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プロローグ④
「ただいま……」
家に帰ると、ちょうど部屋から出てきた兄の彼女とばったりと出くわした。
「お帰りなさい、雪哉君。お邪魔してます」
「……こんばんは。来てたんだ」
今から風呂にでも向かうのだろうか手には可愛らしい柄のパジャマを握りしめている。そのすぐ後ろに兄の姿を認め雪哉はひっそりと嘆息した。
まさか兄が戻って来ているとは思わなかった。
ウザ絡みされる前に部屋に戻ろうと思ったのに、兄の聖哉はそれを許してくれなかった。風呂場へ向かう彼女を見送った後、雪哉に立ちはだかる様にして扉の前に立ちニヤニヤしながら顔を覗き込んでくる。
「ずいぶん遅かったな。デートか?」
「僕に彼女が居ない事くらい知ってるでしょ。部活だよ、部活」
「……部活ねぇ、お前顔はいいはずなのになんで彼女出来ないんだろうな?」
「余計なお世話」
「ホント勿体無いよなー、せっかくモテそうな感じの顔してんのにさ」
「五月蠅いな。別に僕は彼女なんて欲しくないから」
「なんで?」
「なんでって……」
「あー、あれか、もしかしてお前、まだ失恋引き摺ってんの?」
「……っ」
あぁ、なんで自分の兄弟なのにこんなにもデリカシーが無いんだろうか。 そして、あの彼女はどうしてこんな無神経な男が好きなんだろう。
人の心の傷を抉って何が楽しいんだ。
「何でもいいだろ! 兄さんには関係ないっ!」
だから、会いたくなかったのに。タイミングが悪い事のこの上ない。
これ以上自分の醜い感情を晒したくなくて、雪哉は聖哉を押しのけてドアノブに手を掛けた。
「あ、そうだ。うち、壁薄いんだから隣で変な事しないでよ?」
「変な事って? 例えばどんなことだよ」
にやりと笑いながら尋ねられわかりやすく動揺が顔に出る。
「そ、それは……いろいろだよっ!」
「色々ねぇ……童貞君には刺激が強すぎるかもしれないからなぁ、OK、OK控えめにしとくわ」
「く、馬鹿!!」
ふざけるな! と、怒鳴ってやりたかった。だが怒った所で聖哉を余計に調子づかせるのはわかっている。
人の気も知らないで、勝手な事ばかり言って。苛つきながらもぐっと怒りを飲み込み、兄を押しのけると雪哉は部屋へと逃げ込み勢いよくドアを閉めた。
カバンを乱暴に机に放り投げ、ベッドにバフっと突っ伏した。 なぜ何もかも上手くいかないのだろう。
兄とも以前はこんな関係では無かったのに。昔なら軽く受け流せたはずの会話でさえどうしようもなくイラついてしまう。
こんなはずじゃなかった。心に余裕が無いのだと自分でもわかっている。だけど、どうしたらそれが解決できるのかそれがわからない。
ぐるぐると考え込んでいると、不意にスマホが震えた。画面を見るとそれは友人の和樹からのメッセージだった。
和樹は2年に上がって直ぐバスケ部に入部して来た変わり者だ。どういう風の吹き回しかはわからないが部員の少ない明峰バスケ部にとっては、貴重な戦力の一人になっている。
1年の時同じクラスになった時からなぜかやたらと懐かれていて、今ではかなり仲が良い友人の一人だ。
【今度の土曜日あいてる?】と、言う文字に目を滑らせ、一瞬躊躇したが雪哉はゆっくりと指を動かした。
「空いてるけど、どうかした?」
返信して暫くするとすぐに既読がついた。きっとずっと待っていてくれたのだろう。
【夏祭り行かね? 部活も休みだし】
確か今週末にある地元の神社の祭りだ。毎年この時期になると浴衣姿の女の子を見かける。
「そっか、もうそんな時期なんだ……」
小さい頃から家族ぐるみの付き合いのある神社なので子供の頃は拓海の家族と一緒によく行ったものだが、高校生になってからはすっかり縁遠くなってしまった。
一緒に綿あめを半分こしたり、口中ベタベタになりながら食べたりんご飴。 拓海は射的が下手くそだったから雪哉が良く景品を代わりに取ってあげていた。
『ユキ、ありがと!』
なんて、可愛らしく笑うから嬉しくて。
いつからだろう、あの笑顔を見なくなったのは。
「……行きたいな、お祭り」
ぽつりと呟いた声は一人きりの部屋の中に消えていった。
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