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第一章:鬼狩りαはΩになる(4)

*  それから六日が経とうとしていた。なんということだろうか、あれ以来事件は起こらないし、捜査も何も進展がない。確かに事件の頻度としてはそこまで頻繁ではなかったが、今までののペースを考えると、そろそろ次の事件が起きてもおかしくない頃である。事件が起きないに越したことはないが、嵐の前の静けさのようで不気味でもあった。  昼間は一般の捜査官に関係者の尾行を頼みつつ、アラタもあの店のキャバ嬢やスタッフの尾行をしていたが、どうにも候補者が絞り込めない……捜査は完全に行き先を見失っていた。 (警戒されたか……?やはりあの店のキャバ嬢の誰かが鬼だった……?)  宙が鬼に気づいたように、向こうが宙に気づく可能性だってある。もちろん自分にもだ。  歌舞伎町内で他の細かな事件もあって、ここ数日は深夜の取締りやパトロールに忙しかった。春先は鬼だけでなくおかしな輩が増えるのである。そのため、事件の未然防止の方にも人員が割かれるのだ。  足止めを食らう感覚に苛立ちを覚えるが、このような時にこそ冷静に再度分析をかけなくてはいけない。何か見落としてはいないだろうか、と関係者の報告資料を見つめるが、どうにもキャバ嬢たちの関係は見えてこない。こういう時に……とアラタは宙のことを思い出した。 (匂いで分かる……彼の遺伝のようなものだろうか?鬼喰いの噂は信じてないが、犯行現場以外に鬼であることが分かるのは本当に便利だな)  不思議な男だ。そして腹立たしい男。研究所に鬼の匂いについてのことを尋ねてみたが、一般的な鬼は鬼の体・能力へ完全変化するのにある程度の時間がかかる。個体により違い、数十秒から一分ほどなのだが、変化し切るまでその特徴が現れることはなく、何かの反応が起きているとは考えにくいという答えであった。彼特有の能力なのだろうか。 (鬼狩りとしては鼻がきくのは有利だろうが……。そう言えば、彼の武器についてまだ連絡が来ていないな。研修から戻ってきたら携行武器の申請をしないといけないのに)  アラタたちの所属する部署では鬼狩り用に特別武器の携行を許されている。鬼を狩るには特殊な呪術のかかった金属を使った銃が有効であるのだが、その銃は登録された者の指紋か虹彩認証で大きく変形するような特殊仕様になっているのだ。  とはいえ、元の人間の力の加減もあるのでそこまで大型銃にはならない。変形の時間も少しかかるため、アラタは自分の機動力を優先し、中型変形銃を使用していた。それでも鬼狩りの中ではかなりパワータイプである。 (彼の体力次第だが、できれば討伐の時だけでも大きめに変形する銃を持って欲しいな……最近は大型に変身する鬼も増えているし)  今までアラタが出会ってきた鬼や研究所からのレポートによると、鬼にはいくつか種類がある。  大きく分けると二種。人型という小さな器に化けているが、本当は体自体が大きな化け物となる鬼。もう一つは見た目は全く人と変わらないが、特殊な能力を使う鬼である。アラタはそのどちらにも出会ったことがあるが、大型の鬼は完全変身するとなかなか武器が肌を通らず苦戦するのだ。  そんな時、宙の研修先管理元である人事総務からのメールが届いた。指導者兼バディであるアラタの元には、参考までにとメールがCCで届いているのだが、アラタはそれをさっと読み込み、そして、デスクにいる野村部長のもとに向かう。呑気に耳かきなどをしている相手はアラタの剣幕に気づいただろうが動じてない。その机の前にアラタは立ちはだかり、メガネの位置を直して相手を見下した。 「部長、どういうことですか……?」 「ん?何が〜?」 「今、人事総務からきたメールです。部長承認済みだと聞きましたが?」 「ああ?うん。あれね!通したよ。水本くんに武器はいらないから」 「どういうことでしょうか?」  そう、水本宙の研修報告書に「武器携行は不要」と書かれていたのだ。  合同研修では様々な知識や基礎ルールを学ぶだけでなく体力テストも主にしている。