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ニナの眠る場所 3

「あの日は嵐が近づいてきててな。ニナは珍しく怖いって言ったんだ。行かないで欲しいって。けど俺はその頃に決まったばかりの仕事があって、信用のためにはどうしても穴を空ける訳にはいかなくて……。夕方家に帰った時にはもうニナの姿はなかった。玄関先に、いつも俺の誕生日にニナが作ってくれてたシロツメクサの花冠と見たこともないボタンが落ちてた」  リュカは墓石のその向こう側を見る様な遠い目をして、話を聞かせてくれた。静かだけどよく通る声に、リュカの心の強さと苦悩が滲み出ている。 「唯一の手掛かりのボタンを握りしめて、俺は街中を捜索した。ニナの行方と、ボタンの持ち主の両方をな。ボタンが奴隷商のものだって判明したのと同じくらいの時期、スラムで俺を探し回ってる貴族がいたって情報を耳にしたんだ。そいつは『あいつを奴隷にしてやる』って嘯いて回っていたらしい。言われて、心当たりはあった。上層の貴族の家に仕事に行った時、しつこく誘ってきやがった奴がいたんだ。隙を見て逃げ帰ったけど、多分そいつが俺を探し回ってた貴族だと思う。……せっかく手がかりを見つけたってのに、神様は意地悪だ。俺が仕事で行った上層の家の主は流行り病であっさり死んでやがったし、俺を狙ってた張本人は上層の人間じゃなかったらしい。そいつがどこから来たのか、誰なのか、結局今も分からず仕舞いだ。正直、そいつの顔だってぼんやりとしか覚えてない。俺の頭は、肝心な時に使い物にならねえんだ」  自嘲するリュカに、僕はそんなことないと首を振った。聞いているだけで胸が苦しくなる。当時のリュカがどんなに辛かったか、そして今も尚苦しんでいることは、僕が気にかかっていたリュカの言動を思い起こしても痛々しいほどに伝わってくる。もしかして、リュカの言う罪って……。解りかけた時、リュカがぽつりと言った。 「ニナは、俺のせいで拐われた」 「それは違うよ!違う!」 「どこが違う?どう考えたって俺の身代わりになったんだ。大方、ピンク髪のガキを拐って来いとでも命じられてたんだろ。俺は当時必ずフードで顔を隠して街に出てたから、狙われなかった。代わりに、ニナが……。それに、あの日が俺の誕生日なんかじゃなきゃ、あんな天気の中ニナは外に出なかったんだ。誕生日プレゼントの花冠を作るために、外に出たんだ、あいつは……」 「リュカ、お願い。自分を責めないで……」  リュカが痛いくらいに自分を責めているのが伝わってくる。そんな風に思わないで欲しい。ニナだって、そうやってリュカが自分を責めるのを望んでいないはずだ。そう思ったけど、それはニナの事を何も知らない僕が軽々しく口に出していいことじゃない。 「責める、なんて生易しいものじゃ足りねえよ。俺は自分が許せない。軽率に貴族について行った自分が。端金に釣られてニナの願いを聞いてやれなかった自分が。あんな日に生まれたことさえ……」 「だめだよ、そんな事言っちゃ!リュカにはお金が必要だった。お金がなきゃ君たちは生きていけなかったんだから。君はただ、生きるために行動しただけで、非はひとつもないじゃないか」 「後からなら、何とでも言える」 「リュカの言ってることだってそうだよ。リュカは結果論から悪いほうにこじつけてるだけだ」 「俺が軽率なことをしなければ、もしかしたらあの時逃げないで貴族の相手をしていれば、俺が狙われる事はなかったし、ニナが拐われる事もなかった。もしも俺が顔を隠さずに街に出てれば、拐われるのは俺だった。何でニナだったんだ……。俺なら、死ぬことはなかった。奴隷に堕とされたって、這いつくばって媚び諂って、靴を舐めてでも、生き抜いてみせたのに……」 「リュカ……」  どんな言葉を尽くせば、リュカの心を軽くしてあげられるんだろう。僕には、リュカの言葉を否定する言葉しか浮かばない。けどそれではリュカを頑なにする事しかできない……。

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