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転機 1
夜中にふと意識が浮上した。こういう事は前にも一度あった。そう、今回も前と同じ、そういう事だ。前に出してから相当日にちが経っている。所謂溜まってるっていう状態。リュカは眠っているだろうか。隣のベッドを見るために目を開けると、いつもは月明りしかない筈の部屋が明るくて眩しかった。不思議に思い身を起こしてみると、光の正体はテーブルの上のランプだった。そこにリュカが座っていて、熱心に手元に視線を落としている。
「リュカ……?」
「あ……悪い。起こしたか?」
振り返ったリュカがテーブルに紙を置くのが見えた。
はっとした。今日、家に来たアンリが僕の書いた物語を一式ここに忘れていったのだ。もしかしてそれを読んでいたんじゃ……。一瞬背筋がひゅんってなったけど、すぐにそれはないか、と思い直す。リュカは僕が片手間に教える単語とその綴り程度しか覚えていない。文章が読めるまでには、まだなっていないはずだ。ほっと胸をなでおろしながらリュカに声を掛ける。
「勉強してたの?」
「ああ、まあな」
立ち上がってランプを吹き消したリュカがこちらの方に近づいてくる。
「ごめん、僕邪魔しちゃったかな」
「いや、もう寝るとこだったから」
「そっか……」
ごそごそ。シーツとリュカの服が擦れる音がする。だんだん夜目に慣れてきて、隣のベッドがぼんやりと見えてくる。控えめに膨らんだ布団のその下にリュカが横になっている。隣のベッドといえど、腕を目いっぱい伸ばしたとしても届かないその距離がもどかしい。
「どうした……?」
寝起きのせい?それとも溜まっているせい?僕は本能のままに動いてしまったらしい。いきなり枕元に立たれたリュカが、閉じかけていた目蓋を開いて僕を見上げた。
「え……っと……」
本能で行動しただけで、何も考えていなかった。どうしよう。この前と違って暖炉の火はまだ赤々と燃えている。寒いって言い訳は使えそうにない。
「また眠れないのか?」
困り果てていると、リュカが助け舟を出してくれた。僕は白々しくもうん、と頷いた。この前と同じことが起こることを期待して……。
「入るか?」
「うん」
期待通りの反応に嬉しくなってちょっと声が弾んでしまった。どうか変に思われていませんように。そう願いながら、リュカの気が変わる前にいそいそとその隣に潜り込んだ。リュカの綺麗な顔を間近で眺めるチャンスだけど、いかんせん下半身があの状態だし、そうでなくてもそんな事したら心臓やばいと思う。だからこの前みたく、リュカには背を向けた。
背中に、リュカの腕が当たっている。首の後ろでリュカの吐息を感じる。どうやらリュカは僕の方を向いて横になっているらしい。物凄く、緊張する。リュカの僕よりも少し高い体温を超えてしまうほど、一気に全身熱くなった。心臓がどこどこ胸を叩く音が僕の耳まで届くほど大きくて、リュカにも聞かれてしまうんじゃないかと思った。鎮まれ、鎮まれ。何度唱えても、今リュカと触れる距離に自分がいる事以外に意識が向かなくて、緊張も興奮もどちらも一向に冷めてくれない。
「お前さ……」
リュカがぽつりとこぼした。何を言われるんだろうとちょっとびくびくしながらもその続きを待ってみたけど、リュカは黙ったままだ。
「ど、どうしたの?」
「何でもない」
リュカが何かを言いよどむなんて珍しい。リュカは何事にもはっきりと意思表示するタイプだからだ。
「リュカはさ……」
「……ん?」
このまま話を終えてしまうのがもったいないと思った。黙ったままでいるよりも何か話している方が緊張も和らぐ気がしたし。
「リュカは、こういうの慣れてるの?」
「あ?」
「誰かと、一緒に寝るの」
言ってしまって、誤解を生む言い方だったかなと思った。僕は別にリュカの性的な話を聞こうと思ったわけじゃないけど、そう思われかねない聞き方だなと。
「あ、あのね、僕は物心ついてからはずっと一人部屋で寝てたから。だからこうして誰かの温もりを感じながら寝るのって初めてで」
慌てて取り繕うと、背中でリュカの身体が揺れた。笑っているらしい。
「なんだそういう意味か」
やっぱり誤解されてた。
「お前と同じ年の妹がいたから」
何の躊躇いもなくリュカが言った。あっさりと明かして貰えた事が驚きだった。自分の事も家族の事も前はあんなに頑なに話さなかったのに。
「あのね、実は知ってる。ニナさん、だよね」
「アンリか?」
「……うん」
「だろうな」
「怒らない?」
「別に隠してるわけじゃねえし」
「けど前は話してくれなかったよ」
「お前の事信用しきれてなかったからな」
「え、ショック……」
またリュカの身体が揺れた。クスクス笑い声も聞こえてくる。
「いいだろ、今は話してんだから」
「そっか……ってことは、今は僕を信用してくれてるってこと?」
「まあ、な」
「嬉しい」
天にも昇りそうなくらいに嬉しい。すき。そう叫びたいテンションを何とか抑える。
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