その時に鬼狩り部隊所属者は特異性を見出し、初期装備の特殊武器を決めることになっているのだが……。武器もなく鬼に対抗するなど愚の骨頂だ。何を考えているのか、とアラタは野村を睨んだ。しかし、相手は全く動じていない。 「本人が要らないって言ってるらしいからー。あ、体力テストはダントツ一位だったって。君の入学時のスコアと並ぶってすごいなあ」 「!!」 「いやあ、君たち二人のバディなんて楽しみだね☆明日からいよいよ本格始動だ!」  そんな呑気なことをいう上司に呆れて、アラタは閉口するしかないのだった。  その深夜のことである。アラタは新しい被害者の現場にいた。深夜勤務で急遽通報が入ったのだ。野次馬でごった返す歌舞伎町の古いビルの間の路地前。必死に「下がってください!」と人員整理をしている警察官に声をかけ、手帳を見せる。 「お疲れ様です」 「あっ、特命の……お疲れ様です!」  現場に入ると、ブルーシートの奥に検視官がいる。アラタは自分の不甲斐なさを悔いたが、気持ちをなんとか保ち、馴染みの検視官に頭を下げた。彼はひどいもんだよ、と奥の死体をちらりと見遣る。 「今までは失踪だったけど、きっと全員こうなってるんだろうな」 「……これは……」  凄惨な現場であった。顔も体も引き裂かれたような跡がある。獣のもののようにも見える大きな爪痕。それで鬼のサイズを思っては、アラタはゾッとした。 (爪が大きい……鬼の中でもかなりでかいな。それとも何か特殊な武器でも持っているのか……)  顔もほとんどがえぐられているため、個別に判別は難しい。しかし所持品の写真を見て絶句した。化粧は薄いがこの美人を忘れるわけがない。この前の店にいたアリサであることは間違いなかった。ちょうど今、店にも確認が取れたところだという。アラタは再度死体の背中をえぐっている爪の跡を見る。 (あまりに大型のタイプだと、私の銃だけでは難しい。しかし、彼が武器不携行となると対応を考える必要があるな)  研究所に言って、今の一番威力のでかい爆弾型武器の携行を許してもらうべきか?しかし、街中での使用を考えると現実的ではない……そんな風に思案を巡らせていると、ふとした視線を感じた。人だかりを見回す。すると、現場側から見える野次馬の中、見覚えのある顔が怯えているのが見えた。彼女とアラタの視線が合った瞬間、ハッとしたがもう遅い。それはアリサと同じ店「XXX」にいたキャバ嬢のモモカであった。 (しまった……!顔を見られ……!!)  アラタの顔を見た瞬間、逃げるようにその場を立ち去ったモモカ。アラタはブルーシートで覆われた現場から人混みに向かって速度を速め、歌舞伎町の喧騒に逃げ込んだ彼女を追いかけていく。 (水本くんは彼女から鬼の匂いがしたと言っていた……!すぐに消えたと言っていたが、香水の匂いでごまかされた可能性もある!)  モモカは出勤前だったのだろう、普通のカジュアルな格好で、そのまま歌舞伎町を抜けようとしている。ネオン街から高架下を抜けたところでその細い腕を何とか捕まえた。 「モモカさん、ですよね?」 「っ……!」  モモカはアラタに怯えた目を向けるだけで、まだ答えない。鬼と対峙したことは何度かあるが、その雰囲気ではなく、まだ人間だ。鬼は変身前の段階ではまだその力を発揮しない。さっきの犯行を行った鬼であれば大型に変身するのに時間がかかるはず。まだ危険はないと察知したアラタは手帳を見せた。 「先日はお店ですみません。先ほど気づいたと思いますが、私はこういう者です。今の新宿の夜は危ない。もう少し人気のあるところに戻りましょう。あと、アリサさんについて何か知っていることがあれば教えていただきたく……」  そう話をしているうちに、モモカはまたアラタの手を振り払い走り出した。自分に怯えている?どうして?やはり鬼なのか?店の中で見た明るい雰囲気とは違い、彼女はただその長い髪を振り乱して必死で逃げていく。  新宿のこちら側は今は廃ビルとなっているところが多い。人目につかないところに行って鬼化するつもりかと思ったが、彼女の怯え方は異常だ。 「待ってください!