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ティップオフ ⑥
試合再開! という審判の合図と共に、コートに戻る。タイムアウトを終え、滴り落ちる汗を拭いながら雪哉達は再び走り出した。
「明峰 ボール!」
審判がそう言うと共に「明峰」と大きく書かれた白地に青色のラインが入ったユニフォームを着た、いがぐり頭の鈴木が状況を確認しながらドリブルで自分達の攻める側のコートまでボールを運んでいく。
「1本取るぞ!」
バスケットコートの真ん中に描かれた――センターライン。そして、センターサークルと呼ばれる大きな円。そこを超えて自分たちがどう攻めるかを頭の中で組み立てていく。
置かれている状況は決していいとは言えない。いや、むしろまずい状況にある。
試合時間は残り25秒。雪哉率いる明峰は、僅か1点差で負けており、このまま時間までに得点できなければ、1回戦敗退となってしまう。今すぐにでも得点したい気分ではあるが、さすがインハイ常連校そう簡単にはいかせてくれそうにはない。
ゴール下には一条目をぎらつかせてが待ち構えているし、相手側のディフェンスは、これ以上1点もやるまいと、気合の入った様子でインサイドもアウトサイドも両方をきっちり守っていた。
格下だと思っていた相手に1点差で食らいつかれている。それは常勝を掲げる藤澤学園にとって2度も同じチームに負けることは許せることではないのだろう。
――全くもって隙が無いし、おまけに気迫から来るプレッシャーが凄い。こんな土壇場で全身全霊のディフェンスを見せられたら、つい、諦めムードになってしまいそうだ。
しかし、今コートで戦っている雪哉達は違った。実力以上の相手と互角に戦えていると言う不思議な高揚感に包まれて、みんなの中から諦めると言う単語は何処かへ消え失せてしまっていた。
あと1点もぎ取ったら、あの藤澤に勝てる――。
雪哉達にあるのは目の前の勝利に手が届きそうだと言う事実だけだ。
諦めてはいないものの、全員内心焦っていた。敵のしつこいマークが中々外れずに膠着状態が続く。どうしたらこの状況を打開することが出来るだろうか?
(ああもう、マジしつこい!)
今、橘の目の前には試合前に喧嘩を売りに来た雪哉の元チームメイト佐倉が居る。散々生意気な口を叩いているコイツははじめから気に入らなかった。そもそも、横柄な態度を取っていると言うだけでも腹が立つのに、ディフェンスが上手くて中々出し抜けない。
実際、佐倉のマークが付いてからというもの、思うようなプレイがさせてもらえず橘のフラストレーションは堪りっぱなしである。
流石強豪校のレギュラーを2年で勝ち取っただけの事はある。
「ははっ、早くパス貰いに行かなくていいんですか?」
「うっせーよタコ!」
煽りに乗ってはダメだ。そう自分に言い聞かせていても年下に舐められた態度を取られてムカつかないわけがない。
僅かな期待を込めて雪哉の方に視線を移すがこちらもガードが固くて抜け出せずにいるようで苦戦しているようだった。
「チッ」
一体、どうする? 何処で仕掛ける……。チラリと鈴木の様子を伺った。仕掛けるにしても時間がない。
――残り18秒。
鈴木は、もう10秒近く一人でドリブルをしたまま、鋭い目つきで目の前の相手を睨みつけている。
身長は自分と同じくらい、体格で言えば自分の方が少し大きい。強引に行けば抜けそうな気もする。 このまま時間が経って何もせずタイムオーバーするのは避けたいが、かと言って焦ってパスを出すわけにもいかない。
(――後、3秒だ。その間に、いがぐり頭からパスができなきゃ俺達の勝ちだ)
ほんの一瞬、目の前の相手に隙が生まれたのを鈴木は見逃さなかった。
均衡が崩れたのはコートの外のテーブルに置いてある大きなタイマーが「15」を表示した時、意を決して鈴木は思い切り踏み込み、目の前の相手の隙をついてゴールを目指し走り出した。
「……しまった!」
鈴木にマッチアップしていた男は、来るとは思っていなかったのだろう。突然のドライブに対応できず、意外にあっさりと抜かされてしまう。
「――こら! 何やっとるか!! 止めろ! 1点も取らせるな!」
コートの外から、藤澤学園の監督が怒鳴り声をあげた。それと同時に、ゴールの近くにいた大きな体の藤澤の選手達が、向かってくる鈴木へとへ近づいて来る。
センターの一条は約195cm。もう一人も190cm近くありそうだ。 対して鈴木は175cmで高さでは到底かなわない。
「よしっ! そのまま身長差を生かして潰せ!」
藤澤の監督が、強い声でコートにいる選手達へ気持ちをぶつけると、それを聞いてかアウトサイドにいた他の選手達も、ドリブルでゴールの下に向かって突っ込んでくる鈴木の元に集まりだした。
――今だ。
相手のフォーメーションが崩れた瞬間、鈴木は振り向く事なく後ろへ素早くパスを出した。
「なっ、なに!?」
まさかここでパス!? 予想にもしていなかった行動に藤澤の選手たちに動揺が生まれる。
そのコース上に居て……ボールを受け取ったのは、3Pラインの外側に立つ「明峰」8番のユニフォームを背負った雪哉。
「ナイスパスです、鈴木先輩!」
雪哉は、ボールを持つと流れるような動きでそのまますぐに3Pシュートの構えを取った。
「止めろ! 今すぐに止めに行け! アイツにスリーを打たせるな!!」
藤澤の監督が、金切り声を上げている。興奮しすぎて血管がぶちきれんばかりの勢いだ。
「…………萩原!」
パスを出した鈴木は、驚いた。何故なら、自分がゴール下に向かって走った影響で藤澤のディフェンス全てが自分へ集中したと思っていたからだ。
だがしかし、実際はそうではなかった。
雪哉のすぐそばに、佐倉が来ていた。雪哉のマークが外れた途端、まるでそれを予測していたかのように橘から目を離し、雪哉にマークをスイッチしていた。
「残念だったな萩原。お前は俺が止めてやる!」
にやりと笑いながら、佐倉がプレッシャーを掛けて来て、3Pを妨害してくる。
「……っ」
なんとか振り切ろうとするがやはり手強い、正攻法では歯が立ちそうにもない。
「――だったら……!」
考える間もなく、雪哉は美しい仕草でシュートフォームを作った。佐倉の手の間を抜き、ボールを持ったその手を高く上げ――!
