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$7.騙しの条件⑧
予想もしなかった郁の反応。出会って初めて否定ではない返事を返された気がする。ただ褒められるとムズがゆい気持ちですんなりと受け入れられずになんだか気持ち悪い。
『何言って……似合ってはないし。ってか、、近いんだけど』
「何だ、褒めてやってるのに素直に喜べ」
『女装が似合うって言われたって嬉しくもなんともねーし』
初人は掴まれた手を振り払って様子が違う気味が悪いと後ろに下がって距離を取った。言葉だけではなくいつもの能面の様に顔を崩さない郁が少し笑みを浮べた。
「あと問題はここか」
『ちょ、っ!何すんだ変態野郎っっ』
初人の胸の片方を服の上から触ってグイッと掴んだ。バストの膨らみなんて男の中でも華奢な体型の初人にあるはずもなく、掴んでも何の感触はなくスカスカッと手を掠 める。
突然胸をつ触られて当然のように抵抗し声を上げた。
「誰が変態だ」
『身体触ってくるからだろっ』
「大袈裟だな、これぐらいで騒ぐな。女でもあるまいし」
褒められて一瞬気を許した雰囲気が漂ったのも束の間、毎度恒例の啀 み合いが始まる。様子が気になった店員が遠くからひょっこりフィッティングルームを覗いているが、触らぬ神に祟りなしと完全に二人にお任せ状態。
郁は腕を組んで"他もだ"と選んだ別の服も全て着ろと指示する。
嫌々ながらも試着しては見せ、また試着しては見せを繰り返す。服のタイプも様々で郁もその都度意見は言わないが時々頷いたり首をかしげたり反応を見せる。
「よし、いいだろう。終わりだ」
『疲れた、、ったく一着で充分なのに何でこんなに必要なわけ?』
「ほとんど訓練用だ」
『はっ?って事は今度からこれ着て食ったりすんのかよ!?』
「そうだ。ぶっつけ本番でいける訳ないだろ」
『マジか、最悪なんだけど』
気がつけばこのビルに着いて随分と時間が経っていたが、ほとんどは初人と服選びで郁のスーツなんて一瞬だった。結局はその為に連れてきたんだろう、やっと帰れるといつものラフな私服に着替えると気持ちが落ち着いた。
「お気に召したものはございましたでしょうか」
「ああ、これを全部くれ」
最終的に選んだほとんどの服を購入することになり金額にすると初人の給料の三倍くらいか。勿体ないと思う初人の真横でスムーズにクレジットカードを切る郁が少しご機嫌に見えた。
両手いっぱいのショップ袋を持つのはもちろん初人の役目で着せ替え人形になったかと思えば今度は荷物持ちで踏んだり蹴ったりだ。
《ありがとうございました!》
深く頭を下げた店員達に見送られて店を出ると服部が待ち構えていて、車のドアを開けるさっさと乗り込む行く。その後ろで手一杯にぶら下がった服の入ったショップ袋を見て、服部が意味深な笑みで"ご苦労様でした"と言って受け取った。
トランクに入れて運転席
「じゃあ次の場所へ」
「かしこまりました」
『は?まだあんの?もうこんなに買ったし充分だろ」
「これで終わりとは誰も言っていない」
初人は郁の言葉に車に乗る足を一旦止めて不服そうに顔を歪めて言った。考えてみれば靴やメイク道具やウィッグ、まだまだ女になりきるために必要な物はたくさんある。きっとまた行く店で恥ずかしい思いしなくてはいけないんだろう。
『行きたいなら勝手に行けば。俺はもう帰るからな、疲れたし』
「そうかそれは残念だな。服部、次の場所には行かなくていいそうだ」
「あら、そうですか。では警察行きはキャンセルですね」
今の初人にとって一番過敏な"警察"と言うワード。郁とは取引きして盗難の件はチャラになっているはず。だから今こうやって恥ずかしい思いにも耐えてる。だとするとここでの警察とはもしかして。
『えっ?待って!!警察ってー…』
「留置所ですよ。そう、お父さんがいる場所です」
『っっお父さんに会えんの!!?』
笑顔で頷いた服部はどうぞと車内に手を差し出した。初人は突然で嬉しい信じられない気持ちと少し疑いの気持ちで車内で足を組んで座っている郁を見た。
『お父さんに会えるって、、本当だよな……?』
「行くのか行かないのかどっちだ?強制ははしない、お前が決めろ」
『えっ、!行くよっ、行くに決まってんだろ』
「それなら早く乗れ。時間の無駄だ」
バタバタと乗り込みまた同じ場所に座ると服部がゆっくりとドアを閉めた。まだしばらくは父親に会えないと思っていた初人にとって、突然の再会に少しの緊張感を乗せて車は動き出した。
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