54 / 65

第54話 来たる日

「は?何言って…」 「いいか、落ち着いて聞いてくれ。恭冴が、お前のことを見つけたらしい…」 美風はその言葉を聞いた途端、笑顔のまま固まった 彼は何を言っているんだ? あれからもう7年も経つのに、まだ兄さんは僕のことを探しているって言うのか? そんなわけない きっとタチの悪い冗談のはずだ だが美風のそんな思いも虚しく、悠雅は真剣な面持ちで続けるように言った 「あのアパートにはもう帰るな。今頃恭冴があそこにいるはずだ」 「…確かなの?もう随分昔の話なのに僕を探してる?7年も経ったんだよ?」 「恭冴がお前に向ける執着は本物だ。今まで見てきたから俺にはわかる」 「そ、そんなこと言って、悠雅くんがなんか言ったんでしょ?僕の居場所をバラしたり…」 「美風、信じてくれ。俺は何もしてない。俺だって恭冴がお前を見つけることを望んでない…!」 悠雅は美風の肩を掴み、必死に誤解を解こうとした その真剣さを見て美風は、これが嘘ではないと気づく 何故兄は今になって美風を追うのか どうして居場所がバレたのか 疑問は溢れるほど思い浮かぶが、それよりも先に美風の頭の中をたった一つのことが覆い尽くした 「ミナト…ミナトは兄さんに…」 「美風?」 ミナトは兄に何かをされたんじゃないか だから急に美風の前から消えたんじゃないか モヤモヤと消化し切れなかったものが、カチリとピースが合うようにハマる おかしいと思ってたんだ ミナトは根っからのおじいちゃんっ子で、その爺さんが亡くなったからって、今までほったらかしてた親族が迎えに来るなんて、そんなことあるのだろうか もし、兄がミナトに何かしたらなら 今ミナトが危険な状態にあるのだとしたら 「兄さんに、会わなきゃ」 「ダメだって、なあ、俺の話を…」 「友達が危ないんだ!今も助けを求めてるかもしれないのに」 急に立ち上がり家から出て行こうとする美風の腕を、悠雅が掴んで止める 美風は混乱と焦りで正常な判断ができていないと見なした悠雅は、必死に美風に声をかけたが、それでも美風は諦めなかった 「連れて行ってよ…お願い…」 「捕まったら何されるかわからないぞ」 「それでも、ミナトを見殺しに出来ない。助けないと…っ!」 美風の目はゆらゆら揺れていて、今にも泣き出しそうだった 今まで誰にも執着してこなかった美風が、悠雅に縋りついてまで、その子を救おうとしているのだ 断ることなど、到底できなかった 「待ってたよ。美風」 「…兄さん…」 美風が車から降りると、アパートの物陰から1人の人影が現れる 目深に被った帽子の下に覗くのは、かつて毎日飽きるほど見た彼の顔があった 凛々しく、どこかミステリアスな雰囲気を纏う彼は、美風と同じ腹から同時に生まれたというのに全く似ていない、双子の兄の姿 7年ぶりの再会だった 「来てくれてよかったよ。このままだったら俺が迎えに行ってたからね」 「…ひっ……」 「恭冴、頼むから辞めてくれ」 一気に距離を詰めてくる恭冴に、美風は恐怖で固まった 昔の記憶が一気に蘇る 信頼してた。尊敬してた。たった1人の僕の兄。 首を締められ、息も絶え絶えで犯された恐怖は今も生々しく美風の頭を支配した 怖い、動けない だがそんな美風と恭冴の間に入るように、悠雅が立ち塞がった 悠雅は美風を守るように自分の背に隠す その背中にどれほど安堵したか 美風は無意識に詰まっていた息を、目一杯吐き出した 「どいてよ。俺と美風の邪魔しないで悠雅」 「なあ、別に水差すつもりないが、酷いことはしないでくれ」 「お前が言うのか?こうなったのも全部、お前のせいなのに」 恭冴は立ち塞がる悠雅を目前に、余裕そうに腕を組む そんな恭冴の言葉に詰まるように黙る悠雅を一瞥して、後ろにいる美風に目を移した 「おいで美風、2人で話そ?」 「駄目だ、何するかわからない」 同時に2人から言われ美風は困惑する 恭冴にミナトの居場所を聞かなければならない でも2人きりは怖い 美風はおずおずと前に出るが、悠雅と繋いだ手は離さず、恭冴と距離を保ちながらではあるが、今美風のできる精一杯はここまでだった 「久しぶりだね美風。ほらどうしたの?ウチに帰ろう?」 