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第60話 終わり

「…兄さん、起きて」 「………」 「兄さん」 「…っ、み、…さ」 床に倒れたままの恭冴を見つけると、美風は体を揺さぶって恭冴を起こす 恭冴はスタンガンを押し付けられていた時間が短かったため、意識は戻るがまだ体は動かせない 薄く開いた目が美風を捕らえる 動かせない恭冴の代わりに、美風は恭冴に膝枕をするような形で上向きにした ベッドの上では必ず美風が見下ろされていたが、今では美風が恭冴を見下ろしていることに不思議な感覚を覚えた 「僕ね、もう行っちゃうよ。兄さんとはもう一緒にいられない」 「…さっ、みかさ、ダメだ、まだ外に出ちゃ…」 「うん、ちゃんとわかってるよ。兄さんがずっと僕のこと大事にしてくれてることも、心配してくれてることも」 恭冴は美風の頬に手を伸ばすが、痺れた腕では上手く上がらない 美風はそれを手伝うように恭冴の手を取り自ら頰ずる 子供の時以来の甘えるような行動は、久しぶりなのにやけにしっくり来てしまった 「兄さんのこと、ちゃーんと好きだよ。僕だって兄さんが大切だ」 「…美風…」 「でもね、僕ら一緒にいちゃいけないんだよ。」 美風は静かにそう言うと、恭冴は押し黙る 美風と恭冴は双子で、当たり前だが血も繋がっている だからこそ兄弟同士でこんなことするのはいけないことだとは分かっている だが、恭冴が美風に向ける感情は異常だが、美風も少しは罪悪感を感じているのだ 美風には今まで好きだと思える人がいなかった まともに恋愛などせず、他人と一夜限りの関係を持ち続けてきた だがミナトという存在を知り、今では兄の気持ちがよくわかってしまったのだ 愛する人に避けられ続けるのは耐え難い苦痛なのに、兄は7年という時が経っても美風を思い続けていたのだ 自分がしてきた仕打ちを思い出し、兄の気持ちを理解してしまった美風は胸が痛くなった かと言って兄の傍にはいられない 謝りもしない 兄が取る異常行動は美風が存在する限り続く 兄をおかしくしているのは美風なのかも だから離れるしかない 生まれる時は一緒だったのに、これほどまで気持ちがすれ違ってしまうのはとても悲しい それでも美風は兄に答えることができない それならば、兄には早々に見切りをつけて美風以外の大切な人を見つけて欲しい それが、兄と僕の最善なのだろう 「さよなら、兄さん」 「ま、って、…まってみかさ…っ!」 恭冴は何かを伝えようと美風の腕を掴むが、その力は弱く、するりと簡単に外れてしまった 美風はこれ以上期待を持たせないようにと足早に地下室を離れた 階段を登り上に行くと、先ほどは一瞬しか見れなかった1階の内装が目に入る 一角の部屋から光か漏れているのが気になった美風は、吸い込まれるように部屋に向かった ドアを開けるとそこには美風の部屋があった 比喩ではなく、家出前の美風の部屋がそのままそこにあったのだ ベッドの位置からカーテンの色、壁に貼られたメモまでもが、全て美風の記憶通りに再現されていた そして美風の目に、1つの写真立てが見えた 近づくとその写真がはっきり見えた 「兄さんこれ持っててくれてたんだ。懐かしいな」 そう言って手に取るのは、美風と、その隣で笑顔にピースをする、美風の叔父の姿があった 背景は病院で、叔父はたくさんの管に繋がれていたが、どんな時も美風の前では笑顔でいてくれた とても懐かしく、暖かい思い出だ 美風は写真立てごと手に取ると部屋を出た 外には亮介さんが待機しており、美風の姿を見つけると嬉しそうに手を振った 「終わった?」 「うん、もう大丈夫」 亮介さんは美風を再び車に乗せるとエンジンをかけ走り出した 次はもう戻ることはない カーブミラーに目をやると、後ろで小さく兄の姿を見た気がした きっと気のせいだろうけど 「で、どうする?」 「…まあ、こっちにいても仕方ないしなぁ。じゃあ行くよ、気に入らなかったら帰ってくればいいし」 「そう来なくちゃ」 亮介さんは嬉しそうに声を高げると、ハンドルを切ってスピードを上げた これでやっと蹴りがついた 長い間思い悩んでいたが、ミナトにはもう会えないし、気にすることは何もない 車の窓を開けて顔を出すと、2ヶ月ぶりの清々しい空気が肺いっぱいに広がった 「そういえば響さんは?