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忍び寄る悪意

 夏休みが終わった新学期の五時限目は、11月に予定されている文化祭のクラスの出し物決めだった。  未だ夏休み気分の抜けないクラスメートたちからテンション高めに、メイドカフェがいい、とかお化け屋敷がやりたい。だとか様々な意見が飛び交っている。中には皆でお芝居がやりたい! などと言う輩まで現れて中々のカオス状態だ。  担任の加治は、生徒の自主性に任せると言ったっきり自分の席に座ってその様子を眺めているだけで事態を収拾しようとする気配はない。 「なぁ、雪哉はどう思う?」  前の席に座っていた和樹が椅子ごと振り返って身を乗り出して来る。 「僕は何でもいいよ」 「何だよそれー。じゃあメイドカフェは?」 「却下」 「えー。可愛い女の子がいっぱい見れるぜ?」 「興味無い」 「なんだよつまんねぇなー」  雪哉の即答に、和樹は不服そうな顔をして頬杖をついた。 「だいたい、僕らはバスケ部の方にも顔を出さなきゃいけないんだから、他のことやってる暇は無いよ」 「あー、それもそうだな。ってか、バスケ部何やるんだろ? そっちの方も決めなきゃじゃん!」  そういえばバスケ部は今年何をやるのだろうか。  去年の文化祭は悪乗りした当時の3年がごり押しで決めたコスプレ喫茶を無理やりやらされたのを思い出す。  ごりっごりの女装させられた雪哉は、客寄せパンダとしてそれはもう大変な目に遭った。しばらくはそのネタで部内でも、校内の至る所でも「超似合っていた!」とからかわれ自分の黒歴史の一部と化している。出来ることなら今年はもっとマシなものにして欲しい。  しかし、不運な事に今日は新学期早々所属している風紀委員の集まりがある。よりによって、今日!   放課後、ミーティングルームでバスケ部の出し物を何にするのか話し合いをする予定だったのに、今年も口出し出来ないだなんてっ! 「うはっ、雪哉ぁ、すげぇ顔してる」 「……っ」  雪哉の心境を知ってか知らずか、和樹は能天気に笑う。 「五月蠅いよ……あ……っ」  雪哉は静かに息を吐くと、ふいっと明後日の方を向いた。何気なく校庭に目をやると雪哉のクラスから、窓や扉を全開にした体育館が見えて、中に居る数人の生徒の姿を捉え心臓が大きく跳ねた。  自分の席から、体育館の中が覗けるなんて知らなかった。  もしかしたら、自分の恥態を誰かに見られていたのでは? そんな思いに駆られて体温がぶわっと上昇する。  部室で橘と身体を重ねたあの日以来、幾度となく彼と関係を持った。こんな事はいけないと頭ではわかっているのに、断れない自分がいる。  そして毎回のように橘のペースに流されて、抱かれてしまう。  あの熱っぽい飢えた獣のような目で見つめられると体の芯が震えて、どうしようもなく理性をかき乱される。自分はドライで淡白な方だとばかり思っていた。和樹のようにガツガツしていないし、どちらかと言えば体よりも心が満足していればそれでよかった。  よく雑誌の特集で見かけるような、衝動的で情熱的な激しい恋なんてものは自分には無縁だと思っていたし、体の相性がいいから離れられない。なんて言葉は大げさだと思っていた。  けれど、橘に抱かれてしまってから、その考えは一変した。  困ったことに、雪哉は橘との行為が嫌では無かった。恋人でもない相手と寝るなんて考えたことも無かったのに、橘の熱を感じる度に体がどんどん敏感になって、今では橘に触れられるのを待ち望んでいる節さえある。  この関係に名前を付けるとしたらなんと呼べば良いのだろう。セフレか、それともまた別の何かなのか。わからない。 「――あ……」  水飲み場によく見知った薄い茶髪がいて、勢いよく頭から水を被っていた。火照った身体には冷たい水が心地がいいのか友達と笑い合いながらタオルで頭を拭く様子に目が離せなくなった。  ふと、こちらの視線に気付いたのかハッとしたように橘が振り向いて上を見る。 視線が交わった時、一瞬息が止まるかと思った。  今までの思考を見透かされた気がしてごくりと喉が鳴った。 「雪哉? ……あ、橘先輩じゃん」  雪哉の様子に首を傾げた和樹だったが、すぐに橘の存在に気付いて声を上げた。 「手ぇ、振ってみるか? おーい」 「ちょ、和樹っ止めなよ」 「そうだぞ。授業中のよそ見は禁止、な?」  ポコンと頭を丸めた冊子で軽く殴られハッとして我に返る。  気付けば、担任の加治が自分を見下ろしていて、面白そうなものを見付けた子供のようににやりとした笑みを浮かべている。 「なんだ、気になるヤツでもいたのか? ん?」 「……っ別に」  慌てて視線を逸らすが、既に遅かった。あの雪哉が気になる相手とはどんなヤツなんだと、教室がざわめき立つ。  ……正直言って居た堪れない。恥ずかしすぎて穴があったら入りたいくらいだ。 「お、雪哉、もしかして照れてる? 珍しい~!」 「……違うからっ!」  ニヤついた顔をする和樹をキッと睨むと、懲りた様子もなく奴は小さく舌を出して肩をすくめて見せた。  コイツ……絶対にこの状況を楽しんでるだろっ!  「はいはい。……どうでもいいけどお前ら、早く決めないと居残りになるぞ」  収拾のつかなくなった教室を加治が呆れた声で諌めるのを視界の端に捉えながら、雪哉は小さくなって項垂れた。  その様子を、少し離れた場所に座っていた拓海が訝し気な視線を送っていることに雪哉は気付かなかった。

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