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9 喧嘩(※)
単位を落とすこともなく、おれは無事二年生に進級した。再び桜の季節が巡ってくる。春になる度、先生との出会いのシーンを思い出す。麗らかな風と澄んだ青空。眩い桜吹雪と瑞々しい若葉。そして、そんな美しい情景に一際映える先生の姿。黒いスーツに身を包み、凛と引き締まって見えた。きっと一生忘れない。
「そういえば、君を一目見た時、学校に桜の妖精が迷い込んだのかと思ったんだ。でも喋ってみたら普通の人間で、安心したことを覚えている」
近所の公園へ花見に行ったら、そんな恥ずかしいことをあっさり告白された。おれはもちろん茹蛸のように赤面し、おれだって先生を一目見た時は月9の主演俳優でも現れたのかと思った、と言おうとして、一層恥ずかしいことに気が付いてやめた。
付き合って一年以上が経過してもこんな調子のおれと先生だが、しかしいついかなる時でも常に必ずラブラブでいられるわけではない。些細なことで諍いを起こすことだってある。人間だもの。
「なんでダメなの!」
「駄目なものは駄目だ」
「別にいいじゃん、ちょっとくらい!」
「ちょっとならいいとかいう問題じゃない」
「んもぅ~~……先生のケチんぼ! 石頭! 頑固親父!」
「なっ!? 頑固親父は酷いだろう!」
「もういいもん。先生がダメって言ってもおれの勝手にするから!」
そう宣言し、ハイボールの注がれたグラスを手にした。飲もうとして、即座に先生に阻止される。
諍いの原因というのはつまり、一杯くらいお酒を飲んでみたいという、おれの些細な我が儘だ。この時期は連日のように新入生歓迎イベントがあり、その中にはアルコールが出るような催しもある。飲むか飲まないかは個人の自由だけど、おれももう二年生だし、一応男だし、それに当然興味があるし、一度くらいアルコールの注がれたグラスで乾杯してみたい。
そんなにおかしなことは言っていないと思うのだが、先生は絶対に駄目だと言って許してくれない。その時たまたま先生が晩酌中だったから、じゃあ家で練習してからならいい? とこちらが譲歩してもやっぱり駄目。それでおれは、先程のような暴挙に出たというわけだ。
「いいじゃん、最初の一杯だけ! あとはずっと烏龍茶にするから!」
「だから、一杯だけならいいとかそういう問題じゃないんだ。君はまだ十九で、万が一何かあったら大変だろう。それに、俺は君の親御さんから大事な息子さんを預かっている身なんだ。何かあったら、本当に取り返しが付かない」
「そうやっていっつも子供扱いする! おれはもう先生の生徒じゃないのに、先生はいつまでも先生みたいなことばっかり言って! おれ、もう高校生じゃないんだよ。自分のことくらい自分で責任持てるのに。いつまでも子供扱いしないで!」
「君な、そんなこと言って――」
「大体先生は過保護過ぎなの! おれのこと信用してないんでしょ! おれがいつまでも子供のままでいればいいって思って――」
突然肩を強く押され、ソファに倒れた。先生は片手だけでおれを押さえ付ける。
「……だったら、試してみるか?」
あっ、まずい。と本能的に思った。この目はまずい。見たことがない。本気で怒らせちゃったかも、と後悔したのも束の間。
先生はグラスを呷り、そのまま乱暴に唇を塞がれた。それだけでなく、何やら温い液体を流し込まれる。シュワッと炭酸が弾け、むっとするアルコール臭が鼻腔を覆う。否応なく流れ込んでくるので、仕方なく飲み干した。唇が離れていっても、木材を燻したような癖のある苦味が舌に纏わり付いている。
何これまっず! と文句を言おうとしたのに、キスで再び口を塞がれる。そしてまた、否応なしにアルコールを注がれる。三口目、四口目、と息を整える間も与えられずにキスが続く。舌や喉にアルコール臭が染み付いていく。だんだん体が熱くなってきて、頭がぼんやりしてきて、視界が霞んでくる。
「んっ……ふぁ、……」
一体どれくらいの量を飲まされたのか分からないが、どうやらおれは酔っ払っているらしかった。身も心もふわふわしている。今なら重力に逆らって空も飛べそう。羽根が生えている感じ。不思議なくらいに愉快で大らかな気分だ。
「はぁ……君、やっぱりとんでもない下戸じゃないか」
「ゲコ……蛙?」
「違う。酒が飲めないか、極端に弱い人のことだ」
「おれ、弱いの?」
「弱い。すごく弱い。前にも言っただろう」
先生の口がぱくぱく動いて、赤い舌がちょろちょろ見え隠れするのが気になり、目で追ってしまう。先生は呆れたように溜め息を吐く。
「暁、聞いてるのか?」
「え? うん……ねーぇ、せんせ……」
