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10 小旅行

 八月は先生の誕生日だ。昨年はホールケーキを食べただけで終わってしまったが、今年はもっと盛大なプレゼントを用意したい。昨年のおれの誕生日――正確にはバースデーとクリスマスを兼ねていたが――、先生は随分と豪華なものを用意してくれて、それがとても嬉しかったし楽しかったから、今年はそのお返しがしたい。    色々調べて、先生の誕生日のちょうどその日、流星群が見られるらしいということが分かった。夜通し二人で星空を見上げるというのもロマンチックで憧れるなぁ、と思い先生に相談したところ、最近流行りのちょっと高級で贅沢なキャンプ――グランピングというらしい――に行くことになった。    キャンプ場までは高速道路を使って二時間半ほど。おれが運転してあげると言ったのだが、初心者の運転は怖いからと断られ、結局先生の運転で向かった。途中、遊園地と牧場が合体したような施設があり、興味を惹かれて立ち寄った。新鮮な牛乳で作られたソフトクリームを食べ、乗馬と乳搾りを体験し、観覧車に乗った。    さて、目的地であるキャンプ場は高原の湖畔にある。所謂避暑地で、標高が高いだけあって昼間も涼しく過ごしやすい。エリア内は広く、白くて丸いかまくらのようなテントが間隔を開けて立っている。テント脇にはタープ付きのウッドデッキがあって、バーベキュー用のコンロなんかが置いてある。    テントの中もかなり広くて清潔で、ソファやベッドや冷蔵庫が置いてあって、エアコンも完備で、お洒落なリゾートホテルみたいだった。大きな窓からは豊かな景色を望むことができる。遮るものもなく、穏やかな湖と遠くに連なる山々を見渡せる。   「……なんか、すっごいね。思ってたよりずっと贅沢。こんなに湖の目の前だなんて思わなかった」    トイレとシャワーが共用であることだけが、唯一のキャンプ要素かもしれない。   「向こうにボート乗り場があるそうだ。行ってみないか」    先生に誘われ、優雅な湖上の旅へ出た。ボートは先生が漕いでくれる。結構慣れているみたいで、半袖のシャツから覗く腕が頼もしかった。    乗り場付近はそれなりに騒がしかったが、桟橋を離れ湖の中ほどまで行けば、ほとんど自然の音しか聞こえなくなる。歌うような鳥の囀り、森を鳴らす風の囁き、揺らぐ水面の涼しげな響きに癒される。日頃鬱陶しいとしか感じない蝉の声さえも、風情あるものに聞こえてくるから不思議だ。    陽射しはそれほど厳しくないけど、照り返しが眩しくてサングラスを掛けた。キャップも被っているし、陽射し対策は万全だ。色違いのキャップを被った先生は、おれを見てクスッと笑う。   「なに? なんか変?」 「いや、海外のセレブみたいだと思って。似合ってるよ」 「真っ赤なスポーツカーを乗り回したりするやつ?」 「どちらかというと、レトロなオープンカーのコマーシャルに出ているイメージだな」 「喩えがよく分かんないよ」 「小洒落てて可愛いってことだ」    夕食はキャンプらしくバーベキューをする。機材も食材も全て用意されているので、かなり楽だった。火熾しには手間取ったけど、一度火がついてしまえば後は食材を焼くだけ。煙が目に沁みるけど、炭火で焼いた肉は殊更に美味かった。飯盒で炊いたご飯も甘く、お焦げが香ばしかった。    共用のシャワーで軽く汗を流したら、辺りはもうすっかり暗い。三日月も地平線の彼方に沈んでしまって、いよいよ今回のメインイベント、星空観察の時間がやってくる。風はないが肌寒く、厚手の上着を羽織った。先にシャワーを終えた先生は、テラスのハンモックに揺られながら焚火をしている。   「あっ、流れ星」 「えっ、どこ?!」    先生の声に急いで空を見上げるが、流れ星の尻尾すら見えない。けれど、満天の星は言葉を失くす美しさで、おれはしばらく空を見上げたままぼんやりと立ち尽くした。   