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丘の上の墓地 2

 顔を洗う僕を待って外に出たリュカは、そのまま集落の上へと繋がる道へ進んだ。アンリとハンナの家の前を通り越して、僕がまだ足を踏み入れたことのない、高いところにある家の前も通り過ぎた。そうして辿り着いたのは丘の頂上だった。スラムの街を見下ろせる眺めのいいその場所に、モニュメントの様に大きめの石がいくつか積まれてあった。その石の前でリュカは足を止めた。 「ここは……」 「墓だ。俺の母親が眠ってる」 「リュカのお母さんが……」  墓石には名前も何も彫られてはいなかったけど、その手前に少し萎れた野花が数本供えてある。 「この花、リュカが……?」 「昨日な。今朝はまだ、供えてない」  僕が眠っている間、リュカは毎日、毎朝ここに花を供えに来ていたのかも……。 「僕もお花、供えていいかな?」 「ああ」  僕は慌てて野花を探した。リュカは僕が花を摘んでいる間、石の前でじっとしていた。お墓のお母さんに何か話をしているのかもしれない。そう思って、少し時間をかけて花を摘んだ。 「ありがとな」  花を供えて手を合わせお祈りを済ませた僕に向かってリュカが言った。ううん、と僕は首を振る。リュカの家族が眠る場所は、陽の光をさんさんと浴びて野花が元気に咲き誇り、蝶が舞い遊ぶ、そんな生命力に溢れた場所だった。墓地だってことも忘れて、草の上で寝っ転がりたくなる。ここで昼寝でもしたら気持ちよさそうだ。きっとリュカは、ここスラムで一番気持ちのいい場所に愛する家族を眠らせてあげたかったんだと思う。リュカらしいな。 「リュカのお母さん、どんな人だったの?」 「……立派な人だった。昼夜なく働いて、女手ひとつで俺とニナを育ててくれて。……ニナには重い持病があってな。高額な薬が必要だったんだ。大変だったと思う。けど、子供の……俺たちの前では辛い顔ひとつ見せずにいつも笑ってたよ。……相当、無理してたんだろう。朝起きたら、心臓が止まってた」  リュカだ。話を聞いてそう思った。辛い顔ひとつ見せずに文字通り身を粉にしてお金を稼いできてくれる。お荷物の僕に対して欠片も恩着せがましいことは言わないで、そんな態度さえも全く見せないで……。 「ねえ、リュカも無理しないで。僕、身体も大きくなってきたし力もついてきた。少しくらい危ない仕事だって、もうできるよ」 「そうか」  あっさり頷かれて、驚いた。いつも、僕がこういう事を言う度にリュカにはまだ早いとたしなめられていたから。 「僕、明日から仕事探しに行くよ。いい?」  リュカの目をじっと見る。リュカは視線を外すと、言った。 「ああ、明日から、な」  目を合わせて頷いてくれないのがどうしてだか少し気にはなったけれど、それでもリュカが認めてくれた。僕はようやく本当の意味でリュカの役に立てるんだ。もうリュカに身体を売らせたりはしない。絶対に。シダとの事も、どうにかする。まだ方法は思いつかないけれど……いつか絶対に、あいつにも手を引かせてやる。  「ねえリュカ、石に名前を彫ろうよ」 「名前、か。いいな」 「うん。お母さんはなんて言うの?」 「ジル」 「ジル、ね。じゃあこれでいいかな?」  砂地を見つけて地面に「Jill」と書いて見せる。リュカが頷いたのを見て、続けて「Nina」も横に書いた。腰帯からナイフを抜き出したリュカは、墓石に向かいながら言った。 「ニナの名前は彫らない」 「え、どうして?」 「ニナはここにはいないんだ」 「え……」  びっくりしたけど、思い返してみるとリュカはさっきこう言ってた。「ここには母親が眠ってる」って。その時はなんとも思わなかったけど……。 「ニナのお墓はどこに……?」  早速石に「J」の文字を彫っているリュカの隣まで行って訊ねてみたものの、リュカはガリガリと石を削るだけで何も言わない。聞こえてないはずはないと思うんだけど……。

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