どうして逃げるんですか……っ」 「違う……っ」  灯のついていない古い駐車場の近く、つまずいたモモカの腕をとると、モモカはその目に恐怖の涙を浮かべたまま短く叫んだ。 「アナタじゃないの!!」 「!?」  途端、アラタは落下物の気配に気づき、反射的に彼女の体を前へ軽く突き飛ばす。上から落ちてきた何か、それは人の体であった。目の前に出てきた男は猫背で小さく……けれど、その目がぎょろりとアラタを睨みつける。 「君……あの店の……!」  男の目の玉がぐるぐると動き始める。鬼への変身兆候の一つだ。アラタは距離を取ろうとしたが、モモカと彼の間に入って早く逃げるようにと振り向いた。しかし、モモカはまだその男をみて怯えていた。  その男はキャバクラ店でアラタも出会ったボーイである。しかし、あの時見た小心そうなイメージとは違い、その目がぐるぐるとおかしな方向に回り始めていた。  男の目は変身途中、次第にその特徴を見せ始める。白目の部分が黒く濁り、瞳孔が赤く染まっていく。そして、彼の首が少しずつ太くなっていく。まずい、アラタは胸元にある緊急用通信機を発信し、本部に通信をつなぐ。 「特命渡辺より緊急!捕縛対象おそらく大型、対大型武器要請、渡辺対応中!」  すぐに了解したとの通信が入るが、相手はまだモモカにジリジリと近づこうとしており、アラタは彼女を庇うように間に入って距離を取る。  向こうはブツブツと譫言のように言葉を吐いていた。その口元が裂けるように大きくなっていき、その牙が育って異形のものへとその姿を変えていく。 「モモカ、モモカ、全員殺したよ……!これで君がトップだ、俺の番に……」 「嫌よ!だ、誰も頼んでないわ!なんなの!?」 「モモカさん、もっと下がってください!!」 「うるせえ!俺はモモカと喋っテんダよォオオオ!」  最後の咆哮とともに男の頭から太い角がずんっと重く二本生えてくる。組んで投げようとしたが、向こうの腕力に押されかけていた。 (しまった……っ、大型に近接は……!)  まだ完全変身前とはいえ、向こうの力はどんどん強くなる。腕に爪が食い込んでくる感覚に呻くが、距離を取らないと不利だ。アラタは思いきり相手の鳩尾に蹴りを入れると、変形前の銃で相手の肩を撃ち抜いた。相手の変異が終わるまで距離を取りつつ、彼女を逃がさなくてはならない。 「そっちの奥から大通りまで逃げてください!振り向かずに走って!」  モモカを人気のある方へ戻るよう指示して、変身途中の鬼を見る。鬼の型はどうであれ、あれだけ大きな角が生えれば、人前に出られないのが定石だ。鬼は何よりも「普通の人間に存在がバレる」ことを嫌うからである。モモカが視界から消えたのを確認し、変形途中の銃を構える。変身に時間のかかる鬼であれば、その途中で撃ってしまえばいい。どちらが先か、とアラタがタイミングをはかっていると、相手は大きく裂けた口を開けてニヤリと笑った。 「鬼狩りしかいないなら、格好など気にしなくていい……女は腹の足しにするには少ねえからな」 「!?」  鬼に変身していく体は予想以上に大きくなっていく。その腕や首はひ弱そうに見えた元の姿の二倍以上に膨らみ、体もアラタの二倍近くはあるだろうか。 (でかい!!しまった、リーチの長さ……っ)  距離をさらに取ろうと後ろに飛んだが少し遅かった。大振りな腕が、その長い爪がアラタの右腕から胸をかすめる、いや、その一瞬で抉り取られた。呻きながらも、先ほど変形させていた銃が完成形に近づいた。幸運なことにスピードはそれほど早くない。アラタは銃を構えようとした。鬼用に中型へと変形した銃の重みがずしりと利き腕に響く。 (いや、大型はサンプルが少ない。失神させて捕縛がベストか、しかし、この大きさだとどこまで効くか、胸に一発入れて殺すしかないか?)  一瞬の迷いの間にぐらりと頭が揺れた気がした。さっき組んだ時の腕の傷が思っていたより深い。慌てて停まっている車の陰に逃げて、腕をボンネットに乗せて狙いを定める。しかし、出血のせいか、視界がうまく定まらない。とりあえず撃て、と脳は命令すれど、指がうまく動かない。 (くそ、あの爪、何か……毒が……?救援まで保たない、か……?いや、動け動け、動け!!)  