「暁、おいで」    優しい声で呼ばれて我に返り、先生の隣に腰掛けた。薪がパチパチと音を立てる。先生の体温を傍に感じて暖かく、ハンモックが揺れるのも気持ちいい。   「流れ星じゃなくても、星綺麗だね。降ってくるみたい」    天の川が光の帯のように真っ直ぐ天を横切り、湖へと流れ込んでいる。淡い輝きが水面に溶け込んで、おれは宇宙の中心に浮遊しているような心地になる。   「今一番高いところに見えるあれ、天の川のど真ん中に見えるの、あれが夏の大三角ね。十字の星座がはくちょう座のデネブで、平行四辺形みたいなのがこと座のベガ、もう一個がわし座のアルタイル」 「詳しいな」 「へへーん。色々調べておいたんだ。先生に自慢しようと思って」 「俺もいくつか知ってるぞ。南の空に沈みそうになってる赤い星、あれがさそり座のアンタレスだ」 「蠍が焼けて死んだんだよね。昔ビデオで見た」 「有名な童話だな。ギリシャ神話だと、オリオンを刺し殺した蠍がモデルらしい」 「オリオンって、冬の星座の?」 「ああ。星座になってからもオリオンは蠍が苦手で、だからさそり座が昇ると逃げるように西の空に沈んでしまうそうだ」 「へぇ、昔の人って面白いこと考えるなぁ。でも、さそり座って普段あんまり見えないよね。低い位置にあるから建物の陰になるし――」    キラッ、と天の川に沿って星が光る。流れ星だ。ようやく見られたのに、刹那のうちに消えてしまった。   「先生っ、今見た? 流れ星!」 「気付いたら消えてたな」 「おれも! 願い事してる暇ないよ」    それに、流星群というわりには数が少ない。普段と比べればずっと多いけど、じっと空を見上げて目を凝らしていないと見つけられないくらいには少ない。   「そういえば、ペルセウス座はどこにあるんだ? 一応今夜の主役だろう」 「ペルセウス座は……一応調べてきたけど……」    北東の空をちらりと見やる。   「たぶんあの辺。カシオペアの下らしいんだけど、形がごちゃっとしてて覚えられなくて……」 「確かに、明るい星が多いな」 「うん。だから代わりに、神話のお話してあげるね。ペルセウス座は、ギリシャ神話の英雄ペルセウスがモデルなんだよ。メデューサを倒したり、鯨の化け物からお姫様を救ったりしたんだって。そのお姫様っていうのがアンドロメダで、アンドロメダも星座になってるんだけど……」    えーっと、と指を空中で彷徨わせる。カシオペア座のMとこぐま座の柄杓しか分からない。   「えーっと、うーんと……たぶんあのぼやっとしてるのがアンドロメダ銀河かな。だからあの並んでる星がアンドロメダ座で、やっぱりペルセウスもあの辺にあるはずなんだけど……」    夜空を見上げて唸っていると、不意にキスされた。甘い温もりに目を瞑る。おしゃべりも強制終了だ。   「ん……なに、せんせ……」 「いや、一所懸命話す姿が可愛くて」 「なにそれぇ、ちゃんと聞いててよ」 「聞いてたさ。ペルセウスがアンドロメダを助けたんだろう」 「……合ってる……」 「当たり前だろう。君の声は一言も聞き漏らさない」    肩を抱かれ、頬や耳にキスを落とされる。手は繋がれていて、指が絡まっていた。   「ふふ、くすぐったい。星見えないよぉ」 「星もいいが、他に言うことがあるんじゃないか?」    ちょっと甘えたような声で先生が囁く。はっとして時計を探すが見当たらない。   「……もしかして、もう明日?」 「そうだな。日付は変わった」 「……誕生日おめでとうっ、先生!」    面と向かって言うのが照れくさく、思わず抱きついてしまった。先生も優しくおれを抱きしめてくれる。肩越しに見える夜空に、流星が一筋の光を描いた。今更星に願いを懸けなくても、一番叶えたい願いは成就しているのだから、これ以上欲張る必要もない。

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