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番外編③ 言葉なんて期待してない
「はぁ……疲れた。もう歩けない……」
突然始まったシルバーウィークを利用しての秋合宿2日目。全身のとてつもない疲労感に苛まれながら部屋に戻るなり雪哉は畳の上に倒れ込んだ。
それもただの強化合宿なんかではない。どうやって調整したのかはわからないが、インハイ常連校との合同合宿だと聞かされたのはつい昨日の事だ。
半端ない厳しさだろうなって覚悟して来たつもりだけど、正直ついていくのがやっとで練習が終わるころになるともう立っているのもやっとと言った感じだ。
一体どんな裏技使ったら、こんな無茶苦茶な合宿が組めるんだろう。向こうの監督とうちの先生が同期でたまたま先日飲み会の時に一緒になって意気投合したと言う噂が流れていたが本当だろうか?
本当に、いい迷惑だ。先生同士仲がいいのは構わないが、インハイ常連校とウチではレベチもいいところじゃないか。
それでも橘は何処か嬉しそうに「こんな機会滅多にないし、いい経験になるよな」とか嬉しそうに言うものだから、雪哉は何も言えなくなってしまう。
やはり橘は生粋のバスケバカだと思う。自分はどちらかと言えば、ほどほどの練習量くらいがちょうどいい。
「おい! 邪魔だ馬鹿。んなとこで寝るんじゃねぇ。蹴るぞ」
「ん―……」
真新しい畳の上で寝そべって、イグサの香りに癒されていると、ふっと頭上に影が射した。
目の前には額に怒りマークを付けて笑っている橘の姿。
「すみません。すぐ起きますから……いてて……」
慌ててガバッと飛び起きて、体に走る鈍痛に思わず顔を顰める。
「なんだオマエ、ボロボロじゃないか……大丈夫かよ」
「あんま大丈夫じゃないですね……体中怠くって。足なんかもうパンパンで。って、あれ? 大久保先輩達は?」
痛む身体を壁に凭れ掛け辺りを見回してみれば部屋にいるのは自分と橘のふたりだけ。聞けば大久保と鈴木は二人連れ立って風呂に向かったんだとか。
と、言うことは今は橘と部屋で二人きり……。嫌でも変な妄想が頭をよぎる。
「先輩は風呂行かなくていいんですか?」
「俺は混雑してんの嫌いなんだよ。軽くシャワーは浴びてきたし、もう少し空いてからにするわ」
「へぇ……じゃぁ僕も後で先輩と一緒に入ろうかな。なんちゃって」
冗談めかして言うと橘が一瞬表情を緩めた。
「俺の裸を拝もうなんて10年早ぇよバーカ!」
言うが早いかこつんとおでこと軽く小突かれた。全然痛くないデコピンに思わず苦笑が洩れる。
「それに、お前と入ると余計に疲れそうだしな」
「ちょっと! 疲れるような事する気ですか!?」
いくら何でも旅館のお風呂でだなんて、そんなの恥ずかしすぎる!
つい、風呂場でのあれやこれやを思い浮かべ、真っ赤になった。
「今、想像しただろ、スケベ」
「んなっ!? ち、違いますっ僕はそんな……っ」
橘の目が愛しそうに細まった事は、もごもごと口籠って俯いた雪哉には見えなかった。
「あぁそうだ、風呂入る前に少しマッサージしといてやるよ」
「えっ? わ、ちょっと!」
突然、投げ出したままになっていた右足をぐいっと持ち上げられて雪哉は戸惑った。
「痛いんだろ? 足。少しでも解しとかないと明日からもたねぇぞ」
「……先輩が優しいとか、明日は槍でも降るんじゃないですかね?」
「……別に、嫌ならいいんだぜ?」
言うが早いか脹脛の辺りをぐりぐりと力いっぱい押してくる。
「う、いたッ痛い痛いって! うそっ、冗談! 冗談ですってばっ!」
あまりの痛さに身悶え、目尻に生理的な涙が浮かんだ。
「たくっ、てめぇは一言余計なんだよ」
「……っ」
橘のスイッチはよくわからない。凄く怖い人かと思いきや突然優しくしてきたり、その逆だったり。
2年間一緒に過ごしてきたものの未だにその切り替えポイントが掴めない。
ただ、なんだかんだ言って面倒見はいいんだと思う。
