114 / 115

彼の心 5

 僕のプロポーズ作戦は最初から出鼻をくじかれた。  僕はいつかの様にリュカよりも朝寝坊をしてしまって、僕が目覚めた時リュカはもう綺麗に服を着こんで窓辺の椅子に行儀悪く座っていた。 「い、行くって、どこへ!」    そしてあろうことかリュカはここを出るって言うから、起きぬけに心臓がバクバクした。 「昨日の話、聞いてたか?旅を続けるんだよ、俺は」 「な、なんで!人助けなら、ここでだってできるでしょ?城下町にも、困ってる人の一人や二人いるよ!」 「ここは平和だよ。お前がいるんだから」 「そ、それは僕を買い被りすぎだ!僕だって目の届かないところはある!」 「そうだな。けど、遠くの村や町には、もっと目が届かないだろ」 「と……届けるよ!届けてみせる!だから君は僕のそばに、」  ───喚いていた僕が黙ったのは、唇を塞がれたせいだ。リュカの、唇で。 「ずっと言わなくてごめん───」  すぐに離れた唇の代わりに額同士をくっつけて。 「好きだ、ルーシュ。ずっと、好きだった」  リュカの美しいローズベリルの瞳に、僕の碧が反射している。  ───ようやく報われた。嬉しいのに、幸せなのに、僕はただリュカの瞳を見つめるだけで言葉が出なかった。  口を開いたら、目の前のリュカが崩れ去ってなくなる様な気がして───それだけの強い別れと喪失の予感が……いや、確信が、僕の胸を揺さぶっていた。 「身を引かなきゃって、思ってた。それは、俺の贖罪もそうだし、お前の立場もあるからだ。俺はな、本気でお前に夢を叶えて欲しいって思ってるんだぜ。お前の抱く夢が実現すれば、ニナみたく踏みにじられて命を奪われる人間が、弱者がいなくなるかもしれない。俺はそんな世界を見てみたい。お前ならそれを作れるって、信じてる」 「そんなの……無理だよ。僕には……」 「無理じゃないさ。お前ならできる。俺が惚れた男なんだから」  リュカが優しく微笑んだ。それが最後の別れの手向けに思えて、僕は弾かれた様にリュカの腕を取った。 「いやだ!だめだよ!行かせない!リュカ、僕の傍にいて。お願いだから行かないで」 「勘違いすんなよ。別に永遠の別れってわけじゃない。俺はもう自分の気持ち、お前に言っちまったんだから」 「けど……っ、」 「約束する。罪を贖ったら、またここに……お前の元に戻るって。なに、心配すんな。じいさんになるまで待たせたりしねえよ。だから…………」  口を開きかけてはやめてを何度か繰り返した後、それでも尚決断できないでいるらしいリュカが、「聞いてくれるか?」と言ってきた。僕はいつの間にやら出てきていた涙を溢しながら頷く。  もう、僕に何ひとつ隠さず、全部の気持ちを曝け出して欲しい。僕は君の心が欲しいんだ。ずっとずっと、リュカが心を開いてくれる事を願ってきたんだ。 「…………待ってて、欲しい。俺が、幸せになってもいいんだって、思える日が来るまで」  リュカが何度も躊躇いながら言った言葉は、初めて僕に甘えてくれた言葉で、いつか幸せになることを受け入れてる言葉で、いつか僕と共に生きる事を願っている言葉だった。  それは嬉しいなんてそんな程度のものじゃなく、尊くて愛しくて、好きで、大好きで、心が震えて───ともかく、僕の涙腺は壊れた。  当然だよ。いつまでだって君を待ってる。  僕は、そう包容力たっぷりに答えるべきなんだ。分かってる。それが正しい答えだって。けど、どうしても言えなかった。本音は、いやだ、と答えたいから。「いつか」じゃなく、「今すぐ」幸せになりたいから……。  足枷をつけて、縛り付けて、リュカをどこにも行けないようにしてこの部屋に閉じ込めてしまいたい。もう二度と離れ離れになんかなりたくないよ───。  僕はボロボロ涙を流しながら、ぎこちなくリュカの言葉に頷いた。  ───そうするしかなかった。リュカをここに閉じ込めても意味がないって分かるから……。  リュカに幸せを受け入れる覚悟がなければ、僕たちはこれまでと同じ、平行線。つまり、僕とリュカの間には、深い溝がぽっかりと空いたままなのだ。  だから、いやだけど、悲しいけど、辛くて痛くてどうにかなりそうだけど、頷く以外の選択肢が見つけられなかった。 「ありがとう」  リュカは、あの頃みたいに僕の頭をぽんぽんと優しく撫でると、迷いを断ち切るみたいに僕に背を向けた。  そして、振り返ることなく、まるで水鳥が水面から飛び立つみたいに静かに、音もなく、僕の前から姿を消した。

ともだちにシェアしよう!