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終わりと始まり③

 静かな室内にカリカリっとシャーペンを走らせる音が響き渡る。 夏休みに入って直ぐの学校は普段の喧騒からは想像できないくらい静まり返っていた。  吹奏楽部の奏でる音楽とグラウンドで練習している運動部の掛け声が時折聞こえてくる程度で、あとは図書室の窓から差し込む夏の日射しと蝉の声だけが響いている。  そんな静かな空間で、雪哉は親友の和樹と共に黙々と夏休みの課題をこなしている。 だが――。 「なぁ、雪哉……」 「ん? なに?」 「男同士のセックスって気持ちいいんかなぁ?」 「!?」  唐突に投げかけられた質問に雪哉の手からシャーペンがポトリと滑り落ちる。  珍しく静かに勉強していると思ったのに、いきなり何を言っているんだこいつ……。  動揺した心を落ち着けようと大きく深呼吸をして落ちたシャーペンを拾い上げ、チラリと親友の方に視線を送る。 「いきなり何? 暑さでとうとう頭やられちゃった?」 「ひどくね? 俺は通常運転だってば」  課題を解いていてその発想に行くのは充分おかしいと思うのだけれど、本人は全く自覚がないらしい。 「だってさ、俺らヤりたい盛りじゃん? 雪哉だって興味あるだろ?」 「べ、別に僕はそんなの……」  正直、全く無いと言えば嘘になる。拓海との事を妄想して自慰に耽った事も何度かあった。だが、流石にそんな話を和樹に言うことは出来ない。 「雪哉ってさ、普段すましてるから、乱れたら凄そうだよな。なんか、すげぇエロそう」 「なにそれ、全然意味分かんないんだけど……」  呆れてものも言えないとはまさに今の自分の心境を表す言葉だと痛感しながら思わず額に手を当てた。  和樹が突然突拍子もない事を言いだすのはいつもの事だ。慣れている。どうせまた何か、変な物でも読んで影響されたのだろう。 確か、少し年上のお姉さんが居たはずだから、多分そのせいに違いない。 そう結論付けて、はぁっと大きなため息を一つ零すと、手にしていたシャーペンを机の上に置いて和樹の方へと向き合った。 「どうでもいいけど、くだらない事ばっかり言ってると僕、帰るよ? 夏合宿行くために勉強教えてくれって泣きついてきたの和樹じゃないか」 「そうなんだけどさ、ほら……万が一マッスーとそう言う関係になるかもしんないじゃん?」 「いや、普通ならないでしょ」 「ぶはっ、即答かよ」 ケラケラと笑う和樹をジト目で睨む。 全く、何を考えているんだ。合宿なんてプライベート皆無の共同生活なのに、そんな事になるわけがない。 そもそも教師と生徒がそういう仲になるのはご法度なのだからあり得ない話だ。 ――まぁ、身近に例外も居ることはいるけれども……。 拓海の顔が思い浮かんで雪哉は小さく首を振った。駄目だ、今はあの2人の事は考えたくない。 そう言えば、和樹はいつから彼の事を思っているのだろうか? ふと、疑問が沸いて来た。 出会った頃は女子にモテたい! 付き合いたいっ! と言うのが口癖で、彼女持ちの友人を羨ましがったり、合コンに行こうなどと煩かった。 それなのに、なぜ? 「ねぇ、和樹はなんで……増田先生の事を好きになったのか聞いてもいい?」 「えっ?」 雪哉の問いに、和樹は驚いたように目を丸くする。 そして、暫く考える素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。 「……人を好きになるのに、理由って必要?」 「……そ、それは……」 その表情は、いつもの和樹とは違って何処か大人びて見えて、雪哉はドキリと心臓が跳ね上がる音を聞いた気がした。 こんな顔をした和樹を初めて見た。いつもは子供みたいにはしゃいでふざけてばかりの彼が、まるで別人のように落ち着いた雰囲気をまとってこちらを見つめて来る。 「ま、最初はただ、面倒くさがり屋の副担ってイメージしかなかったんだけどさ……それが、たまたま一緒に……なんて言うのかな、協力しなきゃいけない出来事があって、そこから話すようになって……気が付いたらって感じ」 「……そっか」 「だから、いつ? とか、なんで? って言われても答えられない。だって仕方ないじゃん? 相手が男だからとか、先生だから、とかそんなの関係ないって思えるくらい好きになっちゃったんだから」 和樹の言葉は、ストンと雪哉の中に入ってきた。 そうだった。自分も、拓海の事が好きだと気付いた時、どうして男同士なのに? と戸惑いを覚えたが、それでも彼への想いが消える事は無かった。 きっと、理屈じゃないのだと思う。 「だからさ、予備知識は必要だと思うんだよ。万が一そう言う関係になった時のためにも」 「……はぁ」 そう言ってニヤリと笑みを浮かべた和樹を見て雪哉は確信した。 あ、こいつはやっぱりバカだった、と。 折角なんだかいい事を言っていたのに、どうしてそう言う思考になるんだ……。 「どうでもいいけど、その予備知識は課題が終わってから考えなよ。頑張らないと本当に置いてかれちゃうよ。増田先生って、あぁ見えて容赦ないんだから」  普段テキトーそうに見える増田だが、中身は意外とドSだと雪哉は認識している。 去年の1年生は結局、雪哉以外全員が課題を終わらせていなかったために、当日増田から笑顔で切り捨てられて涙目になっていた。 「ちぇ、わかったよ……」  渋々といった様子で机に向き直った和樹に安堵しつつ、雪哉も再び教科書に目を落とした。 (好きになるのに理由は要らない……か……) 和樹の言葉を心の中で反芻して、雪哉は先程見た和樹の真剣な眼差しを思い出していた。 あんな顔、初めてみたな……と、ぼんやりと考えながら、雪哉は静かにペンを走らせる。 何故だか、少しだけ胸の奥がざわつくような感覚を覚えて落ち着かない気持ちになったが、それを無理やり抑え込むと、雪哉は目の前の課題に集中し始めた。

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