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ディープ・クリムゾン・サフラワー⑨

 屋敷を出ることにしたはいいが、一体どこへ行けばいいのか、俺は途方に暮れていた。  流れ上そうするしかなかったのだが、俺は藤に見られるのも何かと思い、いったん門から屋敷の外へと出る。  帰ることができるとすれば、あの謎空間から出てきた場所、つまり持仏堂からだろう。しかし、庭を通って直接こそへ向かえば、さすがに怪しいというものだ。  一旦外に出て、別の所からもう一度中に入りたいのだが……  そういえば、目的をすっかり忘れていた。『魂の選別』なることをしなければいけない。その方法はおいておくとして、どうにも時間がかかりそうだ。なにせまだ二人にしか会えていない。  昼間に来ればいっぱい人がいるだろうか? しかしどうみてもこの屋敷は、人気が少なそうだった。もっと、人が多いところに行かなければならないようだ。  それにしても、この屋敷には何人が暮らしているのだろう。あの二人以外にももう少し誰かいるのだろうが、屋敷の外も中も寂しさが漂っていた。  とりあえず外壁沿いに歩いて、もう一度敷地の中に入れるところを探すことにする。崩れているところが数か所あったので、どこかに体が通る隙間くらいあるに違いない。  と、前から歩いてくる人影が見えた。挿絵などでよく見る平安貴族の普段着姿の男が二人。 「やや、かの邸より人が出てきたぞ」  そんな声が聞こえた。どうも俺を見て言っているらしい。こんな夜中に一体何をしているのやら。他にすることがないのか、お前ら。 「もし。どちらのお方かな」  背の高い方の男が声をかけてきた。物腰の柔らかい優しそうな男だ。見ず知らずの俺にいきなり声をかけてくるとは……何の用だろう。 「おいおい、こいつは今時、毛皮の表着を着ているぞ」  背の低い方の男が、小馬鹿にしたように笑う。 「中将、そのようにあからさまに言うのはよくない」  もう一人がそれをたしなめる。会話からして二人は友人関係のようだ。いやあ、『中将』のお出ましかよ。貴族だな。 「おかしいか?」  俺は、不機嫌な気分を隠しもせずに答える。 「気分を害したなら謝ろう。毛皮の中でも|黒貂《ふるき》などは高価なものなのだが、もう流行ではないのでな。彼は思わず口にしてしまったのだ。許してやってほしい」  背の高い優男のほうが、すぐにフォローを入れた。  まあ、ここで喧嘩しても仕方ない。それより情報が欲しい。 「別に気にしてないけど、毛皮ってのはそんなにおかしいものなのか?」 「そうだな、もう着ている人は少ない。田舎者か変人か、と言われるのが嫌なら、あまり着ない方がいいだろう」  なるほど、毛皮ファッションは、馬鹿にされる対象なのか。で、背の低い男は「こいつ、なんてダサい恰好をしてるんだ」と馬鹿にしたわけだ。  でも宮様も着ていたな……あれも、『ダサいファッション』ということか。 「なるほど。忠告ありがとう。ついでにもう一つ聞かせてもらってもいいか?」 「なにかな?」 「ここの姫君のこと、知ってる?」  まあ、姫君はないんだけどね。 「もちろん。こちらの中将が興味を示していたのでね」  話を振られた男――背の低い方が、会話を引き継ぐように続ける。 「なんだ、君は上総宮の姫君を訪ねたのではないのか。ここの姫君は歌を送っても返事がないし、礼儀というものも知らないらしい。噂では酷い声の持ち主だと聞いた。今晩、屋敷を訪ねる算段だったが、やめたのだ」  あ、そう。お前の行動に興味なんか……  そこでふと、気が付いた。 「もしかしてあなたは、近衛の中将殿ですか?」  丁寧語に変えて探りを入れた。平安時代だと確か『近衛』は官職名だ。俺の親父は、それを俺につけやがったのだが。 「そうだとも」  うわ、ビンゴかよ。 「そうとも知らずに失礼しました。このような;下﨟(げろう)の為にお時間を使わせて申し訳ございません。私など気にせず先にお進みください」  俺はそういうと、仰々しく道を開けてみせる。二人はそれ以上俺に興味を示す様子もなく、「そうか」と言ってそのまま歩き出し、何事もなかったように屋敷の前を通り過ぎて行った。  経験は多そうだが、魂は『腐ってやがる』状態だな。ただ、もらえた情報には感謝しなければならないだろう。  あの宮様は、『上総宮の姫君』と呼ばれていて、歌は返さない、男にはつれない、酷い声の持ち主といううわさが広まっている。そして今日、『近衛の中将』が来る予定になっていた。  ……だから、俺を見て『中将殿ですか?』と尋ねたのか。  んー、確かに鼻にかかったようなハスキーさはあったが、聞きようによっては可愛らしい声だろうに。まあ、女性の声として聴けば、そういう印象を持つのかもしれない。  改めて彼の涙を思い出してみる。あれは、どういう涙だったのか。  やはり謎は解けそうになかった。

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