35 / 115
寒い夜に
その日の夜。覚えのある感覚でふと目が覚めた。あの衝動は、振り払えたんじゃなかったのか……。
隣のベッドからはスースーと静かな寝息が聞こえてくる。
リュカは今日一日ずっと何だか身体が怠そうで動きもぎこちなかった。体調が悪いのか、それともどこか怪我でもしてるんじゃないかって心配した程だ。いつも休みの日でもきちんと髪の毛をセットして家のことやら買い出しやら食料の調達やらと忙しく動いていたのに、今日リュカがしたことと言えば夕飯の準備くらいで、食べ終わるとすぐにベッドに横になってしまった。何度も聞いたけどやっぱり心配で、どこか具合でも悪いんじゃないのか、と聞くと、リュカは、眠いんだ、とだけ答えて目を閉じてしまった。
僕よりも先に寝入るリュカを見るのもこれが初めてだった。スヤスヤ、と言うよりは気絶でもするみたいに一瞬でリュカの意識は深く潜っていった。
いつもと違って無防備で隙だらけのリュカは何とも言えず庇護欲をそそった。可愛いと思う気持ちが抑えきれなくなりそうで、ちょっとおかしな衝動を抱きそうで、リュカから無理矢理視線を剥がした。そうして、リュカのいるベッドに背を向けて横になると目を閉じた。睡魔は意外にもすぐに訪れた。だから、変な衝動は振り払えたと思ったのに───結局はこの体たらくだ。
しっかり勃起してしまったものを取り敢えずは握ってみたけど、どうしたらいいものだろう。眠っているとは言え、リュカの隣で処理するのは流石に憚られるし、寒い中浴室や外にあるトイレに行くのは気が進まない。このまま鎮まってくれないかな。そう思い暫く待ってみたけど、勃起は一向に収まる気配がないし、そのせいで眠れそうにない。
どうにも納まりが悪い気がしてうーんうーんと何度も寝返りを打った。どうしても眠れない。今度はじっと静かに目を閉じてみた。やっぱり眠れない。それどころか、物音ひとつ立てずに目を閉じていると、リュカの寝息がやけにすぐ傍で聞こえる様に錯覚して余計に頭が冴えた。
起き上がってベッドを抜け出した。深い考えがあった訳じゃない。ただ、リュカの姿が、寝顔が見たいと思った。ランプが消えているから家の中に光源はないけれど、窓から射すぼんやりとした月明かりがリュカの白い頬をほの蒼く照らしていた。ちょうどこっちを見て眠ってくれていたおかげで、その綺麗な顔を余すことなく眺められた。弱い勃起がまだずっと続いているけれど、リュカを見ていたらそれだけで満足した。直接的な気持ちよさとかじゃなくて、何と言うか、物理的に与えられる快楽を通り越して、心が満たされるというか。
「ん……」
リュカが身動ぎをしたと思ったら、直ぐにうっすらと目蓋が開いた。物音は立てていないつもりだけど、普段から人の気配に敏いリュカだ。寝ているとは言え、こんなに強い視線で見つめていたから何か感じるものがあったのかもしれない。って、今はそんな事はどうでもよくて、何をどう言い訳すればいいんだろうって事を考えなきゃ!だって僕、今絶対に怪しいよ!
何もいい言い訳を思い付かない内に、無情にもリュカの視線は直ぐに僕を捉えた。「何見てる。気持ちわりいな」それぐらいの事言われても仕方ない。寧ろその程度で済めばいい方かも……。けどリュカはぼんやりと僕を見上げた後にゆっくり首を傾げてこう言った。
「眠れないのか……?」
「う、うん……」
眠れない。その通りだ。嘘はない。不可抗力で勃起はしてるけど、別にリュカに何かするつもりはなかったし、この間みたいにリュカを想像するつもりさえなかった。
「少し寒いな……」
リュカが暖炉に目をやって言った。確かに暖炉の火は殆ど消えかけている。今夜はリュカが早くに休んだから、薪が燃え切ってしまったのだろう。僕が寝る前にちゃんと薪をくべるべきだったんだ。
「薪足して……」
薪足してくる。そう言ってリュカの視線と追求から逃れるつもりだった。いや、冗談みたいに優しいリュカは僕を追求するつもりも責めるつもりもなさそうだったけれど、でもこれ以上見つめられて今の僕の下半身の状態を知られたら、流石に菩薩のようなリュカでも引くだろう。それはもうドン引きに。
「え、リュカ……?」
だというのに、布団の中から伸びてきたリュカの手が僕の手首を掴んだのだ。これじゃあ逃げられないよ。
「入るか?」
「え?」
「来いよ」
リュカの行動が僕には理解不能だった。いや理解はできたけど理由が分からなかった。僕の手を掴んでいるのとは反対の腕で布団をがばりと開いてそんな事を言うんだから。
「早くしろよ、冷めちまう」
おまけに急かされた。ぐいっと手を引かれて、訳もわからずドキドキしながら僕はリュカの隣に潜り込んだ。下半身の状態がバレない様に、リュカに背中を向けて。ばさりと布団が掛けられる。
「あったけーだろ?」
狭いベッドの上で僕とリュカは身体を寄せ合っている。リュカの言う通り、暖かい。身体がぴったりと触れている背中なんか特に。あと、全然触れられてない所も、物凄く熱くなっている。だってリュカの喋る吐息どころか、振動まで身体に感じるこの距離感。これは不味い。あの日の後遺症が疼く。つまり下半身が。
「知ってるか?こうしてひっついて寝れば、暖炉いらずなんだぜ……」
人の気も知らないで得意気に話していたリュカの声がだんだん不鮮明になっていったと思ったら、次の瞬間それは寝息に変わっていた。本当に今日のリュカはよく寝る。よっぽど疲れる何かがあったのだろう…………。
「リュカ、君って奴は……」
海辺でリュカの事を教えてくれた女の子に言われたことを今心から実感している。「相変わらずの人たらしね」って。こんな大胆なことするくせに、自分の事は全然教えてくれない。その内側に踏み入れさせて貰えない。ずるいなあって思う。と同時にそんなリュカをどうしようもなく魅力的だとも思う。
僕が男でよかったね、リュカ。僕が女の人で、それでリュカにこんな事されたら、僕間違いなくリュカに狂って、好きになってくれるまでリュカを追いかけ回すストーカーになってるよ。
あ、もしかして。思い出したのは「リュカはしつこい奴が嫌いなの」ってあの子の台詞。リュカ、そういうのもう既に経験済みなのかもしれない。だからしつこくされるの嫌いなのかな。だったら飲み屋で女の人漁るの止めればいいのに。ずっと僕だけの傍にいて、僕だけを見ていればいいんだ、リュカは。
…………あれ、僕今何を思った……?赤ん坊みたいに体温が高いリュカのお陰で睡魔がやってきて、意識が飛びそうになっている。下半身も少しずつ落ち着いてきて、漸く眠れそうだ。おやすみ、僕の可愛いリュカ───。
次の日の朝、僕はリュカのベッドで目を覚ました。ということは昨晩の出来事は夢じゃない筈だけど、今朝はいつも通り僕よりも先に目を覚ましてテキパキと朝の家事に勤しむリュカはあまりにもいつも通りだった。だから、僕もいつも通りにした。寒い夜に誰かとくっついて寝るのがリュカにとって当たり前なら、眠れない夜はまたお世話になっちゃおうかな、なんて思っていることは内緒だ。
ともだちにシェアしよう!