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始まりの朝 1

 昨日のあれは夢だったのかそれとも現実だったのか。思案しつつ意識を浮上させると、お腹を擽るいい匂いにその思考の全てを奪われた。キッチンに立つ背中が見える。ベッドの軋む音で気づいたのか、リュカが僕を振り向いた。 「もうすぐメシ出来るから、顔洗って来いよ」  僕はおはようと言おうとした「お」の口のままフリーズした。 「リュカ、髪……」 「あ?……ああ、風呂入ったからな」  リュカはいつも、前髪を後ろに流していた。所謂オールバックと言うのだろうか、前髪に邪魔されずに露出した秀でた丸い額とスッと斜めに引かれた眉が印象的だった。けど今はその前髪が下りている。ちょっと長めの薄桃色が、細く整った鼻筋や、ややきつめの印象を与える切れ長の目じりに斜をかけて柔らかい印象をもたらしている。 「ふん、どうせガキみてえだとか言うんだろ」  だから嫌なんだ。ぶつくさ言いながら前髪を掻き上げるリュカに、僕は慌てて言った。 「そんなことないよ。なんて言うか、すごく……」  リュカを揶揄するつもりは全くなくて、けど僕が今思っていることをそのまま表現するのもリュカは喜ばないような気がして憚られる。だって僕は今リュカの事を……。 「あのさ、リュカはいくつなの?」  可愛いと思った。なんて、まだぶすっとしているリュカには口が裂けても言えなかった。正直に言った後の反応も少し気になると言えば気になるけど、リュカの年齢についても同じくらい気になっていた。 「お前は?」 「僕は15歳だよ」  リュカが僕について質問してくれたのはこれが初めてだ。単純に嬉しい。 「15、か……」  リュカはなぜか感慨深げに呟いたまま黙ってしまった。 「ねえリュカは?」 「18」  今度は何の感慨もなさそうに、むしろ少し面倒くさそうに答えた。18歳かあ。僕よりお兄さんだ。しっかりしているから年上だって気はしていたけど、前髪を下したリュカはもう少し僕の年齢に近く見える。大人っぽい振る舞いで気づかなかったけど、リュカって意外と童顔なのかもしれない。それに18歳にしては背も大きくないし、体つきも華奢だ。   「顔洗ってこい」  ぼーっと見ていたらリュカが顎をしゃくった。そう言えば起きてすぐにもそう言われたんだっけ。   リュカが指してくれた水瓶から柄杓で水を掬って玄関先で顔を洗う。水瓶の水は汲みたてだろうか。冷たくて肌がぴりぴり痛いくらいだ。もう既に朝使う分の水を川か井戸から運んできて、朝食を作り終えるなんて、リュカは早起きだなあ。  ポケットに忍ばせておいた紐で長い髪を後ろで結わえながら食卓につく。リュカが用意してくれた朝ごはんは、昨日とは違う種類の野菜とベーコンを煮込んだスープとパンだった。 「これ、買ってきたの?」  頬張りながら尋ねるとリュカが頷いた。僕の知ってるものよりも素朴で甘味のないパンだけど、小麦の味が際立っていて凄く凄く美味しい。 「僕が今まで食べてきたどのパンよりも美味しいよ」 「昨日もそんなこと言ってたな」 「だって本当なんだもん」  ふーん。そう呟いてリュカは目を細めた。リュカの瞳は綺麗だから見つめられるのは別にいいんだけど、今のリュカの視線はなんか値踏みされてるみたいでやだな……。 「お前、貴族だろ」 「え……う、うん、まあ……」 「こんな辺境の奴等より、よっぽどいいとこの」 「い、いや……そんな、でも、ない、かなぁ……?」  言い淀んでいると、リュカがけっ、とガラ悪く吐き捨てた。 「別にお前をエサに身代金とかせびるつもりはねえよ」 「そ、そんな事思ってもないよ!リュカはそんな事しない」 「ふん。随分ナメられたもんだな」 「なめるとか、そんなんじゃないよ。僕は逆にリュカに一目置いているし、尊敬してる。リュカはまた言ってるって思うかもしれないけど、僕、リュカみたいに優しい人に初めて、」 「あーあー分かった。冗談だ」  僕がどれだけリュカに感謝していてリュカを慕っているか、もっともっと聞いて欲しかったのに、リュカは褒められるのが苦手なのだろうか。僕の「ありがとう」の気持ちはまた宙ぶらりんだ。 「聞きたかったのはさ、」  暫くスープをかき混ぜていたリュカが、スプーンの先でベーコンをつつきながら言った。 「うん、なに?」  リュカの瞳が真っ直ぐ僕を捉えた。こんな風に見られたのは出会って初めてだ。 「お前の家に奴隷はいたか」  答えによっては僕を殺すんじゃないか。そんな風に思ってしまうくらい、強い視線だった。 「いないよ」  僕も、そんなリュカの視線を真っ直ぐに受け止めて言った。嘘じゃない。僕の身の回りに奴隷はいなかった。 「そうか」  ふ、と緊張の糸が解けた。スープを一気に飲み干したリュカが席を立つ。 「あ、ねえ、今日は僕が後片付けをするよ」 「じゃあ、自分の分はやれ」  そう言いながら手早く鍋と食器を洗っていく。そうじゃなくて、リュカの分だって僕がやりたかったのに。急いでスープとパンを食べきって、リュカの隣に並んだ。

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