「…ミナトは、どこ…」 恭冴は手を差し出すが、美風はその手を握ろうとはせず、よりいっそう悠雅の手を強く握る そんな美風に応えるように、悠雅も強く握り返した 美風はゴクリと喉を慣らし、やっとのことで出せた声は小さなものだったが、恭冴は聞き逃さなかったのか、首を傾げて目を細めた 「ミナト?」 「…っ、とぼけないで!兄さんが、ミナトに何かしたんでしょ…?」 恭冴は考えるように、長い指を口に持っていく そんな大したことない動作でさえ、美風はビクリと肩を揺らし、悠雅の方へ後ずさった 大丈夫、1人じゃない それだけが美風の平常心を保っていた 「その子が気になる?」 「兄さんお願い…ミナトを返してよ!」 懇願するように美風は言うが、対する恭冴はわざと悩むような仕草をする バクバクと跳ねる美風の心臓を見透かしたように、また目を細めて笑う 「彼はいないよ」 「ぅぐっ!」 彼がそう言った途端、美風の後ろで苦しげな声がして、振り返る そこには全身黒いスーツを着た男が、悠雅の首にスタンガンを当てていた スタンガンは先端からバチバチっと電流が流れており、それを押し付けられた悠雅は、力が抜けるようにバタッと倒れた 握っていた手もあっけなく離れていく 驚き目線をあげると、スーツの男と目が合った 「い、いやっ!」 威圧感に怯えて美風は後ろに後ずさるが、そこには恭冴が待ち構えており、後ろからを抱き込むように美風を捕らえた 「…ぅあっ」 「捕まえた」 恭冴の背は美風よりも高く、その腕にすっぽりと収まる美風に、逃げ場はなかった 見上げると、恭冴は上から覗き込むように見ていて、パチリと目が合う 美風は怯えるが、対する恭冴はとても嬉しそうに微笑んだ 強張る美風の頬を、本当に愛おしそうに撫でる彼の表情は、7年前に美風を無理矢理ベッドに縛りつけた時の顔そのものだった 「どうしますか、あれ」 「そのままでいいや。どうせそのうち起きるだろ」 美風達にスーツの男が近づいてきて、美風はさらに、体を強張らせた 逃げようと暴れるべきなのだが、男が待つスタンガンと、倒れた悠雅の姿を見てしまえば、何もできずに震えるだけになった 「それじゃあ行こうか、美風」 「あ…やだっ、いやだ…っ!」 恭冴に引きずられるように連れて行かれ、無理矢理車に押し込められる 俳優業で体を鍛えているのか、見た目よりも力が強くて、美風の細い腕では敵わなかった 美風の後に恭冴もすぐに車に乗って来ると、ドアを締め入口を塞ぎ、美風の腕を片手で一括りに掴み、シートに押さえつけ固定した 仰向け状態で身動き出来ない美風に、もう一方の手で美風の顔を自分に向かせると、いきなり深く味わうようなキスをしてきた 「んっ!?ふっ、ぅむ…んんっ」 「ああ、可愛い。俺の愛しい美風」 暗い車内でキスをされ、体を弄られてしまえば、恐ろしい状況だというのに美風の体は素直に喜んでしまう 熱くなり、息も荒くなって、視界が蕩ける 恭冴のキスは誰よりも獰猛なのに、とても柔らかく、まるで自分が食べられているように思える程で、そんな不思議な感覚にゾクゾクと背中が震えた 美風は夢中になってしまった キスに気を取られ、恭冴に薬を飲まされていることにも気づかないほど そんな美風を、恭冴はまた愛おしそうに見つめるのだ 頬を撫でてやると、とろんと溶けた美風の目が彼を捉えた 「続きは家に帰ってからにしようね。眠いでしょ?ちゃんと連れて帰るから、安心して寝なさい」 「…ぁ……」 恭冴が瞼にキスをすると、反射で瞑った美風の瞼はもう開くことはなかった 先程まで暴れていた美風の体はダラリと力が抜け、シートからはみ出していた 恭冴は美風に膝枕をするような体制で寝かせると、いつの間にか運転座席で待機していたスーツの男に車を出すよう指示した スーツの男は頷くと、すぐに車を発進させた 向かうのは恭冴が用意した美風のための家 恭冴はこの時をどれほど待ち侘びていただろうか ここまで準備するのに時間がかかってしまった 特に両親が恭冴に向ける執着が1番厄介で、2人を消すのに幾度となく苦労した とはいえ今は彼女達はどこにもいない 美風を傷つけるものは消えたのだ 邪魔者がいない、2人だけの楽園に行けるのだ 恭冴は喜びに心踊らせ、自身の膝で眠る、たった1人の弟を撫でた これからは怖いことなんて何もない 君を苦しめる者は、全て消した 俺が守ってあげるからね 「おかえり、美風」 恭冴の口は自然とほころんでいた

ともだちにシェアしよう!