんんっ……!」
入口を上総の二本指が丹念に押し広げていく。時折、指の腹が内壁を撫で、崇は堪えきれず前で組んだ自分の腕の中に顔を埋めた。
「あっ、先輩っ……! ッ、うっ……」
三本に増えた指が、出たり入ったりしながらバラバラに動いて中を掻き乱す。慎重な、だが大胆な動きに、崇はすすり泣きのような声をもらす。
「先輩っ……もうっ」
「ダメだ。ちゃんと慣らさないと」
「お願いっ、六年も待ったんだっ……もう我慢、できないっ……!」
後ろで上総が身じろぎしたのがわかった。ふうっと長い息の音が聞こえて、後ろのしずまりから指が抜かれる。
「先輩──」
急に身体が空っぽになり、不安になって後ろを向こうとした。すると、がしりと腰を掴まれ、そのまま反転させられる。
上総は崇の腕をシーツの上に縫い止めると、大きく足を広げさせた。そして自らの猛ったものを入り口にあてがい、短い息とともにぐんと腰を進めてきた。
「あぅっ……!」
身体の中を熱いもので押し広げられ、貫かれる音が頭の中で木霊する。痛みと圧迫感。パニックに陥りそうになった崇は、どうにかしてそれを宥めようと顔の両脇のシーツを握り、ぎゅっと目を閉じ、顔を背ける。
「崇っ、大丈夫だからっ……俺を、受け入れてくれっ……」
温かいものが頬にかかり、そっと目を開ける。上総は自らを抑え込むようにふーふーと低い息を繰り返しながら、そっと崇の頬に手を這わせていた。その気遣うような慈しむような視線を受け止めた瞬間、崇の身体の中でひくりと歓喜が蠢いた。中に入った上総のものが脈動を打つ度、それはさらに大きく強烈になる。
──痛みと喜び。
それこそが、上総の存在がいつも自分にくれるものだった。今、自分はそれを全身で感じ、受け止めている。
「上総……大丈夫、大丈夫だから……早くっ……」
言い終わるより早く、ぐんと太ももの裏を掴まれ、挿入がさらに深くなる。
「ふあっ……!」
まだわずかにあった痛みと羞恥心は、上総のものが奥へ奥へ入ってくる毎に、快感と安心感へとすり変わっていく。
上総になら、何をさらけだしても大丈夫。
それを、どうしようもなく気づかされてしまった。
今の彼は、自分の一番汚いところも情けないところも知っている。その上で、全てを受け止めてくれる。この足の醜い傷と同じように。
なぜ、上総といるとこんなにも安らかな気持ちになるのか、やっとわかった気がした。そして思う。
自分も、彼の全てを受け入れたい。
見舞いに来てくれなかったこと。一番自分が彼を必要としている時に、背を向けられたこと。再会してから目も合わせてくれなかったこと。母親のために、自分を偽ってまで、彼女の理想になろうとしていること。
彼の弱さも優しさも、今なら全て受け止められる。全て、仕方のないことだったのだ。
「……ッ」
最後まで埋め終えたのか、上総は長い息を吐いたあと、初めは緩やかに、徐々に激しく揺さぶってくる。
「……ッ、あっ、くっ……!」
全身を閃光が貫く。自分の中で上総の荒い皮膚と鼓動を強く感じ、愛おしさと苦しさで息が詰まった。崇は自分の腰にかかった逞しい腕に手をかけると、相手の動きに合わせて自ら腰を振る。
バラバラだったリズムが次第に合っていき、二人は一つの動物になったかのように身体を動かし続ける。
自分の選択は間違っていなかったと、ふいに確信した。
彼と自分は世界で唯一、苦しみも痛みも全てをさらけだし、受け止め合える存在なのだ。そんな二人がこうして互いの心を、身体を受け入れ合い一つになっているのは、何よりも自然のことのように思えた。
「ふっ、ああっ……! 上総っ……!」
「崇っ……」
上総が上体を折り曲げ、唇を重ねてくる。崇もその首に腕を回し、腰に足を絡める。つながった部分がさらに深くなり、キスの合間合間に崇の唇から高い声が上がる。
限界が近い。でも、まだこの時間を終わりにしたくない。できることなら、一緒に果てたい。最後に、ただ一度だけ。
上総も同じことを思ったのか、崇の前のものを掴むと、自分の腰の動きに合わせながら、性急に手を動かしてくる。
「あっ、あう、ん……上総っ、もう……」
「俺もだ……崇ッ……」
上総はぴたりと身体を重ねると、突上げるように崇の奥を貫く。動く度に上総の腹で崇のものがこすれ、崇は身体の求めるまま相手の動きに合わせて腰を動かす。
つながっている部分と心臓の拍動がぴたりと合わさり、キスで呼吸を分け合う。
「っ、ああっ……!」
ぐいっと強く奥に捻り込まれ、次の瞬間、崇は果てたという意識もなく果てていた。ほとんど同じタイミングで、上総が「うっ」と切羽詰まったような呻き声をもらし、崇の身体の上に覆い被さってくる。
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