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彷徨1

 敵意のない相手から突然あんな風に拒絶されたのは生まれて初めてだったから、僕は暫らくその衝撃から立ち直れなかった。  彼は結局あそこに居着いている他の者たちと同じならず者だったんだ……。自分の弱い心を守るためにそんな風に彼を責めたりもした。けど、それが間違いであることはよく考えなくても明白だった。夜の闇が訪れて、ぽつぽつと点在する店や民家の明かりが灯った後も、夜が更けてそれらが消えた後も、僕の身に危険はひとつも及ばなかった。その事実が彼の人間性の答と言えよう。  彼は、彼の目的地ではなかったこの場所へ、わざわざ僕を連れてきてくれた。僕の財布を盗んだ子供。乱暴に服を奪っていった者たち。僕の大事なペンダントを奪おうとしてきた者たち。その者たちと彼が同じだなんて有り得ない。彼は僕に服を与えてくれた。その上安全な場所まで案内してくれた。全く恩に着せることなく、僕から何一つ奪うこともなく。  今晩はここで野宿をするつもりだ。彼の言う通り、明るい内に、或いは朝になったら馬車を拾って帰るという選択肢もあった。彼と出会えなければ、きっと僕はそうしていた。路銀を失い身ぐるみ剥がされ酷い目にばかり遭い、どうしてやっていけると思うだろう。けど、僕はそうしない。どんな世界にも善人はいると、彼が教えてくれたから。  膝を立てて小さくなって座って、彼の恵んでくれた外套を頭から被った。使い込まれている割に殆ど無臭のそれは、僕に物理的な暖と精神的な安心感を与えてくれる。もう少し、彼のにおいの様なものを感じられたらもっとよかったのに。そう思ってしまうのは孤独感や不安からだろう。ああけれど。この無味無臭味こそが彼らしいと言えば彼らしい。一番危険な人間。そう感じた第一印象はどこへやら。彼はまるで水鳥が空に飛び立つかの如く清らかで潔く、そして掛け値なしに優しい青年だった。 *  外で夜を明かす経験などある筈もなく、不安と空腹と寒さのせいで殆どまともに眠れないまま朝を迎えた。それでもぼーっとなんてしていられない。ここで生きていくには、ここでお金を稼いでご飯を食べなければいけない。住む家だって用意しなきゃいけないし、だから僕は一日だって無駄に過ごせない。 「あの、何か仕事はありませんか?」  朝になって店を開けにやってきたご婦人に声をかけてみた。僕が寝床にしていた所が、ちょうどその雑貨屋のまん前だったのだ。ご婦人は僕の方をまるで虫けらでも見るみたいに嫌な顔で見て、野良猫を追い払うみたいにしっしっとやった。 「ちょっと、ここに住み着かれたら迷惑だよ。よそに行っとくれ」 「え、あの……」  違うんです、と追い縋ろうとした僕の目と鼻の先でドアがバタンと閉められた。  この扱い、昨日怖い人達に服剥がれたり、追いかけられたりした時よりもショックかも…………。  それでも何とか気を取り直して、通りの色んな店で仕事を探した。けどどの店でも、誰にも相手して貰えなかった。判で捺したみたいにみんな虫けらを見る目で僕を見下して、ろくに話も聞いて貰えない。 「こんなとこ彷徨いてないで、相応しいところへお行き」  そう言われたのは何件目のどの店だっけ。言われてすぐは、僕に相応しいお店がこの通りのどこかにあるんだろうと思ってた。けど、ここまで追い出され続ければ嫌でも分かる。みんなこう言いたいのだ。ここはお前の様にみすぼらしい貧乏人がいていい場所じゃない。さっさとスラムへ行け、と。  スラムからそう離れていないここに、あそこの住人らしき人間が全然いないのは、そういう事なのだ。こことスラムの間にも、見えない境界線がひかれてるんだ。みんな同じ言語を喋る、同じ国の人間なのに…………。  できれば、拠点はここに作りたかった。ここはスラムよりも遥かに安全だし綺麗だ。けど、裸足でズボンも履いてない無一文の僕の居場所はここにはなかった。  それがこの世界のことわりか。金を持たず身形を整えられないものは必然的に下の階層へと落とされる。結局スラムへと戻ってきてしまった僕は、そこで相変わらず仕事を探した。邪険に追い払われる事はあっても見下される事はなかったし、見るからに何も持っていないお陰で昨日みたいに追いかけ回されることもなかった。

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