「クッ 撃たすかよ!」
慌てて佐倉が止めようと高くジャンプをする。
会場の誰もが、この3Pは入らない。止められると確信しただろう。実際、佐倉のジャンプは本当に高かったし、雪哉が腕を上げたのとタイミングもドンピシャだった。
「ふっ、甘いよ佐倉も……」
佐倉が飛んだ瞬間、雪哉は笑っていた。
「そんな――ッ、この状況でお前がパスなんて出すはずが……」
完全に騙された。佐倉は目を見開き、雪哉を見た。
雪哉はシュートなど打っておらず、ボールは真っすぐフリー状態の橘へと飛んでいく。
「頼みます、先輩」
「ナイスパス萩原!」
――バシッ! と音を立ててボールが雪哉から、その前にいる橘の方へ。
すかさず、橘は得意のペネトレイトでゴール下へと切り込んでいく。
「ディフェンス急げ!」
あの藤澤がバタバタしている。不思議な感覚だった。絶対に相まみえることのなかったはずの強豪が自分たちに押されている。
これは行ける――! 不思議と不安は無かった。橘はボールをキープしたまま、相手のディフェンダーが近づいてきた瞬間に、ゴール下にいるキャプテンの大久保へとパスを回した。
「――これ以上ゴール下へ近づけるな! 時間がないぞ!!」
藤澤の監督が裏返った声で叫ぶと同時に、大久保の後ろでディフェンスの構えを取っていた巨体が更に腰を下げて、ゴール下に突っ込んでくる事を警戒する。
だが、それは起こらなかった。大久保は、突っ込んでいく事なく、ゴールの方を向いてそのままボールを高くほうり投げた。
「リバウンド!!」
――試合時間、残り2秒。藤澤の選手達は、シュートが外れてゴールから落ちてくるボールをリバウンドしようとゴールの下に集まって、上を見上げていた。
佐倉も例外ではなく、腰を落としてボールが落ちて来るタイミングを伺っている。
――1.9…1.8…1.7……。
タイマーが時を短く高速で刻みだす。
選手たちは、この短い時間の間にもリバウンドを取る準備を完全に整えていた。
その光景を遠くから見ていた藤澤の監督は、ガッツポーズを決めて勝利を確信する。
――1.6…1.5…1.4…1.3……。
「俺らの勝ちだな」
上を見上げてリバウンドの姿勢を取ったまま、佐倉が呟く。
「ハッ、俺らはまだ諦めちゃいねぇっての」
「!?」
橘の言葉に、佐倉が一瞬視線を外す。気が付くと、雪哉の姿が見当たらない。
視界の端からゴール下に向かって勢いよく走って来る足音が響く。
「――まさか……!」
――1.2…1.1…1.0…0.9…0.8……。
佐倉が気づいた時にはもう遅かった。大久保が高く投げたボールは、ちょうどゴールの手前の絶妙に届かない位の位置へと落下していき、そしてそのボールを正確に目で追いながら、走った勢いにまかせて高くジャンプした雪哉が、空中でボールをしっかり掴んだ。そして――。
「まさか、そんな――っ」
――0.7…0.6…0.5…0.4…0.3…0.2……。
その瞬間、橘は目を見開いて雪哉を見ていた。
まるで羽が生えたかのように高く飛んだ雪哉が空中で持ったボールをそのまま勢いよくゴールに叩きつけるように片手でねじ込んだ――!
「……アリウープ……」
ゴールを揺らす物凄い音がしたのとほぼ同時、終了のブザーが館内に鳴り響いた。
「よっしゃ――!!」
歓喜の雄たけびと共にこの瞬間、雪哉達の1回戦突破が決まった。
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