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終わりと始まり②

 体育館の脇から覗く8月の青空は、今日も馬鹿みたいに青かった。一点の曇りもない、どこまでも透明な、夏色の空。立ち上る入道雲だけが白く光っている。 「あっち~……」  次から次へと滝のように流れ落ちる汗を練習着で拭きながら、橘がふぅと息を整えた。その拍子に適度に引き締まった腹筋がちらりと見えて、雪哉は慌てて視線を持っていたボールに移した。  橘は恐らく、着やせする方なのだろう。体格がいいのは前からわかっていたが、改めて見ると想像以上にいい体つきをしている。無駄のない均整の取れた筋肉は何処か色気を含んでいるようにも見えて不覚にもドキドキしてしまった。  あの花火の日以来、気付けば橘を目で追っている事が多くなった。なぜこんなにも気になるのかはわからないけれど、確実にあの時のキスが原因であることは容易に想像が付く。  あれから橘は今まで通り普通に接してくるし、態度も変わらない。まるで先日の出来事が最初から無かったのかのように振舞われたから余計に気になってしまうのかもしれない。 「――……きや、おーい雪哉っ」 「えっ?」  突然名前を呼ばれ、ハッと我に返る。 「集合だってば」  と和樹に呆れた様子で言われ慌てて周りを見渡すと他の部員たちが皆こちらを見ていた。  しまった。いつの間に? ぼぅっとしていて全く気付かなかった。 「大丈夫か? この間からなんか変だぞお前」 「……ごめん」  心配そうに顔を覗き込んでくる和樹に謝ると、雪哉は急いで輪の中へと駆け寄った。 「あ……わかった! あれだろ、雪哉ってば欲求ふま……むぐっ」 「違うからっ!」  とんでもない事を口にしようとした和樹の口を慌てて塞ぎ、小声で怒鳴るという器用なことをしながら、雪哉は必死で否定した。  確かに、橘との事を思い出して悶々としてはいたが断じてそういうアレではない。  絶対に違う。――そう思いたい。   どうしていつも和樹はそっちのネタに持って行こうとするんだ。大体、仮にそうだとしても、それを口に出すのは流石に憚られる。 「はい、みんな注目! いっぺんしか言わないから耳の穴かっぽじってよーく聞けよ?」 ぱん、と手を叩いて監督である増田が声を張り上げる。 「夏の強化合宿についてなんだが――。今年は海辺の合宿所を借りれることになった」 その言葉に、ざわりと場がどよめいた。 毎年、この学校の運動部は県外の施設を借りて合同で強化合宿を行うのだが、バスケ部に限っては今まで万年二回戦敗退の弱小チームだった事もあり、学校近くの市民グラウンドなどを利用して合宿を行っていた。 だが今年は、地区予選ベスト8まで勝ち進めた事もあり、増田直々に校長へ直談判しに行った結果、県のスポーツ施設を貸し切りにして合宿が行えることになったようだ。 「だから、今年の夏は海だ! しかも、今回はなんと……プライベートビーチ付き! なんたって、今年は地区予選8位だったからな。お前らの頑張りに俺も応えようと思って」 「マジすか!? マッスー最高じゃん」 「やべ! 水着買わないと!」 はしゃいだような歓声が上がり、一気にその場が盛り上がる。 「ただし、今から配るものをよく読んでおくこと。あと、くれぐれも羽目を外すんじゃないぞ。以上」 そう言い残して増田は壇上から降りていく。 「雪哉、雪哉、これ見てみろ! すげぇなぁ」 興奮気味に和樹が手渡してきたのは、今しがた増田が配っていたプリントだった。 そこには、日程表の他に合宿所の地図や紹介文が綺麗な海の写真と共に掲載されている。 だが、注意事項の表記の後にある一番下に太字で書かれた一文を見た瞬間、和樹の頬がぴきっと引きつった。 『なお、夏休みの課題が終わっていない者は合宿に参加させないので、全員当日までに全て終わらせておくこと』 「…………」 「……雪哉ぁ……」 「え? 嫌だけど」 「まだ何も言ってねぇじゃん!」 言わなくても、和樹の考えている事なんてお見通しだ。 「どうせ、一緒に勉強しようぜとか言うんでしょ?」 「……だめ、かなぁ……?」 「絶対やだよ」 「お願いしますっ!!」 やっぱりか。両手を合わせて拝まれて、雪哉は溜息を吐いた。普段から授業中寝てばかりいるのに、一体どうやって宿題を終わらせるつもりなのか。 そもそも、この男は本当にやる気があるのだろうか。 そう思ってちらと横目で見たが、期待に満ちたキラキラとした瞳でじっと見つめられると、無碍にはできなかった。 「……仕方がないなぁ。じゃあ、僕が教えてあげるから、ちゃんと自分でやるんだよ?」 「やったーっ!! 雪哉大好き!」 ガバッと勢いよく抱き付かれて危うくひっくり返りそうになるのを何とか堪える。 相変わらずスキンシップの激しい奴だと辟易しつつも、和樹の嬉しそうな顔を見るとまぁいいかという気分になるから不思議だ。 「ちょっ抱きつかないでよ暑苦しい……」 「照れんなってー」 「うざい。離れなよ」 「ひっでぇ……」 そんな二人のやり取りを、橘が少し離れた場所から眺めていた事に、この時、雪哉は気付いていなかった。

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