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強化合宿は波乱の予感⑮
昼食の時にも、にやけ顔の和樹にしつこく付き纏われ、結局、昼休みの間中ずっとからかわれた。
人生の汚点をこれ以上塗り広げて欲しくないのに、雪哉の反応が面白いのか、わざと煽ってくるのが腹立たしい。
「あーもう、なんでこうなっちゃうかな」
午後練が始まるまでのわずかな時間、イラついた気分を少しでも落ち着けようと思って外に出た。じりじりと照り付けて来る太陽が眩しくて、思わず目を細める。
こんな時に限って、空はどこまでも青く澄み渡っていて、雲一つ見当たらない。そのくせ気温は高くて湿度も高いせいで、不快指数はどんどん上昇していく。
護岸のコンクリートに身体を預け、冷たいコーラを喉に流し込む。炭酸がシュワっと喉を刺激して心地良い。生温い潮風が頬を撫で、磯の香りが鼻腔を通り抜けていく。
ほんのり熱せられたコンクリートに突っ伏して、波の音を聞きながらぼんやりと海を眺めていると不意に頭上に影が差した。
「――ねぇ、キミ。大丈夫? 具合でも悪い?」
「え?」
突然降って沸いた声に驚いて雪哉は伏せていた顔をゆっくり上げる。
そこには、いつの間に傍に来たのか、目の前に目の前に濃い紫色に胸元が白く抜けているジャージを着た男が立っていた。
逆光で表情まではよくわからないが、心配そうに雪哉の顔を覗き込む彼の髪はツーブロックにカットされていて、眼鏡の奥の瞳は切れ長で鋭い印象を受けた。少し日に焼けた肌に長い手足が際立っている。背丈は百八十センチくらいだろうか。なかなかの長身だ。
「……あ、いえ。すみません。大丈夫です」
「それならいいけど……って、萩原?」
「え?……あ」
苗字を呼ばれ、驚いてマジマジと男を凝視すると、彼はどこか見覚えのある顔立ちをしていた。
「……え、もしかして……一条?」
「そうそう。まさかこんな所で会うなんてな」
ニッと笑ったその男は中学時代のクラスメイトで、同じバスケ部に所属していた一条将輝だった。
久しぶりに再会した懐かしさに雪哉は嬉しくなり、思わず口許を緩ませる。
中学三年間は同じクラスだったが、高校は別々の所へ進学した。卒業してから一度も会っていなかったので、かれこれ二年ぶりになる。
「中学の時と雰囲気変わったね。一瞬誰だかわからなかったよ」
「ハハッ、身長がだいぶ伸びたからね。そう言う萩原はあまり変わらないみたいだ」
「それ、褒めてないだろ」
「まさか。黄昏てる姿も絵になってたよ」
さらりと歯の浮くような台詞を言うところは相変わらずのようだ。
しかし、昔から人懐っこい性格だったからか、こうして再会してもあまり違和感を感じない。むしろ、あの頃の感覚を思い出して妙に安心感を覚える。
「それにしても……一条は何でここに?」
「ん? あぁ、今日から合宿なんだ。萩原は?」
「……あぁ、実は僕の学校も……」
言いかけてふと、彼の胸元のロゴに目が行った。そこには紫の文字ではっきりと「藤沢学園」の文字が刻まれている。
「藤沢……て、言うことは……もしかして」
「あぁ、うん。アイツも一緒だよ」
ほら、と指さす先には『FUJISAWA』と大きく書かれたマイクロバスから降りて来る男子生徒の姿が見えた。
身長は自分よりやや低め。少し癖のある髪をセンター分けにして、猫のような釣り目がちの目と薄い唇はどこか幼さを醸し出している。
一見女子と見間違えてしまいそうなほど可愛らしい容姿をしている彼もまた、中学の頃の仲間の一人だ。
「……佐倉」
雪哉は無意識にその名前を呟いて、僅かに表情を曇らせた。
『――お前っ! 才能あるのになんで本気になんないんだよっ!! 宝の持ち腐れじゃんそんなの!!』
全中大会の時に言われた言葉が脳裏を過る。
入学当時から冷めていた事実は認める。元々、拓海が入りたいからと言って入った部活だ。やりたかったわけじゃない。
正直言って勝敗なんてどうでも良かった。だって、勝つために練習しているんじゃない。あくまで、楽しめればいいと思っていた。
才能があるとか無いとかそんなのは今でもよくわからないし
興味もない。
だけど、あの時、負けて悔しそうに歪んだ佐倉の表情だけはどうしても忘れられなかった。
明日の練習試合、藤澤とやるとわかった時から、本当は気が重かった。
出来ることなら会いたくない相手だったのだけれど……。
(まさか、よりによって合宿先が一緒とはな……)
憂鬱な気持ちになり、雪哉は再び深いため息をつくと、手に持っていたペットボトルを強く握り締めた。
「二人とも、藤澤に行ったんだね」
