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十六夜の月に濡れて⑥
月の光に透かされて、宮様の睫毛がスパンコールを散りばめたように煌めいている。息をひそめ、その唇に俺の唇が合わさるのを待っているのだろう。
一体なぜ、こんな事態になってしまったのか。しかし、それを悠長に振り返っている暇はなさそうだ。ここでもし俺が宮様に声をかけ、そしてこの行為を中断させてしまったら、宮様はどう思うだろうか。
傷つく? 分からない。
顔を彼の顔に寄せてみる。宮様がすぅっと息を飲むのが分かった。
男同士、だよな……でも、目の前で俺を待つ青年は、そうすることになんら戸惑いも躊躇いも、そして疑問も感じていないようだった。
ただ自然に……彼の名前すら知らないというのに。
月の光は、髪や睫毛だけでなく、彼の肌にも反射しているようだ。白い、陶器のような肌。それは月の光のせいかもしれないが、ふと意識した瞬間、心臓の鼓動が速くなったような気がした。
一昨日、彼女にふられた。今日、ルースとキスをした。そして、今……
モテ期、と呼ぶには余りにも滑稽だ。二人とも美しいとは思うが、男だぞ。
己の置かれた状況に戸惑いを覚える。
と、宮様の目が開かれ、その奥から、吸い込まれるほどに透明な瞳が現れた。
碧い、月。不安の波が、その月を揺らしている。
この場を取り繕う言葉が必要だった。それを探そうとして、しかしそれをやめる。言葉が出てこない。いや、出てこないんじゃない。出せないのだ。
俺は、息を吐く方法を忘れてしまったようかのように、宮様の瞳に視線を捕えられてしまった。
美しい? 確かにそうだ。しかし、その美しさのせいではない。
俺の視線を――いや、俺の心を捕らえたのは、その碧い瞳の奥で激しく揺らめく、『渇望』だった。
彼は、渇いているのだ。
何に?
それは分からない。しかしその瞳の中では、まるで子供が決して届くことのない月に手を伸ばすように、『渇望の手』が何かを求めて揺れている。
それを見た瞬間、俺は心臓が何かに締め付けられるような痛みを感じた。
――彼は男だ。
俺を押しとどめようとする心の声に、別の声がかぶさる。
――渇きを癒してあげたい。
何の予兆もなく、その声は現れたのだ。俺の体が、その別の声に呼応する。俺は無意識に、彼の唇にそっと自分の唇を重ねた。俺をまっすぐに見つめていた碧い月のような瞳が、恥ずかしそうに、白い瞼の陰に隠れる。彼の唇が微かに震え、その振動が俺の意識をこの場へと引き戻した。
柔らかで少し冷たい感触が、俺の唇にふれている。そこでようやく、自分が何をしたのかに気が付いた。
体を離そうとしたが、彼の腕が俺の首に回される。そのまま俺は、彼と一緒に床へと倒れこんだ。
宮様の口が軽く開かれる。俺の唇に、唇とは別の、もっと柔らかくて温かいものが触れる。閉じられた扉が開くのを待つように、少しの戸惑いを見せながらも、それが俺の唇を撫でていく。
また、心臓に痛みが――いや、この痛みは、心臓じゃない。もっと奥の、その底にある『魂』が感じているのかもしれない。
理屈が、理性が、消え失せていく。俺の唇がひとりでに開き、宮様の舌をその中へと受け入れた。俺の口の中で、二つの舌が絡み合う。粘膜と粘膜、粘液と粘液が混ざり合い、溶け合っていく。
甘く、そしてどことなく切ない味が口の中に広がった後、宮様はゆっくりと俺から唇を離した。
また、碧い瞳が俺を見つめる。その中の渇望は、消えるどころか、さらに一層激しく揺らめいている。
月の光の下でもそれとわかるほどに頬を染め、宮様は、熱い吐息とともにゆっくりと言葉を紡いだ。
「我を……そなたのものにしても、よいぞ」
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