92 / 115

事情聴取 2

 さっきから、震えが止まらない。もう隠せないほどになっているというのに、警戒心を捨てた男は、少女───ニナを拐った過去に想いを馳せているのか、僕の変化に気づく様子もない。 「それで、その少女は今どこに?」  声も震えた。けど幸い男に僕を怪しむ様子はない。 「死にましたよ。我々は性奴隷の調教も担っているんです。もちろん、初モノが好みという場合はそのまま引き渡しますがね、大抵の貴族は面倒のない調教済みの奴隷を欲しがりますからね。殿下はどちらがお好みですか?」 「ぼく、は……」  あっさり知らされたニナの死に、息が止まりそうになった。ニナがどんな辛い思いをして死んでいったか。それを知ったらリュカがどれだけ苦しむか……。ちゃんと答えないと怪しまれるって言うのに、言葉が出ない。けど、男は僕を怪しまなかった。どうも恥じらっていると思ったらしい。 「初めての奴隷は調教済みをお勧めしますよ。初モノはやはり扱いにくいのです。言う事を聞かないと言って返品されることも多いので、うちでは基本的に調教することにしています。あのピンク髪の少女の調教は、私も久々に楽しみにしていたんです。何せ美しい容姿をしていましたから。なのにあれは不良品でした。服を脱がせようとしただけでおかしな発作を起こしましてな。何にもできないまま死んでしまったんです。あれは喘息ってやつでしょう。あんなに酷い発作持ちで、よくあの年齢まで生きていられたと思いますよ。相当大事に育てられていたんでしょうなあ」   頭が真っ白だ。言葉が出ない。まだこの男から引き出さなきゃならない情報があるというのに。───しっかりしろ。もうミスは許されないんだから……。 「そ、れで、その少女の遺体はどこに……」 「遺体、ですか?おかしな事を気にされますな、殿下」 「神、頼みだよ。君みたいな奴隷と出会わせてって、その子のお墓に手を合わせたいんだ」  頭の中で、リュカと顔の知らないニナに謝る。喩え口からでまかせでも、酷い侮辱だ。けど、男は僕の言葉に不快感を示すどころか愉快そうに笑った。 「殿下は面白い考え方をなさる。しかし残念ですが墓などありませんよ。調教中に死んだ奴隷はみんな一ヶ所に棄ててるんです。共同墓地と言えなくはないですが、ただの穴ですし……。いや、もしかしたらあれを供養すれば或いは……」  なんて、酷い……。たかだか金の為に尊い命を踏みにじるだけに留まらず、その遺体まで物の様に扱って……。こんなの、リュカが知ったら……。 「殿下は流石、着眼点が違いますな───」 男はひとり感心している。もう僕は取り繕えない程の嫌悪感をこんなにも持て余しているというのに。 「いえ実はですね、あのピンク髪の少女の呪い、なる被害が最近続出しておりまして」  だからもう話を終えよう。これ以上は耐えられない。そう思っていたところだった。けれど、今しがた男が言った「ピンク髪の少女の呪い」なるワードがどうにも気にかかった。  僕はこれが最後と自分に言い聞かせ、再び仮面を被った。 「……それは一体どういう被害なんですか?」 「殿下にはもう隠す必要もありますまい。わたくしたちは各地の貧民街を巡って娼婦から子供を買ったり、人さらいを働いて奴隷を調達しております。それもこれも全て、それを求めるお客様のためなのですよ。異国のエキゾチックな容姿を好むお客様も中にはおりますが、極々少数派です。性奴隷はデルフィア人が圧倒的に人気なのです」 「……それで?」 「そういう訳で我々は貧民街で子供を拐っているのですが、最近その仕事に出た人間がいつまで経っても戻ってこないという事態が続出しておりまして……」 「戻ってこない……?」 「それが、あのピンク髪の少女の呪いなのではないかと組織の中で噂が立っておりまして」 「……どうして、そう思うの?」 