84 / 115

彼に会うために 1

 何度か馬車を乗り換えほとんど丸一日走って、王宮にたどり着いたのは次の日の朝だった。ロレントに連れられ玉座で対面した父は、少し頬がこけた様に見える。元々あまり身体が丈夫でない父のやつれた姿は流石に良心が痛んだ。  どんな罰が課されるのだろうかと思っていた。けど、父に人目も憚らずに抱き締められて、「悪かった」と逆に謝られた。ゆっくり休みなさいと優しく声を掛けられて、この時初めて、僕は心からごめんなさいと思った。父に。ロレントに。僕のせいで奔走させられた兵士に。心配をかけたこの国のすべての人たちに。  王宮に戻って何日かは、リュカを思って枕を濡らした。リュカはどうして僕の事を国に突き出したのだろう。あんなに愛し合っていたのに……。それは僕の勝手な勘違いだったのだろうか。リュカが好きなのは僕ではなくセックスで、ただ気持ちいいことがしたいだけだったのだろうか。  いや、そもそもセックスも本当はいやいやしていたのかもしれない。リュカは僕に甘すぎるほどに甘かった。僕がしたがるから、仕方なくリュカは付き合っていただけなのかもしれない。それにうんざりして、僕を帰したくなったとか……。  それとも、花冠の事、本当は許せなかったのかな……。辛いけど、ロレントが現れたタイミングを思えばそう考えるのが一番妥当だ。けど、そうなるとあの後にしたセックスに矛盾を感じる。リュカは全然怒ってないし、むしろ自分が悪いってまで言っていたし、最後一日中抱き合っていたあの日のリュカのすべてが嘘だったなんて思いたくない。それを言うならリュカと身体を合わせたすべての日、リュカの優しさ、僕に向けてくれた笑顔、そのすべて嘘だなんて思いたくない。  やっぱり、そもそも僕とのセックスが嫌いだったのだろうか。だって僕の事、嫌いじゃないって、追い出すつもりはないってリュカは言った。それなのにこんな風に追い出されたのは、セックスが嫌だったからなのかな……。あ、そうだ、分かった。僕の生活費を稼ぐのが大変だったんだ。けど、頑なに僕を働きに出さなかったのはリュカだし、そのことで大変そうな素振りを見せたこともなかった。「お前ひとり養うぐらいなんてことない」ってよく言ってくれてたけど、その言葉は嘘だったのかな……。  考えても考えても何が正解なのか、どのリュカが嘘だったのか分からない。けど、僕に見せていた姿が全部本物だとしたら僕を追い出したりしないはずなのだ。どのリュカも嘘であって欲しくないのに……。 * 「スラムに戻りたい?」  考えても考えても考えても分からないし納得できないから、僕は思い切って父王に申し出た。王の隣に控えているロレントが嫌そうに顔を歪めたのが目の端に写る。 「ファルーシュよ、何を言っておるのだ」 「もちろん、ちゃんと戻ります。お世話になった人たちに何の挨拶もできないままでしたので、御礼を言いたいだけなのです」 「それならばお前は心配せずともよい。お前を保護してくれていたという若者と連絡をくれた商人には十分な謝礼を渡してある。その他にも謝礼が必要な者がいるなら申してみなさい」  「いいえお父様。私はその者たちに直接お礼をしたいのです。スラムで私は様々な事を学んできました。今後のこの国を担う上で大切な事ばかりです。私が直接この頭を下げてお礼を申し上げなければ、腹のおさまりがつきません」 「ううむ……」  父王は元々僕に甘い人だった。僕が家出なんて思い切ったことをやらかした今は、以前よりもさらに僕に弱くなっている。 「陛下、なりません。殿下は件の若者に陶酔しております。あれは殿下にいい影響を与えないかと」 「ロレント」  ロレントが父王に耳打ちした声は僕にもはっきり聞こえてきた。咎めるようにその名を呼ぶと、渋顔の大臣は口を引き結んでばつが悪そうに俯いた。 「確かに私は彼を人として尊敬しています。彼は素晴らしい人物です。ロレントが彼の何を知っていると?ただ彼の身分を見下してそのような事を言っているのなら、看過できません。貴族だろうと、平民だろうと、貧しいスラムの住人だろうと、この国の民はみな平等であるべきです。私は、この国のあり方をそのように変えていきたいんです、お父様」  ここに戻ってから、僕は父王に何度となくこう説いてきた。僕に甘い父王はそうか、と頷いてくれているけれど、大臣を初め古い考えの役人たちは顔をしかめる。ほら今も。けどお父様はいつもの様に頷いてくれた。 「その志、父はしかと受け止めた。よし、ロレント。ファルーシュに同行するがよい」 「わ、わたくしですか」 「王子をこの様に立派に成長させてくれたその者に、王国として礼を欠くわけにはいかぬであろう。ファルーシュとともに私の名代としてその者のもとへ赴き、然るべき爵位を与えてまいれ」 「は、ははあっ!」  まさか、爵位を与えるとまで言われるとは思わなかった。それでは身分制度そのものを見直したいと思っている僕からすれば本末転倒だけれど、今すぐ変えることのできないこの国の現状の中でその処遇は間違いなくリュカを生きやすくすると思った。少なくとも、シダに「俺の女」呼ばわりされたり、商人に顎で使われることもなくなるだろう。リュカが望んでくれれば、王宮に住まわせることも可能になるかもしれない。あの夢物語の通り、僕のヴァレとして一生傍に遣わすことだって……。  あれこれ悩んでいたのが嘘のように、僕は希望に満ちていた。リュカに会いさえすれば、僕たちの関係はすぐに元通りになれる。そんな風に楽観的に考えるようにすらなっていた。僕があの世界に行くのではなく、リュカを僕の住む世界へ連れてくればいいだけの話だった。そうすれば僕は僕の責任を果たせるし、リュカだって、あの生き方に満足している筈はないのだ。きっと、上を目指してくれる。僕と生きる道を、選んでくれるはずだ。

ともだちにシェアしよう!