雪哉の投げ出した足を橘が脹脛の辺りから優しく揉むようにマッサージしてくれる。その絶妙な力が加減が痛気持ち良くて全身からうっとりと力が抜けていく。
バスケ部一怖いと恐れられてる橘に足をマッサージされるなんてもしかしたら超贅沢なんじゃなかろうか。本来なら、自分が先輩の足をマッサージしなければいけないのでは? そんな考えが頭をよぎった。
「橘先輩にこんな事させてるのって僕位なものなんじゃ……」
「そうだな。……見てて世話焼きたいと思うのは、お前だけだ」
「……っ!」
あまりにも自然に、さらりととんでもない事を言うから、ドキリと鼓動が大きく跳ねた。
嬉しそうな顔してそんな事言うのは反則だ。一回意識してしまったら、ソコに神経が集中してしまい、ただ痛気持ちいいだけだった所に別の感覚が混じり始める。
今まで何も感じて無かったのに、急に橘の手がいやらしい触り方をしているように思えて、触れられている脹脛のあたりから、ゾクゾクするような甘い痺れが沸き起こった。
「……んっぁっ」
しまった! と、思った。けれど時既に遅し。思わず洩れてしまった声に橘の手がぴたりと止まる。
身体を起こした橘が雪哉の顔を覗き込むようにゆっくりと視線を上げた。熱を孕んだ瞳に見つめられ、じわじわと顔が熱くなっていくのが自分でもわかる。
橘にそのような意図はなく、普通にマッサージしてくれてただけのはずだ。それなのに、何を感じているんだ自分はっ!
「……」
気まずい空気が二人をを包み込み、それでも熱を帯びた視線から目を逸らす事も出来なくて嫌な沈黙に、じわりと冷たい汗がにじみ出た。
屈んでいた橘がゆっくりと近づいてくる。でも、雪哉は凍りついたように動けない。頬に手が伸びてきて耳を擽る様に撫でられて身体が竦む。
どうしよう、何か言わないと。そう思うけどこういう時に限って唇は上手く働いてくれない。
「萩原……」
酷く艶っぽい声に名を呼ばれ息を呑んだ。気が付けば目前に橘の顔があってするりと唇を寄せてくる。
どうしよう……。変な雰囲気にしてしまった。心臓がバクバク言ってて自分の物じゃないみたいだ。
「――っ」
と、その時。
「あー、いい風呂だった。橘! 次行って来いよ」
「!?」
突然がらりと部屋の引き戸が開いて、大久保達が部屋に戻ってきた。
重苦しかった空気が一瞬にして振り払われ、いつもの喧騒が戻って来る。
でも――。
「……だ、そうだ。どうする?」
耳元に息を吹きかけるようにして熱に濡れた声が囁きかけてきて思わず身体がひゃっと竦んだ。
「ど、ど、どうする……って?」
お風呂の中で続きとかヤっちゃうみたいな?
「足……」
「あ、あし?」
「右足だけでいいのか? マッサージ」
「あ……!」
そう言えば、ただマッサージしてもらってるだけだった!
「~~ッ、わざとからかってるでしょ!?」
真っ赤になって口を尖らせる雪哉の反応が余程可笑しかったのか、橘がくっくっくと肩を震わせながら笑っている。
「何の話だか。それより、行くぞ」
「い、行くって?」
ひとしきり笑った後、何を思ったのか突然立ち上がった橘に腕を掴まれた。困惑を隠しきれない雪哉をしり目に橘はニッと笑って言った。
「風呂だよ。風呂。マッサージしてやったんだから、背中ぐらい流してくれんだろ」
「あっれ、余計に疲れそうだから僕とは一緒に入らないって言ってませんでした?」
「あ? 嫌なら別にいいんだぜ? 俺は入って欲しいなんて思ってねぇし」
フンと鼻で笑いながら、どうするんだ?と尋ねてくる。でも、そんな言葉とは裏腹に差し出された手を見て、この人にはやっぱり適わないと思った。
「仕方ないから行ってあげます。橘先輩に誘われたら、行かないわけにはいかないですし」
「別に誘ってねぇって! おら、行くぞ!」
「ハハッ、仲がいいなぁあの二人」
大久保たちの生暖かい見送りを受けながら部屋を出る。半ば強引に掴まれた腕の熱さに苦笑しながら、二人は風呂場へと向かうのだった。
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