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僕にできること
僕にできること。リュカに言われてずっと考えてた。僕だからこそできること。リュカの役に立てること。けど、考えても考えてもいい案は浮かばなくて、結局未だに僕はリュカにおんぶに抱っこだ。ぬくぬく何の苦労も知らずに生きてきた僕には、ここに住んでいる人よりも優れた部分なんて何ひとつないんじゃないかと思える。それは、リュカみたいに何でも出来る格好いい人だけじゃなく、今一緒に遊んでるアンリやハンナと比べても。
「ルーシュ、それなあに?」
ハンナが僕の書いたものを見て首をかしげた。細い木の棒でお絵描きをして遊んでいた。ついさっきまで三人でリュカの似顔絵を書いていて、その酷い出来にみんなで一頻り笑ったところだった。僕は僕の描いた、リュカとは全く似ても似つかない顔の下に、「Lucas」と書いた。ずるい手法だ。
「絵だけじゃあ誰だか分からないからさ。リュカって書いたんだ」
「え!?ルーシュ、モジが書けるのか!?」
「え、うん」
「凄い!凄い!じゃあ、オレの名前は?どんな風に書くんだ?」
「あ、あたしも知りたい!あたしの名前も書いて!」
アンリとハンナが、リュカの顔の横に急いで自分の似顔絵を書き始めた。二人とも慌てすぎて丸書いてちょんちょんで頭が禿げ上がっている絵だ。出来た順に、その下に「Hanna」「Henry」と書き加えた。
「二人とももしかしたら綴りが違うかもしれないけど……」
その呼び名で一番目にする機会の多かった綴りで書いてみた。リュカの名前も然り。それなのに、二人はキラキラした目で僕を見上げてきた。
「凄い!凄いよルーシュ!アンリってこう書くんだ。かっけえ……」
グー握りした木の枝で、アンリがぎこちなく僕の書いた文字を真似する。
「あ、けど違うかもしれないよ!ちゃんとお母さんに確認した方が……」
「いいんだ、これで。だってかーちゃんもモジ書けないし」
「え……」
「だから、オレ自分の名前初めて見た。形にできるって、なんかうれしーな!」
アンリもハンナも、グリグリ書きで一生懸命に文字を真似ている。けれどその持ち方では滑らかな文字を書くのは至難で、aやeやnで手こずっている。
「あのね、木の枝をこんな風に持つと書きやすいよ」
僕は、親指と人差し指で枝を掴んで、それからその他の指を裏側に添える持ち方を教えた。ペンを持つときの、普通の握りかただ。
「力入んねー」
「むずかしいよお」
「慣れたらこっちの方が書きやすくなるんだよ」
けど別に無理強いするつもりはない。僕の世界では文字を読み書きできることは当たり前だったけれど、ここではそうでないのだ。アンリ達のお母さんも書けないって事は、書けなくても、読めなくてもここでの生活に不自由はないって事。なのに、アンリは必死だった。まだ幼いハンナは途中で飽きてお絵描きに戻ってしまったけれど、アンリは何度も自分の名前を練習して、他の言葉も教えて欲しいと言ってきた。
「アンリは文字を覚えたいの?」
「うん!覚えたい!」
「どうして?」
「だって、読み書きができる様になれば、かーちゃんを楽させてあげられる様になるかもしれないから」
「そうなの?」
「うん。かーちゃんよく言ってた。読み書きが出来ないから、ここを出られないって。外の世界の人たちはみんな読み書きができて当たり前なんだって。オレたちはそれが出来ないから、ここでしか生きていけないんだって」
アンリに言われた事は衝撃的だった。みんな好きでこんな過酷な所で暮らしている訳じゃない。ここから出たいって思ってる人達も、読み書きが出来ない。学がない。そんな負い目でこの世界に閉じ込められているんだ。この世界では困らないから、なんて考えは甘かった。アンリはやっぱり僕なんかよりも遥かにしっかりもので大人だ。
「何やってるんだ?」
リュカは足音を殆ど立てない。けど、ここまで傍に来ていたのに二人ともその存在に気づかなかったのは、それだけ僕たちが集中していたってことなんだろう。
「リュカ、お帰り!今日は早かったね」
まだ空に太陽が高い内に仕事から戻ってくるなんて珍しい。
「ああ。交渉がスムーズに終わったらしい」
ぽつりぽつりと耳にした情報を総合するに、リュカは外からやってくる商人を、スラムの中と、あとそこを通らないと行けない上層の街へ護衛しつつ案内する仕事をしているらしい。元々は他のスラムの人達と同じ様に荷物持ちで雇われていたけど、一度襲撃してきた暴漢から商人を守った事があり、それ以来護衛の仕事を任される様になった様だ。
「随分集中して落書きしてたな」
「落書きじゃないよ、モジを書いてるんだ」
「文字?」
「ルーシュに教えてもらってて……」
答えるアンリの声色がいつもよりも強張って聞こえた。お絵描きにも飽きたらしいハンナは少し前に一人で家に戻っていたから、ここにいるのは僕とアンリとリュカの三人だ。何を緊張しているのだろうかと不思議に思ってアンリを見やると、その頬に少し赤みが差していた。僕は首を傾げた。
「それはいいな」
優しい声のリュカの手がアンリの頭ぽんぽん撫でた。アンリの頬がもっと赤くなる。
「アンリ凄いんだよ!初めてなのにもう自分の名前書けるようになったんだ!」
どうしてだろう。リュカの気を引きたくなって、こっちを見て欲しくて大きな声を出した。狙い通りリュカの視線が僕を向いた。けどそれは一瞬で、すぐにアンリの方に戻されてしまう。
「凄いじゃないか、アンリ。お前、本気で文字覚えたいか?」
「う、うん、本気だよ!読み書きができる様になればいつかこの町の外に出られるんだろ?オレ、かーちゃんに楽させてやりたいから!」
「そうか」
リュカは深く頷くと、その視線をようやく僕へと向けた。それなのに……。
「出掛けて来る」
「え……今帰ってきた所だよ?」
「……多分遅くなるから、戸締まりしてメシも適当に食っとけよ」
「どこに行くの?」
「…………」
リュカは何も答えずに迷いなく踵を返した。その背中に慌てて声を掛ける。
「ご飯、リュカの分は?」
「作らなくていい」
「……うん、わかった。いってらっしゃい」
どうして突然出掛ける気になったのだろう……。「遅くなる」って言葉にいつかみたくモヤモヤする。けど、どうしようもない。僕はただの居候でリュカに食べさせて貰ってる身だ。リュカが誰とどこで何をしようと文句は言えないし、リュカの行動を制限する権利なんてないのだから……。
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