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不穏な気配③
「私ね、雪哉君の事気に入ってるの。その意味、わかるよね?」
「あ、えっ、と……っ」
それはつまり、どういう意味なんだろうか? と聞き返す勇気はさすがに無かった。雪哉は思わず一歩後ずさる。
彼女はその距離を詰めるように、一歩ずつゆっくりと近付いてくる。いつの間にか、雪哉は壁際へと追いやられ甘さの滴る指先が雪哉の頬を撫でた。ぐいっとシャツの襟をつかまれて引き寄せられる。
唇が触れ合いそうになる距離まで顔が近づくと、ふわりと香水の香りが漂ってきた。甘い、バニラのような匂いだ。それは汗の匂いと混ざり合いなんとも言えない淫靡さを醸し出している。
「ち、ちょっと……近い……」
雪哉は反射的に彼女の肩を押し返そうとしたが、相手が女子と言うこともありどうしても強く出ることは出来ない。
その手は呆気なく絡め取られ、あろうことか彼女の胸へと導いていく。ふにっと柔らかい感触が手に当たり、慌てて手を引っ込めようとしたが、許してもらえず耳元で「直に触ってもいいよ」と囁かれてしまった。そんな事出来るわけがない。
「あ、あの……こう言うことは、ちょっと……」
「へぇ、雪哉君って真面目なんだ? こう言うこと、興味ない?」
彼女は雪哉の反応を楽しむかのように妖艶に微笑み、首に腕を回してくる。ぴたりと身体が密着し、彼女の柔らかさと体温が直に伝わってくる。
彼女の瞳には獰猛な光が宿っていた。肉食獣が獲物を狙うようなギラついた視線がこちらをじっと見つめてくる。
あぁ、この目は橘にそっくりだ――。
そう思うと同時に、何故か急に橘の顔を思い出してしまいズキンと胸が小さく痛んだ気がしたが、それ以上考える余裕は与えられなかった。
するりと、彼女の太腿が股の間に割り込んでくる。その行為の意味するところを理解して僅かに腰を引くものの、逃げ場なんてどこにもない。
流石にこれ以上はまずいと制止しようとしたその時――。
「……たく、くだらねぇ事してんじゃねぇよ。この性悪女っ!」
バンッ! 勢いよく扉が開かれ、橘が現れた。不機嫌そうな声と共にズカズカと中に入ってくるなり、物凄い勢いで雪哉から一澄を引き剥がす。
「なぁんだ、もう見付かっちゃった」
一澄は悪びれた風でもなく残念そうに言うと、雪哉から離れて乱れた制服を直した。
その顔はどこか悪戯が見つかってしまった子供のように楽しそうに見える。
橘は、はぁ……と深い溜息をつき、呆れた表情で言った。
「たく、俺の後輩たぶらかしてるんじゃねぇよ」
「やだなぁ、たぶらかすだなんて人聞きの悪い。雪哉くんが可愛い反応するものだから、つい苛めたくなっちゃっただけだってば」
「嘘つけ。お前、絶対面白がってただろ……」
橘はげんなりとした様子で呟き、頭を掻いた。そして一澄から奪うように雪哉を抱き寄せると意味深な視線を彼女に向けた。
「コイツを苛めていいのは俺だけだ」
「……っ」
突然の事に思考回路が完全に停止する。何か今、とんでもない事を言われた気がする。抱き寄せられたまま固まっていると、耳元でクスリと笑う気配がした。
「あー、はいはい、ご馳走様っ! まぁ、今日のところは雪哉君をイジるのは諦めてあげる」
「たく、用が済んだんだったらさっさと帰れ!」
「そんなに威嚇しなくっても大丈夫だってば。あ……そうそう! さっきの話、忘れないでね雪哉君」
一澄は最後にもう一度念押しすると、ひらりとスカートを翻し教室から出て行った。
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