なんだかとても口寂しい。キスしたい。ねだるように唇を開き、抱きしめてほしくて両手を差し出した。先生はすぐに察してくれる。頭を撫でられ、顔が近付いてくる。嬉しくて、うっとりと目を瞑った。しかし、
「ひぁっ!?」
冷たい手が裾から這入ってくる。腹を撫でられ、全身鳥肌が立つ。
「ひぁ、ん、なんで……?」
「忘れてたが、喧嘩の最中だったな」
「やっ、も、いいよぉ、そんなの」
「いいや、よくない。もしも外で酒なんて飲んだらどうなるか、しっかり教えてやらないとな。それが大人の責任ってやつだ」
「なにそれぇ……うぅ……せんせぇの手、なんでこんな冷たいのぉ……」
「暁の体が熱いんだ。こんなに真っ赤でどうするつもりだ」
「どうもこうも……ひゃぅっ」
きゅ、と乳首を摘ままれた。最初の頃はくすぐったいだけだったのに、最近はそれだけじゃない。性器を弄られるのとはまた違う官能が、細波のように全身に広がる。
「やっ、やぁ、それやだぁ」
勃起した乳首はますます敏感に快感を拾い上げる。乳輪を爪でかりかり引っ掻かれ、固く尖った乳頭をぎゅっと押し潰されると、堪らず声が漏れてしまう。おれがそうされるのを好きだってことを先生は知っているから、何度も繰り返して愛撫する。
そのうち、片方は指で、もう片方は口で愛撫し始める。唾液たっぷりのぬるぬるの舌で乳輪をくるくる舐められて、それだけでも痺れるほど気持ちいいのに、さらに突起を甘噛みされると腰が跳ねてしまう。乳首が気持ちいいなんておかしいような気がするのに、体が勝手に反応するのだ。
「随分いやらしい体に成長したな、暁」
「だ、だって、せんせぇが……んぁ、やだぁ、くりくりしないで……っ」
乳首の尖端、たぶん母乳が分泌される穴を、舌先でくりくり穿られる。もう片っぽの穴も、指の先で優しく穿られる。乳首の中なんて、普通に生活していたら空気にも触れない敏感な部分なのに、そこをやたらと突つき回され、撫で回され、擦られたら、どうしたって感覚がおかしくなる。
「ぅ、あぁっ……だめ、だめっ、せんせぇっ」
イキそう。けど、イけない。胎が切なく疼いて、もうだめイキそうって思うのに、結局イけない。性器は下着の中でびっしょり濡れて震えている。やっぱり一番の性感帯を触りたい。触ってほしい。思わず手が伸びる。しかし、そこに届く前に先生に捕まってしまった。
「こーら。何勝手に触ろうとしてるんだ」
「や、ぁ、だって……」
「俺はまだ怒ってるんだぞ。君も腹を立てていたはずだな?」
「そ、んな、もうどうだって……」
「どうでもよくないぞ。生憎俺は石頭の頑固親父だそうだからな」
ぎゅう、と強めに乳首を抓られてから、甘やかすように優しく捏ね回される。強弱をつけて愛撫されるのはすごく気持ちいいけど、決定的な刺激には至らない。
「やぅぅ……じゃあちゅーしてよぉ……ちゅーしたいぃ……」
「……ダメだ。今夜は甘やかさない」
キスの代わりなのか何なのか、服を脱がされた。先走り汁を吸って重くなった下着が床に放り投げられる。膝裏を掴まれ、天井を向くように股を開かされる。電気がつけっぱなしで明るいのに、恥ずかしい場所が丸見えになる。先生の目が釘付けになっているのが分かって泣いちゃうくらい恥ずかしいのに、なぜか濡れた。
「……乳首だけでこんなにか。本当に成長したな」
「や、やだ……せんせぇ……」
「やだって顔には見えないが?」
ふう、と息を吹きかけられると、期待と羞恥に震えて蜜を零す。お尻の方まで濡れそぼり、まるでお漏らししたみたいだ。
「これならローションも要らないな」
いきなり指を二本突き立てられたが、おれのそこは容易く呑み込んだ。鋏のように指をくぱくぱさせて孔を拡げられると、ねちねちと粘着いた音が微かに響く。この音はローションのせいなんかじゃなく、おれの垂らした我慢汁や、粘膜から滲み出した愛液のせいなのだ。そう思うと余計に恥ずかしく、けれど気持ちよく、胎がきゅんきゅん疼いて締まる。
「やっ、っぁ、そこ、やっ……」
「ここ、好きだろう」
「あぁっ、や、……ぅう、すきっ、すき、きもちいい……っ」
お腹側にあるシコリ、前立腺というらしいけど、そこを擦られるのもとっても弱い。視界が白っぽく霞んで、イク寸前まで高められる。精液がすぐそこまで迫り上がってきている。なのに、あとほんの少しなのに、もうあと一押しなのに、イけない。
「んぅぅ゛……ちゅーしたいぃ、せんせ、ちゅう……」
「んー、そんな声で泣かれるとなぁ……」
はしたなくベロを出してねだるのに、先生はおれを無視して服を脱ぐ。
「暁は酔うとキス魔になるようだな」
「へぁ? なに……?」
「何でもない。ほら、そんなに泣くんじゃない」
