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第54話 来たる日
「は?何言って…」
「いいか、落ち着いて聞いてくれ。恭冴が、お前のことを見つけたらしい…」
美風はその言葉を聞いた途端、笑顔のまま固まった
彼は何を言っているんだ?
あれからもう7年も経つのに、まだ兄さんは僕のことを探しているって言うのか?
そんなわけない
きっとタチの悪い冗談のはずだ
だが美風のそんな思いも虚しく、悠雅は真剣な面持ちで続けるように言った
「あのアパートにはもう帰るな。今頃恭冴があそこにいるはずだ」
「…確かなの?もう随分昔の話なのに僕を探してる?7年も経ったんだよ?」
「恭冴がお前に向ける執着は本物だ。今まで見てきたから俺にはわかる」
「そ、そんなこと言って、悠雅くんがなんか言ったんでしょ?僕の居場所をバラしたり…」
「美風、信じてくれ。俺は何もしてない。俺だって恭冴がお前を見つけることを望んでない…!」
悠雅は美風の肩を掴み、必死に誤解を解こうとした
その真剣さを見て美風は、これが嘘ではないと気づく
何故兄は今になって美風を追うのか
どうして居場所がバレたのか
疑問は溢れるほど思い浮かぶが、それよりも先に美風の頭の中をたった一つのことが覆い尽くした
「ミナト…ミナトは兄さんに…」
「美風?」
ミナトは兄に何かをされたんじゃないか
だから急に美風の前から消えたんじゃないか
モヤモヤと消化し切れなかったものが、カチリとピースが合うようにハマる
おかしいと思ってたんだ
ミナトは根っからのおじいちゃんっ子で、その爺さんが亡くなったからって、今までほったらかしてた親族が迎えに来るなんて、そんなことあるのだろうか
もし、兄がミナトに何かしたらなら
今ミナトが危険な状態にあるのだとしたら
「兄さんに、会わなきゃ」
「ダメだって、なあ、俺の話を…」
「友達が危ないんだ!今も助けを求めてるかもしれないのに」
急に立ち上がり家から出て行こうとする美風の腕を、悠雅が掴んで止める
美風は混乱と焦りで正常な判断ができていないと見なした悠雅は、必死に美風に声をかけたが、それでも美風は諦めなかった
「連れて行ってよ…お願い…」
「捕まったら何されるかわからないぞ」
「それでも、ミナトを見殺しに出来ない。助けないと…っ!」
美風の目はゆらゆら揺れていて、今にも泣き出しそうだった
今まで誰にも執着してこなかった美風が、悠雅に縋りついてまで、その子を救おうとしているのだ
断ることなど、到底できなかった
「待ってたよ。美風」
「…兄さん…」
美風が車から降りると、アパートの物陰から1人の人影が現れる
目深に被った帽子の下に覗くのは、かつて毎日飽きるほど見た彼の顔があった
凛々しく、どこかミステリアスな雰囲気を纏う彼は、美風と同じ腹から同時に生まれたというのに全く似ていない、双子の兄の姿
7年ぶりの再会だった
「来てくれてよかったよ。このままだったら俺が迎えに行ってたからね」
「…ひっ……」
「恭冴、頼むから辞めてくれ」
一気に距離を詰めてくる恭冴に、美風は恐怖で固まった
昔の記憶が一気に蘇る
信頼してた。尊敬してた。たった1人の僕の兄。
首を締められ、息も絶え絶えで犯された恐怖は今も生々しく美風の頭を支配した
怖い、動けない
だがそんな美風と恭冴の間に入るように、悠雅が立ち塞がった
悠雅は美風を守るように自分の背に隠す
その背中にどれほど安堵したか
美風は無意識に詰まっていた息を、目一杯吐き出した
「どいてよ。俺と美風の邪魔しないで悠雅」
「なあ、別に水差すつもりないが、酷いことはしないでくれ」
「お前が言うのか?こうなったのも全部、お前のせいなのに」
恭冴は立ち塞がる悠雅を目前に、余裕そうに腕を組む
そんな恭冴の言葉に詰まるように黙る悠雅を一瞥して、後ろにいる美風に目を移した
「おいで美風、2人で話そ?」
「駄目だ、何するかわからない」
同時に2人から言われ美風は困惑する
恭冴にミナトの居場所を聞かなければならない
でも2人きりは怖い
美風はおずおずと前に出るが、悠雅と繋いだ手は離さず、恭冴と距離を保ちながらではあるが、今美風のできる精一杯はここまでだった
「久しぶりだね美風。ほらどうしたの?ウチに帰ろう?」
「…ミナトは、どこ…」
恭冴は手を差し出すが、美風はその手を握ろうとはせず、よりいっそう悠雅の手を強く握る
