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初めての仕事 1

 寝ないでリュカの帰りを待つんだ。その決意は波の様に押し寄せる眠気にさらわれてしまった。目を覚ました時は既に朝で、いつも通りリュカがキッチンに立っていた。 「おはよう!」  リュカが目線だけで返事をする。昨晩の事で気まずい思いをするのでは、という危惧は食卓の皿に並べられたパンの香ばしい匂いがすっかり忘れさせてくれた。 「いーいにおい!」 「街で焼き立てが売ってたから」 「わあ。今朝は御馳走だね」  パンを食べるのは、初めてリュカの家に来た日の朝以来だ。僕のいた世界には余るほどあったパンは、ここではとびきりの贅沢品だ。楽しみで心がわくわくしていた。けど……。顔を洗って、リュカが注いでくれたスープを受け取る時、リュカの身体からふわっと甘い匂いがした。いつもはしない匂い。人工的な、女の人の匂い…………。 「どうした?食欲ねえの?」 「え……あ、そんなことないよ!」 言われてみて初めて、自分が手を止めてぼーっとしていたことに気づいた。せっかくリュカが準備してくれた朝食を前に失礼な話だ。遅れを取り戻すようにパンに齧りつく。久しぶりのパンは感動するくらいに美味しい。リュカのスープだっていつも通りに美味しい。けど、胸がつっかえていて、いつもみたいに飲み込めない。原因は分かってる。けど、解せない。リュカから女の人の匂いがしたからなんだ。僕がリュカの何だって言うんだ。僕なんてまだただの居候。リュカは僕の命の恩人だ。リュカがどこで誰と何してようと、僕に文句をつける権利はない。分かってる。けどモヤモヤする。気分が晴れない。  使い終えた食器を洗い流していると、背後に気配を感じた。振り返ると、ワックスで前髪を後ろに撫でつけていつものスタイルになったリュカが何か言いたげに佇んでいた。 「どうしたの?」 「……お前に、仕事があんだけど」 「仕事!」  僕にもできることがあれば紹介する。この家に招いてくれてすぐ、そうリュカは約束してくれた。あれからもう何週間も経っていて、このごろは無知で非力な僕にできる仕事なんてもしかしたらここにはないのかもしれない、なんて思いつつあった。 「けど、体調が悪いなら無理しなくていい」 「全然悪くない!元気だよ!」 「そうか。じゃあ、準備ができたら出発しよう」  仕事ができる。漸くただのリュカのお荷物から卒業できるかも。リュカと対等な関係に一歩近づけるかも。さっきまでの鬱々とした気分もすっかり晴れて、鍋を洗う手もよく動く。  準備と言われても僕は身ひとつしか持ってないから、朝食の片づけを終えたら何もすることはない。さっきの言い方からすると、リュカと一緒に仕事をするのかな。そうだったら心強いな。  外套を羽織って外に出ていたリュカが戻ってくるのをそわそわしながら待っていると、ドアが開いてひょこっとリュカの顔が覗いた。 「もう行けるか?」 「うん、いつでも!」  リュカはもうそのまま出発するつもりらしい。僕も外に出て、リュカが戸締りするのを見守った。 「今日は仕事っつっても、給金がもらえるわけじゃない」 「え、そうなの?」  カギを懐に仕舞ったリュカは、玄関脇に立て掛けられていた大きな斧を手に取った。納屋から持ち出してきたのだろう。二つある斧の一つと、使い古した革の手袋一組を僕に手渡してくれる。 「材木屋が来ててな。薪割りを手伝うのが俺らの仕事。駄賃は薪だ」 「へえ。そういう仕事もあるんだね」 「金じゃなくて悪いな」 「え、いいよ。だって薪だって必要でしょ?頑張れば今週は毎日お風呂に入れるかもね」  名案だと思った。リュカはそんな僕を眺めて、ふっと笑った。 「元気そうだな」 「元気だってば」 「途中でへばるなよ」 「う、ちょっと自信ないかも……」  例の如く薪割りの経験もなければ体力自慢でもない。寧ろあまり身体を動かさずに生きてきた。今ただ持って歩いてるだけの斧も、正直重くて重くて……。  道中、リュカが薪割りのコツを懇切丁寧に教えてくれた。柄の握り方から、割るときの体勢。斧を振り下ろす時の軌道。あとは実践あるのみだ。

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