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第57話 理解

あれからまたしばらく経ったが、最近はあまり体が思うように動かない 気分が悪いとかではないが、眠気がひどく、兄がいない時間はほとんどを寝て過ごすようになった 食べては寝ての繰り返しで、おかげで辛い留守番時間は、寝ていてあまり記憶がないため気持ち的には楽だが、はたして本当にこのままでよいのか と、思いながら、やはり眠気には抗えず、今も食事を取りながらも、コクリと自分の頭が揺れたのがわかった 「眠い?」 「…うん、少し…」 やっとの思いで体を起こして、兄に食事を食べさせてもらっているが、お腹がいっぱいになるとまた眠くなってしまうのだ まるで赤ちゃんに戻ったような気分になる 「じゃあ、もうやめとこうか」 そう言うと兄は、半分ほども残っていた食事を片付けると、ベッドに寝転がる美風の背中に回り込み、後ろからハグをするように抱きついてきた いつもなら頭を撫でて美風が眠るのを見守ってくれるのに、今日は一緒に寝るのだろうか 静かな部屋に2人の呼吸だけが響いてなんとなく気まずかった美風は恐る恐る口を開いた 「…最近、疲れてるね」 「そうかな、そうかもね。」 恭冴は背中越しに頭を擦り付けてくる こういう時だけは兄がとても年下のように思えてくる 実際、双子なのだから歳の差など存在しないのだが 今なら聞きたいことが聞けるかなと思った美風はぶっちゃけるように聞いてみた 「ミナトは、どこにいるの?」 「ミナト…わからない。俺は知らないよ」 やはり兄は教えてくれないのだろうか ここに来てずっと考えているのはミナトは無事なのかということ ミナトのことが心残りで、もし恭冴を怒らせてしまったらミナトに危害が及ぶと思うと怖くてできなかった もしミナトが、今危ない状況にあるのなら、自分がどうなってでもいいから助けたい むしろ、ミナトが危なくなっているのは、美風のせいなのだ 彼のためならなんだってできるのに 「ミナトって子は、どう言う子なの?」 「え、…えっと、いい子だよ。素直で純粋で、天使みたいな子」 「美風はミナトが好き?」 「………」 兄の言葉を聞いて、美風は息を呑む 美風がミナトのことを好きかなんて考えたこともなかった ミナトは初めての友達で、一緒にいると心が踊るような人だった でも、よくよく考えたら、そうなのかもしれない 誰といるよりも、ミナトが1番心地よかった 美風のために泣いてくれたあの夜を思い出す 汚れた美風のために、心から泣いてくれる暖かな心の持ち主 そうか、僕は、ミナトが好きなんだ 「…好き、ミナトのこと。僕の大切な人…だから…」 「そう。じゃあ、無事だといいね」 「…え?」 だから、ミナトを解放して欲しい、と頼もうとしたところで、恭冴から予想外の返答が帰ってきて、美風は素っ頓狂な声が出た どういうこと? 兄はミナトに何かして、ミナトは兄に捕まっているんじゃ? 美風は驚いて恭冴の方に寝返る 彼の顔がすぐ目の前にあり訝しげにまじまじ見つめた 「兄さんが…ミナトに何かしたんじゃ…」 「俺は美風に嘘はつかないよ。それに、美風の大事な人なら、俺にとっても大事な人だ」 兄は真顔で真剣に答えた 美風の目にはとても嘘をついているようには見えなかった そうか、じゃあ、ミナトは本当に 心にあった突っかかりがようやく取れる 全て美風の早とちりだったのだ ミナトは危険なんかじゃないし、恭冴も何かしようとなんてしていない よかった 美風はホッと胸を撫でおろし、再び恭冴を見やる そういえば、美風の大事な人なら、俺にとっても大事な人だ、と言っていたが、いったいどういう意味なのだろう 普通こんな状況、漫画や小説だったら、俺以外を愛するなっ!などと怒る場面ではないのだろうか まさかここまで執着しといて、美風のことを好きじゃないなんて、そんなことあるはずないだろう 「…兄さんは、それでいいの?僕がミナトを好きなこと」 「どうして?ミナトは美風の大切な人なんでしょ。だったら俺にとって恩人みたいなものなんだよ」 兄は当たり前のように言うが、美風は意味がわからなかった なぜ兄がそんなことを気にするのだ 確かに美風はミナトが大切だが、それがなぜ兄の恩人になると言うのだ わからずきょとんと頭を傾けていると、恭冴は突然、美風の着ていた服を徐に捲し上げた 「っ!ちょっ…」 「この傷も、痣も、噛み跡も、キスマも全部美風が生きた証。美風を生かした証なんだ…」 恭冴に何かされると思った美風は慌てるが、そんな美風を他所に、恭冴は美風の体に残る傷跡を優しく撫で始めた 体の傷のだいたいはそういう趣向の客がセックス中につけたものだが、美風にとっては忌々しいそれらを、恭冴は大事そうに撫でる 意味がわからず固まった 生きた証?そんな大層な物じゃない 食べるためにお金が必要だったから、セックスして稼いだだけだ その傷を兄は優しく撫でるのだ まるで美風の汚い過去もまるめて、認められたような、変な気分になる 「こんなにボロボロになっても、美風を見捨てなかったミナトって子は、きっと美風の生きる意味。