そんな美風に応えるように、悠雅も強く握り返した
美風はゴクリと喉を慣らし、やっとのことで出せた声は小さなものだったが、恭冴は聞き逃さなかったのか、首を傾げて目を細めた
「ミナト?」
「…っ、とぼけないで!兄さんが、ミナトに何かしたんでしょ…?」
恭冴は考えるように、長い指を口に持っていく
そんな大したことない動作でさえ、美風はビクリと肩を揺らし、悠雅の方へ後ずさった
大丈夫、1人じゃない
それだけが美風の平常心を保っていた
「その子が気になる?」
「兄さんお願い…ミナトを返してよ!」
懇願するように美風は言うが、対する恭冴はわざと悩むような仕草をする
バクバクと跳ねる美風の心臓を見透かしたように、また目を細めて笑う
「彼はいないよ」
「ぅぐっ!」
彼がそう言った途端、美風の後ろで苦しげな声がして、振り返る
そこには全身黒いスーツを着た男が、悠雅の首にスタンガンを当てていた
スタンガンは先端からバチバチっと電流が流れており、それを押し付けられた悠雅は、力が抜けるようにバタッと倒れた
握っていた手もあっけなく離れていく
驚き目線をあげると、スーツの男と目が合った
「い、いやっ!」
威圧感に怯えて美風は後ろに後ずさるが、そこには恭冴が待ち構えており、後ろからを抱き込むように美風を捕らえた
「…ぅあっ」
「捕まえた」
恭冴の背は美風よりも高く、その腕にすっぽりと収まる美風に、逃げ場はなかった
見上げると、恭冴は上から覗き込むように見ていて、パチリと目が合う
美風は怯えるが、対する恭冴はとても嬉しそうに微笑んだ
強張る美風の頬を、本当に愛おしそうに撫でる彼の表情は、7年前に美風を無理矢理ベッドに縛りつけた時の顔そのものだった
「どうしますか、あれ」
「そのままでいいや。どうせそのうち起きるだろ」
美風達にスーツの男が近づいてきて、美風はさらに、体を強張らせた
逃げようと暴れるべきなのだが、男が待つスタンガンと、倒れた悠雅の姿を見てしまえば、何もできずに震えるだけになった
「それじゃあ行こうか、美風」
「あ…やだっ、いやだ…っ!」
恭冴に引きずられるように連れて行かれ、無理矢理車に押し込められる
俳優業で体を鍛えているのか、見た目よりも力が強くて、美風の細い腕では敵わなかった
美風の後に恭冴もすぐに車に乗って来ると、ドアを締め入口を塞ぎ、美風の腕を片手で一括りに掴み、シートに押さえつけ固定した
仰向け状態で身動き出来ない美風に、もう一方の手で美風の顔を自分に向かせると、いきなり深く味わうようなキスをしてきた
「んっ!?ふっ、ぅむ…んんっ」
「ああ、可愛い。俺の愛しい美風」
暗い車内でキスをされ、体を弄られてしまえば、恐ろしい状況だというのに美風の体は素直に喜んでしまう
熱くなり、息も荒くなって、視界が蕩ける
恭冴のキスは誰よりも獰猛なのに、とても柔らかく、まるで自分が食べられているように思える程で、そんな不思議な感覚にゾクゾクと背中が震えた
美風は夢中になってしまった
キスに気を取られ、恭冴に薬を飲まされていることにも気づかないほど
そんな美風を、恭冴はまた愛おしそうに見つめるのだ
頬を撫でてやると、とろんと溶けた美風の目が彼を捉えた
「続きは家に帰ってからにしようね。眠いでしょ?ちゃんと連れて帰るから、安心して寝なさい」
「…ぁ……」
恭冴が瞼にキスをすると、反射で瞑った美風の瞼はもう開くことはなかった
先程まで暴れていた美風の体はダラリと力が抜け、シートからはみ出していた
恭冴は美風に膝枕をするような体制で寝かせると、いつの間にか運転座席で待機していたスーツの男に車を出すよう指示した
スーツの男は頷くと、すぐに車を発進させた
向かうのは恭冴が用意した美風のための家
恭冴はこの時をどれほど待ち侘びていただろうか
ここまで準備するのに時間がかかってしまった
特に両親が恭冴に向ける執着が1番厄介で、2人を消すのに幾度となく苦労した
とはいえ今は彼女達はどこにもいない
美風を傷つけるものは消えたのだ
邪魔者がいない、2人だけの楽園に行けるのだ
恭冴は喜びに心踊らせ、自身の膝で眠る、たった1人の弟を撫でた
これからは怖いことなんて何もない
君を苦しめる者は、全て消した
俺が守ってあげるからね
「おかえり、美風」
恭冴の口は自然とほころんでいた
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