「あぁ、うん。上手く推薦取れたから……萩原もウチに来ると思ってたのにな」
「いや、僕は……」
バスケの強豪校なんて最初から行くつもりは無かった。自分の中ではあくまでも、拓海>バスケの図式が成り立っていたから。
「おーい、一条皆行っちまうぞ。なにやって……って――萩原!?」
荷物を抱えた佐倉が近づいて来て、雪哉の存在に気付き目を丸くする。
「……なんでお前がここにいんの?」
「なんで、って……僕らも今、合宿中なんだ」
そう言うと冷めた目を雪哉に向けて、あぁ。と小さく声を漏らした。
「へぇ、なんで無名の弱小校と練習試合なんてしなきゃいけないんだ。って思ってたけど……萩原が居たんだ? 藤沢に来なかったから、もう、バスケ辞めたんだとばかり思ってたよ」
「お、おい。佐倉……っ」
「……」
棘を含んだ物言いに雪哉はムッとする。別に彼がどう思おうが構わない。だが、わざわざそんな言い方しなくてもいいだろう。
「ま、せいぜい明日は見苦しい試合にならないように頑張れよな。――ほら、一条。行くぞ」
と、厭味ったらしく言い放つとそう言うと、佐倉は一条の腕を引いて去って行った。
残された雪哉は二人の背中を見送りながら小さく息を吐く。
「……はぁ」
「……、はぁ。じゃ、ねぇよ!! このタコっ!!」
「いっ……!」
バシッと後頭部を叩かれ、痛む後頭部を押さえながら振り向く。
そこにはいつの間にか外に出て来ていた橘が仁王立ちしていて、その後ろには呆れた様子の仲間たちがいた。
「たく、なんで言い返さないんだ」
その問いに雪哉は苦笑いを返す。
「……まぁ。本当の事ですし……」
藤澤学園に勝てるわけがないのは火を観るより明らかじゃないか。
「そうだけど、そうじゃなくて……! あれ、元チームメイトだろ? 馬鹿にされたんだぞ!? 悔しくないのかよ」
橘の言葉に雪哉は黙り込む。確かにあの言い方に腹は立つけれど、過去の自分の行動が原因で佐倉があんな態度を取っているのだと思うと文句を言う気にはなれなかった。
それにしても、なんでこの人は自分より怒っているのだろう?
「……別に。僕にとってはどうでもいいことですから」
「……どうでもいいって、お前……っ」
そう言った途端、橘に思いっきりシャツの襟を鷲掴みにされた。そして、そのままグイッと引き寄せられ至近距離で睨まれる。
怖い。美人が怒ると迫力があって余計に怖く感じる。
なんでそんなこと言うんだと言わんばかりに顔を橘の顔がみるみる歪んでいく。
「……くそっ!」
忌々し気に舌打ちすると乱暴に手を振り払われて解放された。その勢いで雪哉がよろめくと、背後にいた和樹が支えてくれた。
雪哉が振り返ると、そこには何故か泣きそうな顔をしてこちらを見つめている橘の姿。
あぁ、そうか。この人はもしかして……。
「心配してくれたんですよね。ありがとうございます」
「は、はぁ!?……っ、べ、べつに……そんなんじゃねぇよ……俺はただっ、ああいう人を見下すようなことをいう奴が嫌いなだけで……」
橘はぎょっとしたように目を見開くと、顔を赤くして慌てて手を振り払いプイと顔を逸らす。
その反応を見て、雪哉はフッと口許を緩ませた。
本当に、変な人だ。
どうしてそこまで他人のために必死になれるのかわからない。
だけど、そんな彼を見ていると、不思議と心が温かくなって安心するのは何故だろう。
「たく、素直じゃねぇなお前」
「うるせえよ、タコッ」
ニヤニヤしながら横槍を入れる鈴木に悪態をつく。その仕草が可笑しくて雪哉もつい笑ってしまいそうになり、睨み付けられて慌てて口を手で覆った。
「ごめんなさい。でも、本当に大丈夫ですから」
と、笑って見せると、今度は何故か複雑な表情を浮かべた。
「――そうか」
「はい」
「わかった。……けど……何かあったら言えよ」
ぶっきらぼうに言い放つと、橘は雪哉の頭をくしゃくしゃっと掻きまわし、続けて言った。
「取敢えず、あんなくそ野郎だけには負けたくねぇ……。つー訳で明日は勝つぞ! 強豪だかベスト4だかそんなもんは関係ねぇ! 絶対にぶっ潰す!!」
あぁ、眩しいな。こんなにも真っ直ぐな人がいるのだと、雪哉は思う。
何に対しても真っ直ぐで、負けず嫌いで、でも不器用で……。すぐ怒るし、理不尽な事を言ってきたりもするけれど、そう言うところを全部ひっくるめても……悔しいくらいにカッコイイ。
「あーぁ、面倒くせぇのに火つけたな……」
「……ほんと、負けず嫌い」
「ま、それが橘だから」
「うんうん」
仲間たちの呆れたような呟きを聞きながら、雪哉は自然と顔が綻ぶのを止められなかった。
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