よしよしと頭を撫でられ、口にはしてくれないけど目元にキスして涙を拭ってくれた。久々の甘やかな触れ合いにほっと息を吐いた瞬間。勢いよく脳天まで貫かれた。衝撃に呼吸が止まる。全身が心臓になったみたいに脈を打つ。耳がおかしくなったのか、静まり返った世界にただ自分の鼓動ばかりがうるさく響いていた。
イッた、と思った。イッたはずだと。でも、普通に射精するのとは違う感覚だった。体の芯から甘く痺れて目が回る。下腹部に快感が留まったまま、ぐるんぐるん渦巻いている。もしかするとイッてないのかもしれない。でも確かにイッたような感覚だったんだけど。よく分からない。
「っ……ん゛ん゛――ッッ!!」
突然、口をすっぽり覆うようにキスされた。先生の肉厚な舌がたっぷりと這入ってきて、おれの口内を喉の奥まで埋め尽くす。その瞬間、おれはもう一度イッた。今度こそ確実にイッた。吐き出した精液が腹を濡らしている。お尻の中が断続的に痙攣している。先生を離すまいとして、収縮しながらねっとり絡み付いている。
「っく……さすがにキツいな」
余裕のない声で先生が唸る。表情からも余裕が失われている。先生も気持ちいいんだ。おれで気持ちよくなってくれてるんだ。嬉しい。
「っ……こら、そんなに締めるな。一応、お仕置きという体で……」
「せんせぇ、すき」
「暁……」
「すき、せんせぇ、すき……ちゅうして、もっと」
ねだるように唇を開き、抱きしめてほしくて両手を差し出した。先生は一瞬目を丸くした後、敵わないな、と呟いて笑った。それからおれを優しく抱きしめて、惜しみないキスを注いでくれた。唇に、頬に、瞼に、首筋に。同時にゆっくり腰を揺すって、繋がったところから温かい官能の波が広がる。
リビングのソファでなんて、普段は絶対にしないのに。酷く即物的な感じがして、自分が酷くいやらしく、浅ましい雌になったような気がして恥ずかしいのに、それを上回る快楽と幸福に満たされる。
「せん、せっ……せんせ、せんせぇっ」
脳が甘く溶けていく。溶けて溶けて、とろとろの水飴になってしまった。目の前の愛しい人のこと以外、何も考えられない。その人が与えてくれる感覚以外、何も感じられない。ただキスをして、名前を呼んで、手足を絡ませて、一分の隙もなく抱きしめ合って。他には何もいらない。これこそがおれの幸せの形だ。
ソファでもう一度イかされた後、ベッドに移動してより激しく抱かれた。先生が射精し、ゴムを縛って捨てたところまでは記憶している。気付いた時にはまだ夜で、裸のまま先生の腕枕で眠っていた。先生も寝ていたけど、おれが起きたのに気付いて目を開けた。
「おはよう、暁」
「おはよ。先生も寝てたの」
「ああ。少し張り切り過ぎた」
「こんな風になったの、初めての時以来だね。でもすっごい気持ちよかったし、結果オーライって感じ」
記憶は途中から曖昧になっているけど、体は心地良い倦怠感に包まれている。ピロートークにはもってこいのまったりした雰囲気だ。
「君なぁ……調子のいいことばかり言うんじゃない。今日のことは教訓にしてもらわなくちゃ困るぞ」
「教訓? ちょっと乱暴にされるのも悪くないってこと?」
「なっ、何を言ってるんだ、君は……。……乱暴だったか?」
「ちょっとだよ。先生、怒った顔もかっこいいし、無理やり責められるのも悪くないかなぁって。でもキスしてくれないのは意地悪って思った」
「……まさか、レイプ願望でもあるのか?」
「やだな、違うよ。変なこと言わないで。先生だからいいんだよ。他の人なんて死んでも嫌」
先生はおれを抱き寄せ、髪を梳く。癖のある髪が先生の指に整えられていく。気持ちよくて、先生の肩口に頬をすり寄せる。
「俺だって、暁が他の人に触られるのは嫌なんだ」
「別に触るくらい……」
「駄目だ。君は美しい。魅力的だ。でも君は自分の美しさに無頓着だ。だから心配なんだ。もしも誰かが君の魅力に気付いてしまったら……」
先生は深刻そうに溜め息を吐く。
「特に酔った姿は頂けない。あれはダメだ。色気を振り撒き過ぎる。男を勘違いさせる」
「そ、そんなこと……」
「そんなことある。君は知らないかもしれないが、酔った時の顔はまるで俺に抱かれている時のようだったぞ。あんな顔、他の誰にも見せたくない。何より、酔うとキス魔になるだろう。やたらとスキンシップも激しいし、心配だ。あまり自覚はないようだが……」
「先生以外とキスしたいなんて、いくら酔ってても思わないと思うけど……」
でも、先生がそんなに心配だと言うのなら、言い付けを守って今年も飲酒は諦めよう。今年もソフトドリンクで乾杯しよう。そう約束を交わし、些細な諍いは収束した。尤も、おれも先生も喧嘩をしていたことなんてすっかり忘れていた。
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