そう思って指に力を込めようとした瞬間、鬼の姿がもう一つでかくなった……気がした。いや、その頭の上に、もう一つの陰が見える。 「……人の獲物に何してんだよ」 「!?」  ぐっと鬼の角を引っ張るその姿。そこに乗り上げたその人物、それは宙であった。三メートルはゆうに超える鬼の上に飛び乗ったというのか。なぜ?一体どうやって……?  月明かりの逆光で顔が見えない。しかし、その体つきと声は確かにあの男のものだ。しかし…… (あれはまるで……?) ――鬼じゃないか  宙の右の額からは、確かに一本の角が突き出していた。宙に角を抑えられた鬼は一体何が起こったのか分からないようで、バタバタとその大きな手で自分の頭を叩こうとするが、宙はひらりとそれを躱す。そして、その鬼の太い腕を跳ねるように遊ぶと、右腕を大きく振った。その刹那、宙の右腕から刃が飛び出したように見える。そして、その刃は一瞬でその鬼の首を刎ねた。 「!?」  言葉をなくすアラタの目の前、まるで重力がないかのように鬼の首と宙の体が夜空に浮かぶ。ゆっくりと倒れていく巨体……そのスローモーションをアラタは呆然と見ていた。  ドスンっと重みのある音がして、ゴロリと転がった鬼の首に、ハッとアラタは身構える。しかし、その目にすでに生気はない。宙はその首に足をかけると右腕から「生えている」刀でその角を片方だけ抉った。そして、それを拾い……丸呑みしたのだ。 (これが……鬼喰い……っ!?)  アラタは一瞬で起こった出来事に呆然としていた。今、目の前で起こったことが本当に現実なのか。誰もいない駐車場。自分と彼しかいない場所。遠くではサイレンの音が聞こえるが、まるで別世界の出来事のようだ。  こちらを向く美しい鬼の姿に呆然とする。宙はその瞳の色を右側だけ鬼のものに変えており、ふうっと静かに息をついては刀を空に振るった。鬼の黒い血がピッと駐車場のアスファルトに飛び散る。言葉を失ったままのアラタを向いた宙は、それに気にせず、にかっと笑う。 「遅くなりましたーぁっ」 「お、お前……っ」 「あー、アラタさん、あいつの爪にやられた?あーこりゃまずいなーっておっと……」  救援のサイレンの音が近づいてきた。途端、宙はすうっと息を吐くと、角と刀を一瞬で引っ込めた。そこには「普通の人間」が立っている。  その一瞬の変身にもアラタは言葉を失ったが、すぐに到着した救援班の数名の声で思考がかき乱されていく。ずきんずきんと痛む腕から、赤い血が流れ落ちているのに、今更気づいて少し呻いた。  救援部隊の到着、そして研究所の車も遅れてすぐにやってきた。腕の傷に簡単な手当てを受けながら、鬼の死体回収を見届けていると、宙が「報告は後日でいいんすよね」と確認にきた。……普通の格好である。何も変わりはない。  宙はさっきからアラタと視線を合わせない。アラタは「構いません。明日、一緒にしましょう」とだけ答えて、その顔をじっと見つめた。そう、普通だ。角もない。その右腕には刀も生えていない。自分が見たのはなんだったのか……頭を働かそうとした途端、ズキンとこめかみの辺りがひどく痛くなる。 「う……」 「渡辺さん、大丈夫ですか、顔色が……その傷もちゃんと診た方がいいと思いますので、病院に行きましょう」  救援部隊の一人がそう声をかけてくれるが、途端に頭がクラクラして何も考えられなくなる。すっと彼との間に入ったのは宙であった。 「アラタさんなら俺が送っていきますので平気です」 「……あ」 「アラタさん、とりあえずご自宅まで俺が送りますよ」  いつもとは違い普通の敬語で話してくる宙に違和感を覚えながらも、アラタは自分の体の熱とぼんやりとした思考に体をよろめかせた。それを支えてくれた宙に体重を預け、タクシーへと乗り込む。なんとか自宅の住所を告げると、ぐったりと隣に身を預けてしまう。思考が溶けていく。何も考えられない。熱に浮かされているかのようだ。 (私の体は、一体……)  ふわりと香る甘い匂い。なんだこれは?桃のような……  そこでアラタの意識はプツリと途絶えた。

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