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あこがれ

「カッコいいよなあ」  呆然とリュカの消えた道を眺めていると、隣でアンリが何事か呟いた。 「え?」 「リュカって、凄くカッコいい」  アンリが僕を見上げて目を輝かせて言った。 「ちょっと近寄り難いけど、根はやさしくて。オレ、リュカみたいになりたいってずっと思ってるんだ」 「そうなんだ。分かるよ、リュカは格好いいよね。何を隠そう僕も憧れてる」  ふふっとアンリが笑う。  ……盲点だった。アンリはリュカの事を僕よりも知ってる筈だ。リュカが教えてくれなかったことも、アンリが教えてくれるかもしれない。けど、そんな、本人の望まない秘密を暴くような事をはよくないだろうか。僕はただ、リュカがここの生まれなのか、それとも僕みたいにどこから流れてきたのか。それを知りたかっただけなんだけど。それぐらいはいいかな……。 「リュカはずっとここに住んでいるの?」  思いきって聞いてみると、アンリはあっさりと頷いた。 「そうだよ。昔はね、リュカとリュカのかーちゃん、それからリュカの妹のニナの三人でここに暮らしてたんだ」  リュカのお母さんと妹さんの存在。なんか、予期せず凄い情報を貰ってしまった気がする……。 「そ、そうなんだ。今、お母さん達は……?」 「おばさんはずっと前に死んじゃった。ニナも、三年前に……」  好奇心を抑えられず質問を重ねてしまったけど、これは本当に僕が知っていい情報だったのだろうか。せめて、リュカの口から聞くべきだったのではなかろうか。だってきっと、「ずっとここに住んでいるの?」って聞いたのをあんなに嫌がられたのは、それを肯定すると当然聞かれるであろう家族の話───母親と妹の死に纏わる話を避けたかったからなのではないか。 「おばさんの事はよく覚えてないんだ。おばさんが生きてる頃はオレもガキだったからな。けど、おばさんなんて言うのが似合わないくらい若くて綺麗な人だったのはなんとなく覚えてるな。お姉さんって感じだった。そのおばさんがいなくなってからはリュカはいつも忙しくしてたから、オレとは遊んでくれなくなっちゃってさ。けど、ニナとはよく遊んだよ。ちょうど、いまのルーシュと遊ぶみたいにな」  アンリが昔を懐かしむ様に語ってくれた。リュカが知られたくない事なのかもしれないのに、僕にはアンリの言葉を遮ることなんてできなった。どうしても知りたかった。リュカの事を。 「ニナはリュカによく似ててすげー美人だったよ。けど身体が丈夫じゃなかったみたい。いつも家に閉じこもってたし、時々、げほげほって咳が止まらなくなって臥せってたから。そういう時は誰も遊んでくれる人がいなくてつまんなかったな。ハンナはその頃まだ赤ん坊だったし。あのな、知ってるか?リュカってすげー優しいんだぜ」 「知ってる。リュカは僕がこれまでに出会った誰よりも優しい人だよ」 「へえ意外とやるじゃんルーシュ。オレはな、ガキの頃は少し怖かったんだ。遊んで貰ってた頃の記憶はぼんやりとしかなかったし、時々街に出かける所を見かけた時はいっつもおっかない目つきしてたから。今ではそういうリュカもカッコいいって思うけど、あの頃はガキだったからさ。でな、そんなリュカが目に見えて優しくなるのは、ニナに対してだった。もちろん面と向かえばオレにも優しかったけどな、ニナに対しては目つきも纏う雰囲気もガラっと変わるんだ。そうだなあ、かーちゃんが俺やハンナを見る時の目つきに似てるかもな。あ、ガミガミ怒ってる時じゃないぞ。寝る前におやすみのキスしてくれる時とか、オレ達が飯食ってるの眺めてる時とかな。ともかく、リュカはニナを物凄く大事にしてたよ。そういうとこもカッコよくてさ、それでオレもハンナに優しくしようって決めてんだ。リュカみたいにはできないけど」 「アンリはいいお兄ちゃんだよ」 「へへっ」  照れ臭そうに鼻の下を擦るアンリを微笑ましく眺めながら、僕にはリュカのその態度に心当たりがあることを思い出していた。 「ねえアンリ。ニナってリュカといくつ離れてるの?」 「さあ。けど、オレとハンナよりは離れてないよ。そうだな、ニナが生きてれば、ちょうど今のルーシュくらいかも。うん、きっとそうだ。それくらいだよ」  リュカが時々僕にひどく優しい理由が分かった気がした。リュカの家で初めて眠った日の夜優しい声で言われた「おやすみ」。不安そうな僕を見て頭を撫でてくれたこと。それから、眠れない僕をリュカのベッドの中に招き入れてくれたこと。そういう時のリュカは、僕に妹のニナの面影を見ていたのかもしれない。あの優しい眼差しは、僕にではなく妹に向けられたものだったのか。知らないほうがよかったかも……。勝手に暴いておいて今更後悔してるなんて、バカみたい。 「暗くなってきちゃったね」 「そうだね。文字、見えないや」  気づくと、もう辺りは夕暮れに包まれていた。アンリの言う様に、地面に書いた文字の判別も難しい。 「また明日おいで。教えてあげるよ」 「うん!ありがとう」 「あ、送ってく?」 「いいっ!ルーシュの方が危なっかしいから」  情けないけど、元気よく駆け出したアンリの言う通りだ。暗い中子供を一人で返すのはどうかと思うけど、アンリの家は坂を上ったすぐそこだし、この集落は平和だ。大丈夫だろう。  リュカは宣言通り、僕が眠りにつくまでに帰っては来なかった。こんな夜更けまでどこで何をしているのだろう。考えたってモヤモヤするだけなのに、考えずにはいられない。  寝つきがいいことだけが自慢の僕なのに、なかなか眠れなかった。どうしてこんなに胸が苦しくなるんだろう。僕はリュカをどう思っているんだろう。アンリに言った様に憧れ……?うん、それは確かにある。けど、その言葉だけじゃ表しきれない別の感情を、リュカに抱いている気がしてならなかった。

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