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微笑みの理由 3
それから彼はたまに店に来るようになった。彼の目的は仕事で、あたしとは長く言葉を交わしてくれないけど、焦らず少しずつ彼についての情報を仕入れていった。彼の名前。仕事。どのあたりに住んでいるのか。
そうして、海を見る振りをしてリュカと店の外でも会う様になって、一年くらい経った頃。思い切って寝ないかと誘ったことがある。リュカは笑ってあたしをあしらった。「俺と寝ても一文にもならねえぞ」って。そういう意味じゃないって言おうと思ったけど、やめた。リュカはあたしの気持ちに気づいていて、けど気づかない振りでそうあしらったのが分かったから。あたしを傷つけないために。
リュカは見た目がいい上にナチュラルに人助けをするから当然モテる。けど、貴族の女ともスラムの女とも、誰とも付き合ったりする気はないようだった。「一度寝た女とは寝ない様にしてる」いつだったか、そんなことをリュカは言っていた。行く店を毎回変えるのも、同じ貴族に買われない様にするためなんだとか。
リュカは、誰かと深くつながる事を恐れている様に見えた。どうしてなのかは、未だに分からないけれど。
それでも相手は違う。どうしてもリュカにまた抱かれたいのだと縋る貴族の女を、リュカがそっけなくあしらい拒絶する姿を何度も目にしたことがある。その姿を見るたびにあたしは心に決めるのだ。リュカに嫌われないために、絶対にしつこくしないって。つかず離れずの今の位置でいいの。嫌われさえしなければ、いつかリュカが振り向いてくれる日が来るかもしれないから───。
「あら、リュカ、今日は街へ行くの?」
リュカと連れ立って港から街への坂道を上りきったところで、リュカはいつもあたしとは反対方向に───リュカの住む集落の方へ曲がる。それなのに、今日はあたしが行くのと同じ方へ足が向いた。
「これ、貼るように言われてるから」
実は、さっきから気になっていた。リュカの手に数枚のひらひらした大きな紙が握られていたから。
リュカが見せてくれたそれは、最近街の壁や電柱によく貼られているポスターだった。いつもすぐに盗まれてなくなるから、しっかり見るのは初めてだ。
「王子……探してる……?……あら、お金が貰えるみたいね」
「お前、文字が読めるのか」
リュカが目を丸くした。あたしは少し胸を張って答える。
「ええ、少しだけど。物好きの貴族がいて、どういう訳か時々教えてくれるの」
「そう、か」
「これ、いつもリュカが貼ってたんだ」
「ああ。商人に頼まれて」
「こんなの、この町に貼ったって誰も読めないのにね」
「盗まれて終わりだな」
「この国の王子様、行方不明なんだ」
「みたいだな」
「リュカは知ってたの?」
「商人に聞いてたから。お前、ここは読めるか?」
リュカにここ、と示された箇所を読み上げてみる。知らない単語だ。
「ファロー、チェ……?分からないわ。人の名前?あ、もしかして王子の名前かしら」
なぜだろう、リュカの纏う雰囲気が変わった。緊張?いや、焦り……?
「……お前は王子の名前を知ってるか?」
「知らないわ、そんなの。興味もないし」
「そうか」
リュカは今度は胸を撫で下ろして息を吐いた。変なの。
「どうしたの?リュカ」
「なにが?」
「なんか、あたしがこれ読めたらまずい、みたいな」
「べつに」
「あやしいなぁ。何か取り繕ってない?」
「何をだよ」
「分かんないけど」
「……お前、いいのか?もう店開く時間じゃねえの」
「あ、いけないっ!行かなきゃ!」
ついつい話し込んでしまったけれど、今日はそもそもリュカが港から戻ってくるのがいつもより遅かった。走らなきゃ遅刻だ。またマスターに怒られちゃう。
「リュカ、またね!またお店にも来て!」
できればルーシュを連れず、一人で。仕事目的じゃなく、あたしと話す為だけに来てほしい。これまで一度だってあたしの為に時間を割いてもらったことなんてないけれど……。
「潮時、だよな……」
リュカが小さな声でため息交じりに何事か呟いた。振り返ったあたしに、リュカは微笑を浮かべて手を振った。リュカにあんな風に微笑まれるのは初めてで、どきんと胸が跳ねて思わず正面に向き直った。どぎまぎして緊張して、もう振り返れない。
その微笑みが、あたしを誤魔化す為のものだったんだって気づくのは、大分後になってからだ。
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