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彼の行方 2

「どうして彼を探してるの」  僕の問いかけにこんな風に他の人とは明らかに違う反応を見せたのは、胸元がざっくりと開いたセクシーなドレスを身に纏った、グラマーな女性だった。  坂を下り終えて、ジグザグに曲がる港へ降りるスロープの円い踊り場で、彼女は今にも崩れ落ちそうな柵に肘をついてひとり海を眺めていた。警戒心を剥き出して不審者を見る目で僕を訝しむ彼女は、海を目指して歩き始めて漸く出会えたまともな人だった。キッと目尻が吊り上がった気の強そうな彼女の眼差しは、姿形が似ている訳でもないのに彼の涼しげな眼差しを思わせて胸の内側がざわざわした。 「彼に助けて貰ったから。そのお礼をしたくて」  嘘じゃない。お礼は言いたい。その上でまだ助けて欲しいと思っている事について敢えて言わないだけだ。 「その服……」 「ああ、うん。追い剥ぎに遭った僕に、彼がくれたんだ。そのお陰で僕は羞恥心で死ぬこともなかったし、凍え死なずにも済んだ。彼は僕の命の恩人なんだ」 「ふーん……。けどリュカはお礼なんか望まないと思うわ」  ああやっぱり彼女は彼と近しいのだ。──リュカ。それが彼の名前……。リュカ。リュカ。ずっと彼としか呼べなかったその名を心の中で呼んでみる。なんて甘やかな響きだろう。瞼の裏が薄桃色に染まっていく。 「相変わらずの人タラシね、あいつ」  ぼんやりしてしまった僕を見て、女の人が呆れた声で溜め息をつく。 「彼に会いたいんだ。居場所を知ってたら教えてください」 「いやよ。あいつにどやされたくないもの」 「そこをなんとか」 「しつこいわね、あんた」 「どうしても、彼に会いたい」 「……リュカが一番嫌いなのがどんな奴か知ってる?」 「え……と、悪いことするひと……?」  我ながら脳みそ空っぽの返答をした自覚はある。僕があまりに馬鹿っぽかったからだろうか、女の人が纏う空気が少し和らいだ気がした。 「しつこい奴。男でも女でも、しつこい奴が嫌いなのよ、あいつは。嫌われたくなければ、踏み込みすぎないことね」  僕にそう答えながら、彼女の視線は途中から僕を見ていなかった。自分自身に言い聞かせている様に僕には聞こえた。思った。彼女は、彼を好きなのかもしれない。 「僕これまで、自分が好意を持った相手に嫌われたことってなくて」 「はあ?」  それがおかしなことだって、考えもしなかった。ここで彼に出会うまでは。 「嫌われるのも、悪くないって思う。それが彼の僕に対する正直な気持ちなら」  拒絶を恐れてこのまま彼と人生が交わらないよりは、嫌われる方がよっぽどましだ。  彼女のヘーゼルの瞳がきょとんと大きく開かれてこっちに向けられている。身体のラインを強調する大人っぽい服装とか雰囲気からずっと年上のお姉さんかと思っていたけれど、こうして素の表情を見るとまだあどけない。案外彼とそう変わらないぐらいの年齢なのかもしれない。 「あんた、変わってるのね」 「彼には、抜けてるって言われた」  彼女がぷっと笑った。笑うと頬がふっくらとしてより幼く見えた。可愛い子だ。 「あいつがそう言うって事は、少なくとも危ない奴じゃないみたいね」 「僕、危ない奴に見える?」 「全然。いいカモにしか見えない」 「ひどいなぁ」 「けど何にも持ってなさそうね。そんな身ひとつでリュカに会いに行って、どんなお礼をするつもり?」  痛いところをつかれた。彼女の言う通り、僕は何も持っていない。手土産すらない。彼に会う口実のスイーツやらフルーツやらがあればよかったのだけど。 「こ、ここに来るまでに盗まれちゃって……」 「嘘つき」  苦し紛れの嘘は秒で見破られた。もう正直に白状する他あるまい。 「お礼をしたいって気持ちに嘘偽りはひとつもなくて、それだけは信じて欲しいんだけど……実は僕、図々しくもまた彼を頼ろうとしてた。迷惑なのは分かってるし、嫌われるのもしょうがないって思うけど、今の僕には彼しかいなくて……」  言いながらいたたまれなくなって俯いた。彼女には相当呆れられた事だろう。今僕はどんな目を向けられているか……知る勇気が持てない。 「リュカと会ったら、そう正直に話すことね」 「え……」  予想外の返答に間抜け面で顔を上げた。 「リュカがどこに住んでるかは教えてあげない」  彼女は朗らかにそう言うと、肘をついていた柵から身を起こした。 「けど、ここにいればじきに会えるかもね」  彼女がそう言った直後、ブォーブォーとけたたましい音がした。音のした方に目をやると、一隻の古めかしい船舶が港へと近づいてきていた。また、汽笛が鳴る。  まさかあの船に彼が乗っているって事?聞きたい事は沢山あったのに、僕が船に気をとられている内に彼女はここから離れようとしていた。 「君も彼を待っていたんじゃないの?」  スロープを登り始めた背中に問い掛けると、彼女は振り向いてくれた。 「あんたと一緒にいたら、あたしが教えたってバレちゃうじゃない。あたしはあんたと違って嫌われるのはごめんなの」  彼女の言うのは正しい。彼は人タラシだ。あんなに可愛くていい子さえ虜にして。ああ。あの子の名前を聞くのを忘れてしまった。けれどきっと、あの子とはここへくればまた会えるだろう。彼を待つ小さな背中を思い浮かべると、甘酸っぱい気持ちと暖かい気持ちが同時に押し寄せた。リュカ。君を信じた僕は正しかったよ。やっぱりどんな世界にも心の綺麗な人はいるんだ。僕も、そうありたいよ。

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