生かしてくれた人。だから、恩人」 そう言って恭冴は捲し上げた服を優しく元に戻した でもそこまで聞いてもやはり美風はわからない 兄は不思議な人だ。美風には言っていることも難しく、理解できない 「兄さんは、僕をどうしたいの?ここに閉じ込めて、僕を洗脳したいんじゃ…」 「そんなわけない。美風に愛されていなくたって、俺は美風を愛し続けるし、仮に美風を洗脳して俺を好きにさせても…嬉しくない…美風自身が好きになってくれないと、意味がない」 「だったらどうしてっ」 「俺はただ、美風には正直にいて欲しい。昔みたいに、本音で話し合いたい」 「………兄さん?」 兄はぐりぐりと美風の胸に頭を埋める その行動は少年の面影があり、声は微かに震えているような気がした 「美風はいつも誰にでも偽ってる。本音を隠して、誰かの理想になろうとしてる」 兄の言っている意味がわからない 人間なんてほとんどそんな物だろう 隠して我慢してなんぼの世界なのだから当たり前だ バカ正直に生きてる奴の方が少ないんだから 「もっと怒ってよ。どうして外に出してくれないのって。勝手なことしないでって、昔みたいに俺を叱ってよ」 「…」 美風は困惑した 兄はこんな子供じみたことを言うような人だっただろうか それにそんなこと言ってるけど 「…怒ったら、外に出してくれるの?」 「今はできない」 ほら、やっぱり 口に出したところで叶わないことを言ってどうするのだ 意味のないことはしたく無い でも、これはいい機会だろう あの事が気になる 兄と美風の間に亀裂が入ったあの夜のことを 「…じゃあ、中学のころ、どうして僕を無理矢理犯したの?」 「あの時は俺が馬鹿だった。自分の気持ちを一方的に美風に押し付けて、美風の気持ちなんて考えてなかった。反省してる。美風がいなくなってやっと、自分のしたことに気づいた」 恭冴は頭を埋めたままだが声は真剣で、これが恭冴の本心なのだと美風にも伝わった 「苦しかったんだよ…すごく辛いし、たくさん悩んだんだよ…」 「わかってる、ごめん」 恭冴はやっと顔をあげると美風の目をじっと見つめた 眉が薄ら潜められた顔は、まるで大型犬が叱られている時のような情けなさがあった 昔からなんでもできる兄のそんな姿は、美風も初めてだった あれ、今確かに反省している。と言っていたが、この前無理矢理犯された記憶がある この部屋に来た初日に、腕を縛られたのを美風は思い出した 「ちょっとまって、この前のは?あれも強姦じゃないの?」 「あれは…美風が可愛いのが悪いよ」 「反省してないじゃんっ!今の謝罪はいったい何だったの…っんっ」 恭冴の言葉に馬鹿らしくなった美風は、恭冴の腕から逃れようと暴れてみるが、やはり兄の腕はびくともしない それどころか、恭冴は暴れる美風の唇に軽いキスをお見舞いした 突然のことに驚き固まると、恭冴は自身のおでこをコツンと美風のおでこにくっつけた 「ごめんなさい」 「…もう、やめてね」 「わかった」 鼻がつくほど至近距離で謝られて、美風はそう言わざるを得なかった 自分の顔が熱くなっているのがわかる その顔を見て、恭冴は何を思ったのか、衝撃的なことを言った 「美風、セックスしていい?」 「!?もっ、ほんとに反省してるの!?」 「してるよ。だから聞いた」 「聞けばいいってわけじゃ、あっ、ちょおっ!」 結局恭冴は止まることなく、美風はそのまま組み敷かれた 次の日目を覚ますととんでもなく体が痛かったが、サイドテーブルには薬と水が置いてあった 美風は起き上がると少し迷った挙句、その薬を飲み込んだ 前までは警戒して飲まなかっただろうが、それを気にせず飲めたのは、昨夜兄と話して、美風の考えが変わっていたからだろう 久しぶりに兄と気兼ねなく話すことができた お互い本音で話し合えたのはもうずっと前のことだ 物心ついた時から、美風は兄と無意識に距離を置くようになっていたからだ 兄もそれに気づいて、何かと美風を気にするようになったが、美風はそれをめんどくさいと思ってしまったのだ 兄からしたらそれはとても酷だろう 返って来ない優しさを、それでも美風に注いでくれる兄と、向き合わなかったのは美風の方だったんじゃないだろうか だからしっかり話せてよかった 昨夜見た兄の姿は見たことのないほど甘えたで、美風の知らない姿だったが、悪い気はしなかった もう兄に恐怖は感じない 歩くたびにカチャカチャとなるこの足枷も、もちろん邪魔に思うが、前よりも忌々しく思わなくなっていた 少し待ってみるのもいいかもしれない ミナトがいない今、美風に失う物はないのだから、ならばとことん兄に付き合って見るのもいいだろう きっと、長年目をそむけ続けたツケが回ってきたのだ 今度こそ、分かり合えるように 美風はまた、この白い部屋で兄の帰りを待つのだった

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