扉をくぐるとそこは雪国、ではなく夜だった。 　視界の正面には、少し離れたところに土壁が見え、壁を右にたどると木造の門がある。足元は木の階段。後ろを振り返ると、町でも見かける地蔵を祭った祠のようなものの入り口に立っているのが分かった。祠には大きな屋根がついている。 「これは、持仏堂だな」 　どう見ても、和風の建物だ。 「どこだ、ここは？　ってか、寒い、冷たい！」 　今は十一月半ばを過ぎた頃だから――現代日本なら、ということだが――寒いといえば当たり前なのだが、俺は部屋の中では年中、Ｔシャツとジーンズ、そして素足だ。だからもちろん今も、靴はおろか靴下も履いていない。 　ルースに連れてこられるまま来てしまったが、もっと準備をしておくんだった。これは死ぬかもしれない…… 　床にはほこりが積もっているのだろう、ざらざらしたものが足の裏についた。 「そういえば、そのまま来てしまったね」 　そういうと、ルースは俺の腕を取り、横にぴったりとくっついてきた。 　ルースよ……なんだか随分と密着度がエスカレートしてきてるんですけど…… 「ボクで、暫く我慢してくれないかな」 「いやいやいやいや、そうじゃなくて」 「嫌かい？」 　俺の耳元で囁くようにルースが尋ねる。 　故意犯か、それとも確信犯か……こいつ、絶対、俺の精神を殺しに来てる。 「別に、嫌じゃない。嫌じゃないけど、ここはどこだ？　なんだか、日本っぽいぞ。異世界じゃないのか？」 「日本に似ているどこか、というのが正しい、かな。少なくとも、コノエが住んでいる世界じゃない。異世界というより、並行世界と言った方が正しい、ね」 「へいこう？……ああ、『並行』か」 「世界はＸＹＺ空間がＷ軸方向へ積み重なって出来ているんだよ。大胆に例えて言うなら、世界は高層ビルのような構造になっている。コノエの世界が十一階にあるとすると、その上の十二階にこの世界がある、みたいな感じかな」 　十一とか十二とか、その数字はどこから出てきたのか。あまり突っ込むと、世界の深淵にたどり着きそうなので、やめておこう。 「なるほど。んじゃ、さっきの宇宙空間みたいなところは、上下の階層を結ぶ階段かエレベータだな」 　ルースはふふっと笑うと、「いい、例えだね」とウィンクをした。 　空のやや低いところには、星空を消すように満月が出ていた。満月がこれほど明るいとは、現代日本ではなかなか感じることはできないだろう。暗い中でも、ある程度の様子が見て取れる。 　壁で囲まれた敷地は意外に広いようだった。この持仏堂の斜め後ろには、月明かりに照らされて、母屋らしき木造建物が見える。まるで平安貴族が住むような、十円玉に刻まれている宇治の平等院っぽい建物のシルエットが、どんと構えていた。 「なんでこんな建物が」 　そう言って振り向くと、ルースの顔が俺の顔のすぐ傍にある。月の光が陰影を作り、白い肌とそして白い髪をキラキラと輝かせていた。 　ルースのはく息が俺の頬に当たるのを感じる。神様も、呼吸するんだ…… 　ふと、ルースの瞳が少し潤んだように、紅くにじむ。 「ねえ、コノエ……」 　このまま、『あやまち』をしてもいいと思わせるような艶っぽさ。もう、いっそ、アッチの世界に行ってしまいたくなるような…… 「し、死にかけの魂はどこにいるんだ？　さっさとお迎えに行こうぜ」 　俺は煩悩を振り払うと、明後日の方向を向いて、ごまかした。 　神よ、我を許し給へ。 「よし。ここは俺が、阿弥陀に代わって、おしおきしてやるよ！」 　握りこぶしを固めて、夜空に吠える。もはや発言の内容まで明後日の方向へと飛んで行っているが、ルースが何を考えているのかいまいちつかめていない俺には、気の利いた発言をする冷静さも、これ以上踏み込む勇気も全くなかった。 　そう、俺は振られたばかりで、ただ寂しさを紛らわせたいだけなんだ。 　ルースに――男に目移りするとか、気の迷いに違いない。 「いや、そう簡単なものでもないんだよ」 「そ、そうなの？」 　体を少し離して、もう一度ルースのほうを見る。 　げっ。怖い、マジ怖い、別の意味で怖い。眼が怒ってるよ、ルース。 　なんで？　なんで？