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命の重み 4
次の日、リュカは仕事に行ったきり帰ってこなかった。あんなことがあった次の日だ。心配で心配で眠れる筈もない。いつ帰ってくるかと思うと家も空けられず、家と集落の入り口を一晩中何度も何度も往復した。
太陽が水平線から顔を出して朝靄に包まれ始めた頃になって、小さい人影を見つけた。遠くて豆粒みたいなそれを、僕はリュカだと確信して駆け出した。よろよろ歩くその人は、近づくとやっぱりリュカだった。
リュカは僕の姿を認めると立ち止まって目を瞠った。僕は駆け寄って、なりふり構わずリュカの身体を抱きしめた。
「リュカ、お帰り。待ってたよ。ずっと待ってた」
「寝てて、よかったのに」
リュカにしては随分と間の抜けた返答だと思った。いくら僕でも、こんな状況で寝られる訳ないじゃないか。
前髪を下ろしたリュカの冷たい身体から、リュカじゃない臭いがする。悔しい。僕は結局リュカを守れなかった。寧ろ事態は悪化したのかもしれない。
僕はあの時自分の気持ちを抑えられなかったことをようやく後悔した。僕が子供だった。あまりに幼い行動をとってしまった。少し冷静に考えれば、結果を予測することは容易だったはずなのに。
家に帰り着くまで、二人とも何も言わなかった。リュカが何を考えているのかは分からない。けど、僕は不安だったのだ。リュカを連れて家に入るまでは何となく安心できなかった。
疲れた顔のリュカを食卓テーブルに座らせて白湯を入れた。リュカの冷え切った身体を少しでも温めてあげたくて。
「リュカ、ごめん。僕のせいで、リュカに大変な思いをさせてしまった。僕は、リュカの事を本当に思えば、あんなことするべきじゃなかった」
「謝るなよ」
「けど……」
「殺されなかったんだから」
「うん」
「お前の事も、殺す気ないって」
「そうなんだ」
「俺に、お前ほどの度胸があればな」
「何言ってるの。リュカは僕なんかより断然強いじゃないか」
「……結局、何も変えられなかった」
リュカが目に見えて項垂れた。いつものリュカからは想像がつかないくらい自信なさげなその姿に、強烈な庇護欲が沸き上がる。
「リュカ。僕はやっぱりリュカがすきだよ。勘違いとかじゃなくて、本当に……」
喋ってる途中でリュカが立ち上がった。そうして僕の背後に回ったかと思うと、首に腕が絡んだ。かかる吐息の近さで、耳元に唇が寄せられたのが分かる。
「なあルーシュ、しようぜ」
さっきまでの項垂れた姿は幻だったのだろうか。いつもの凛としたリュカを思わせる声が僕の耳を擽った。瞬時にあの夜がフラッシュバックして、顔も身体も熱くなる。けど───。
「だ、めだよ……。嬉しいけど、僕はリュカとそんな関係になりたいんじゃない」
「じゃあお前と俺はどんな関係になれるんだ?」
「僕はリュカがすき。だから、真面目に、誠実にリュカとお付き合いがしたい。恋人に、なりたいんだ」
「悪いけど、俺はお前の望むような誠実な関係なんて築けない」
「どうして……」
「分かんねえの?」
僕をからかうようにふふっと笑ったリュカの吐息と唇が、僕の耳たぶを優しく擽った。ぶわっと頭に血が昇る。燃え上がるほどに頬が熱い。きっと今僕は茹蛸みたいに真っ赤になっているだろう。リュカにもバレているはずだ。
「だめだよ、リュカ……」
そんな状態で言うダメに、意味なんてあるのだろうか。リュカの少しひんやりとした柔らかい唇が真っ赤な僕の耳の輪郭を辿る。リュカに食まれたところ全てが熱くなって、頭がぼんやりとしてくる。あの夜の事を考えちゃいけない。思い出しちゃいけない。そう思って記憶の蓋を押さえ付ける力さえ、リュカに吐息を掛けられるとへにゃへにゃに萎んでしまう。
「抱いてくれよ、ルーシュ」
熱の籠った声に、あの日の夜の記憶の蓋が一気に弾けた。リュカと抱き合ったあの日の感覚のすべてをありありと思い出してしまう。リュカとひとつになる時の凄まじい快感を。可愛くて妖艶なリュカの姿態を。イク時のあられもない乱れ様を。僕を呼ぶ甘い声を。
とても、抗えなかった。好きな相手にこんな風に誘惑されて断れる人間なんて果たして存在するのだろうか。
導かれるがままの僕をベッドに押し倒して上になったリュカが、僕を見下ろして微笑んだ。ゆっくりと唇が下りてくる。
リュカにリードされるキスは凄かった。リュカの器用な舌に柔らかい粘膜をくすぐられると、頭の奥がぼうっと痺れて何も考えられなくなる。甘く優しく舌を絡め取られたら、頭がくらくらして下半身がじくじく疼いて、キスという行為が紛れもなく性行為なんだって事を思い知らされた。
こんな淫らなキスを覚えるだけの場数を踏んでいる証拠を実践でつきつけられて悔しくもあったけれど、リュカの巧みなキスによって与えられる淡く甘い快楽を前にしてはにそんな嫉妬心さえも消え失せてしまう。
もう、何も考えたくない。
心が通じ合っているわけじゃないのにまた身体を合わせる罪悪感も、僕とリュカの関係がふしだらなものに変わってしまう危惧も全部忘れて、僕はリュカの身体を貪った。
このままずっと、リュカと交わっていたい。二人で永遠に、この怠惰な快楽の沼に沈んでいられたら、どんなに───。
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