あの人にも会いたい」 「響さんねぇ、美風がいないからって無理して美風探してたからぶっ倒れて入院してる」 「なんか、想像できる」 響さんにはかなりお世話になったしお礼をしてから去りたいが、彼は今意識がないようだ 時間もないらしく響さんの目が覚めるまで待ってられない それに美風に会えばきっと行かないでくれとか、引き止められるんだろうと考えるとかなり面倒だ 会うのは諦めよう 「亮介さんスマホ貸して」 「いいよ、響さんに?」 「響さんには後で連絡する。もう1人、お世話になった人がいるから」 亮介さんが取り出したスマホを美風は受け取ると、記憶頼りに番号を打った 美風はスマホを耳につける まさか自分から連絡をするとは思っていなかったし、今もよく思っていないが、これが最後となれば、やはり一言くらい話してやってもいい 最後にあいつにさよならを言わなくては 嘘でも僕に愛をくれた あいつに 『…はい…』 「あ、もしもし悠雅くん?元気?」 『…っ!もしかして美風か!?どうして電話に…』 しばらくすると、プルル…といった音が途切れ、通話相手の男の声が出る 反応を聞くに、悠雅も恭冴とグルだったのか、美風が電話できることに驚いていたらしい そんなところにもムカついたが、美風はその気持ちを抑え、なるべく手短に話すことにした 「それより、僕もう日本出るから。最後に挨拶したくて電話しただけだから」 『出るって…海外にか?』 「そう。だからもう兄さんの代わりは出来ない」 『………』 美風がそう言うと悠雅は黙り込む 何か言おうとして、小さく息を吸い込む音が微かに聞こえた 『美風、俺、本当は恭冴じゃなくてお前を…』 「知ってるよ」 悠雅が決意したように言った言葉を、美風はあっさりと遮った 美風の言葉を聞いて悠雅は驚いたように息を呑む 美風自身、悠雅が本当に好きな相手は兄ではなく自分だと言うことには、かなり最初の方に気づいていた それでも知らないふりしたのは、美風がその気持ちに答えられないからだ つまり兄と同じく、彼には美風のことは忘れてほしい 答えられない気持ちは受け取らない これは美風が小さい時から無意識に持っていた自己防衛のようなものだった 「だって、僕と兄さんは全然似てないもんね」 『…そうか、そうなんだな』 画面越しに聞こえる声は落胆しているのか、それとも拍子抜けしているのかわからないが、彼も美風の意図を汲み取ってくれたのか、それ以上はこのことについて話さなかった 『もう帰ってこないのか?』 「わからない、でも悠雅くんにも兄さんにももう会わない。永遠にね」 『そうか…わかった。ありがとう』 「うん、じゃあね」 『あっ、待て!』 美風が電話を切ろうとした途端、悠雅が慌ててそれを止めた 美風もそれに合わせて指を止めて、再び耳にスマホを押し当てた 「何?」 『その…今まで悪かった…本当に』 「……兄さんをよろしく」 悠雅はそう言った 美風はその言葉に答える事はせず、兄のことだけ言ってそっと通話を切った 今の謝罪は何のため? 昔のイジメのこと?美風を閉じ込めたこと? どちらにせよ、美風はそれを許すことはできないが、怒っているのかと聞かれれば、別に今更なんとも思っていない でも彼の謝罪は受け取れない だから何も言わずに電話を切った ただそれだけだった 「もういい?」 「うん、ありがとう。助かったよ」 美風は持っていたスマホを亮介さんに返す これで心置きなく飛行機に乗ることができるだろう 「それにしても、どうして僕は兄さんを怖がっていたんだろう?もっと早くこうすればよかった」 「誰にだって怖いもんはあるさ。それで、今の気持ちはどう?」 「スッキリしてるよ。今までにないくらいにね」 「それはよかった!」 亮介さんは愉快そうに笑って、気分がよくなったのか車内に軽快な音楽を流し始めた 美風はその音楽を尻目に再び窓の外に目を向ける 日本らしい建物や人々の服装も今日でおさらばだ もう疲れてしまった 何度願おうと叶わない夢をおんぶして歩く人生に 別れを告げる そして新たなる第一歩だ 美風の心はとても晴れやかだった この話はこれでおしまい。 これからは今までの僕を捨て、また別の物語が始まるだろう 長いような短いような、そんな日々だったが案外嫌いでもなかった 向こうに行ったらどう過ごそう 美風の意識は遠い国々の、美しい街に向いていた 向こうについたらミナトに手紙を送ろう 住所はわからないから、あのバーに送れいいだろう あそこのマスターはヤクの売人だからそれを脅しに使えば、手紙くらい受け取ってくれるはずだ そして、いつかミナトが帰ってきた時、その手紙を読んでくれるといいな 「ばいばい、ミナト」

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