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ニナの眠る場所 1

「この森の奥深くにあるとされる泉には言い伝えがありましてな。何でも、どんな願いでも叶えてくれるとか」 「へえ。面白い話だな」 「ええ。けどそのせいで遭難者が後を立たんのです。猟の最中思いがけず亡骸と遭遇するのは、やはり気持ちのいいものではありません。最近は巷で死の森なんて呼ばれる様になってしまって。本当はここはもっと神聖な場所なんですがね」  この森で猟をするという付近の村のハンターを案内人に、鬱蒼とした木々の中、道なき道を行進する。ハンターの言う様に、森の中で道に迷って命を落とすものも少なくない様だ。森に入って一時間も経っていないのに、もう既に遭難者と思われる遺体と二度も遭遇している。確かに、気持ちのいいものではなかった。  日頃の運動不足が祟ってか、息切れの激しい僕とは違って余裕の表情でハンターのおじさんと雑談をかわすリュカの横顔を横目で盗み見る。死の匂い色濃いこの場所で、これから愛する妹の遺体と対面するかもしれないのだ。内心は思うところが沢山あるだろうに、リュカの表情は一見いつもと何ら変わらない。こういうのをポーカーフェイスと言うのかな。  今のところ逃亡を企んでる様子は見受けられないけれど、この手の届かないところへ行ってしまうのではないかという不安は少しもなくならない。けど、連れて来ない訳にはいかなかった。早急にリュカの機嫌を取りたかったのだ。それには、リュカの望みを叶えることが一番だから。  多分僕はリュカに幻滅された。リュカの事こんなに好きなのに、快楽が欲しくて、セックスの誘惑に流されて、リュカを酷く侮辱するようなことを言ってしまったから。相変わらず優しいリュカは、あの日のやり取りなんてなかったみたいに変わらない態度で僕に接してくれているけど、僕はあの時見たリュカの暗い瞳が忘れられない。リュカはあの時確かに幻滅し、絶望していた。 「お探しの穴はあれのことじゃないかと思うんですが」  ハンターが指差した先は、木々が密集している周囲とは違って、開けた場所だった。木の枝葉で他が暗い分、開けたそこだけ倍以上明るい。まるで、空から光の柱が降りてきているかの様にも見えた。  近付くと、その地面に巨大な穴がぽっかりと空いていた。穴の淵が、弱冠焼け焦げた様に黒っぽくなっている。恐る恐る中を覗くと、そこには人の形を保っていない焼け焦げた黒い塊がいくつも無造作に転がっていた。思わず胃の中身が込み上げてきそうになるのを何とか堪えて、隣に佇むリュカに視線をやる。リュカはただ黙って穴を見下ろしていた。 「ひどい……」  あの奴隷商の元で死んだ者の身体は、遺体は、穴の中に放り投げられて火をつけられたのだろう。まるでゴミか何かの様に……。想像はしていた。生きている人さえも尊ぶことをしない奴等が、遺体を丁寧に扱う筈ないって。けど、こんなの────。 「ごめんな……」  リュカがぽつりと言葉をこぼした。悲痛。無念。後悔。言葉で言い表せない苦しみが、その一言に全て詰まっていた。 「……祈ろう、リュカ。ニナと、ここに眠る者たちの魂が、安らかに天に召される様に」  リュカが今、どんなに辛いだろうと思うと、鼻の奥がツーンとした。目の奥から熱いものがこみあげてくる。手を合わせながらぐすんぐすん鼻を鳴らしていたら、ふ、とリュカが息を吐いたのが聞こえた。 「何でお前が泣くんだよ」  目を開けて顔を上げると、リュカが寂しそうな顔で笑ってた。ああ、やっぱりリュカはこんな時でさえ泣けないんだ。 「リュカのことを思って、泣いてるんだよ」 「俺?」  リュカが素で驚いた顔をした。僕はそんなリュカの身体を抱き寄せた。下心などないと、今は胸を張って言える。 「リュカ、辛いね。辛かったね。泣いたっていいんだよ。ねえ、一緒に泣こう?僕一人でこんなに泣いてたら、恥ずかしいから」  また、ふ、とリュカが息を吐いた。背中にリュカの腕が回される。暖かい……。 「ありがとう、ルーシュ」  リュカの声は小さかったけど、震えてはいなかった。いいんだ。リュカの分も、僕が泣くから。リュカの悲しみは、僕が半分背負うから。

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