「ええ。それが、命からがら戻ってきた者がこう証言したのです『あのピンク髪の少女にやられた』と」  それは、もしかして───。 「一人で暗がりを歩いていた少女を捕えようとした時、突然後ろから喉を掻き切られたそうです。幸い傷が浅くその者は瀕死の状態で生き残りましたが、おそらく他の者は同じ手口で……。薄れゆく意識の中、その者はピンク髪を見たと言うんです。その顔もあの少女に瓜二つだったとかで……。俄には信じがたいですよね。ですが、我々後ろ暗い商売。余計な恨みを買わないためにも、拐う瞬間は誰にも見られない様細心の注意を払っております。被害に遭って九死に一生を得た者はかなりの手練れでした。その少女と自分以外誰も傍にいなかったと断言しています。……呪いだなんて、殿下は笑いますか?いえ、私も初めはばかばかしいと思っていましたよ。ですが、各地で立て続けに行方不明者が出ていることを考えれば、これはもう亡者の仕業としか思えませんでしょう?」  奴隷商がぶるりと身体を震わせた。 「呪いがある限り人拐いには出たくないと言う者が近頃は続出しておりまして、商売にならず我々も困っていたのです。ですから殿下に賜ったご意見、大変参考になりました。あの少女の墓でも立てれば、呪いが止むかもしれませんね」  ありがとうございます。奴隷商はそう言って呑気に笑っている。 「商売が再開できましたら、殿下お好みのピンク髪の男を真っ先に捕えて参りますね。例の港町スラムを探せば、あの少女の兄弟なんかがいるかもしれませんね。あの港町は我々の拠点から遠いものですから、大貴族の依頼でもなければ滅多に立ち寄らないのですよ。一応、我々の商売にもそれぞれ担当の「シマ」がありますからね。同業者に睨まれると仕事がやりずらくなるんです。ですが殿下のためでしたら、何を置いても優先させますよ」 「……あなたの組織の拠点はどこにあるんです?」 「ああ、一度見に来られますか?殿下は特別なお客様ですから。実際に奴隷たちを見て、好みの商品を選んでいただいてもかまいませんよ」 「そうさせてもらうよ。それで、場所は?」 「ええ、南の大河を渡った先の………………」 「この者を捕えよ」  最後に組織の拠点を吐かせた直後、僕は扉の前で直立不動だった二人の近衛兵に命じた。すぐに事態が把握できず呆然としている奴隷商とは違って、近衛兵は僕の命にすぐに動いた。即座に両脇をがっしり固められ、ようやく男は顔を青ざめさせた。 「殿下っ!もしやわたくしをたばかったのですかっ!」 「この者は禁じられているデルフィア人の人身売買常習者で重罪人だ。地下牢へ」 「はっ!」 「殿下……!……っこんの、クソガキがぁっ!!!!」 「……後に然るべき審判が下りましょう。それまでは、あなたがこれまでに奪った何の罪もない尊い命に、踏みにじられた尊厳に謝罪し続けてください。いくら反省しても、許されぬ罪というものがこの世には存在しますが、地獄の業火の炎を少しでも和らげたいのであればそれが賢明です」  男は僕の声を遮るように聞くに耐えない侮蔑の言葉を喚きながら部屋から連れ出されて行った。 「すぐに出かけるから、馬車の用意をお願い」  僕は代わりにやってきた兵にそう告げると度装束のマントを再び羽織った。  「ピンク髪の呪い」の正体は、間違いなくリュカだ。リュカは足音を立てない。風の様に素早く、鳥の様に身軽だ。リュカなら、奴隷商に気づかれず尾行することも、そして難なく暗殺を遂行することも可能だろう。  僕の脳裏に浮かんだのは、初めて出会った時のリュカの鋭い視線。あんな暗い目をして、リュカは───。  止めなくてはならない。一刻も早く。リュカをもうこれ以上苦しませないために。

ともだちにシェアしよう!