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誰そ彼と聞きし君②
結局、朝になってもルースは現れなかった。
目覚ましは八時にセットしてあった。目覚まし通りに起きたものの、今日は土曜日で大学は無い。つまり二日間は自由に行動できるのだ。
さすがに無計画はまずそうなので、行動計画を立てることにした。考えがてら、朝ごはんにシリアルを食べる。
しかしルースが現れる気配はない。
怒ったのかな? 何に? わかんねー……人外の気持ちは哲学をも超越しているな……
改めて昨日のことを思い出してみると、恥ずかしい気持ちが込み上げてくる。綺美に会うのに、俺は冷静でいられるだろうか。
考えてみれば、扉を閉じられるともう綺美とは会えなくなる。俺は弱みができてしまったことに気が付いた。向こうに住むわけにはいかない以上、ルースとの関係をうまく続けるしかない。
それってなんか、打算的だな。
そんな自分に気づき、嫌になる。ルースともっとゆっくり話をするんだった。
頭がうまく整理できず、ダイニングテーブルでぼうっとしていると、ほとんど使っていない砂糖の容器が目に入った。
ふと、ひらめきが俺の頭に降りてくる。
……これだ。
文化レベルが平安時代と一緒であるなら、砂糖は貴重品のはず。俺は近くのスーパーに行き、とりあえず上白糖を三袋買ってきた。
ビニールのままはまずいかなと思いつつ、そのまま布袋に入れ、自分の身支度も整えた。しばらく戻ってこなくても大丈夫なように、電気、火の元、戸締りも確認。
毛皮は着てくことにする。ルースが現れない以上、自分で動くしかない。クローゼットを開けると、そこには宇宙のような空間。まだ向こうにはつながっているようだ。
「ルース、いないのか?」
確認の意味で声を出してみたが反応は無い。
不安を感じつつも、俺は再び扉の向こうへと足を踏み入れる。昨日よりうまく目的地、つまり祠の扉を見つけることができた。
泳ぐように扉へと辿り着き、それをくぐると祠の中に出る。さらに外に出ると、辺りは暗くなりつつも西の空にはまだ光が残っていた。
月の光の下でしか見ていなかったが、明るい中で見た屋敷は想像以上に荒れ果てたものだった。
庭の手入れも全くといっていい程していなく、夕暮れに浮かぶ屋敷は、無人のあばら家だと言われてもそのまま信じてしまっただろう。
母屋の方へ向かうが、そういえば訪問時間を決めていなかった。本当は取次ぎをしてもらうべきなんだろうが、呼び鈴もないのにどうすればいいのか、さっぱり見当がつかない。
仕方なく、入っちゃえ形式で行くことにしたが、昨日とは違い、今日は御簾の中から声が聞こえた。
そこで声を掛けようと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
「我は嫌なるぞ」
「そうは申しましても、宮様、このように貧しいのでは生活もままなりません。使用人もほとんど逃げてしまって、残っているのは播磨と藤、桐の三人だけではありませんか」
綺美のぶっきらぼうな物言いの後に続いた声は、女性のものであるが、今まで聞いたことがない。
藤以外にも使用人がいるようだ。
「構わぬ」
「宮様は構わなくとも、他の者が困ります」
「ここはお父上が我に残してくれたものぞ。売らぬ。我はどこにも行かぬ」
「ならば、大納言様と」
「会わぬ」
「そのように頑なでは、そのうち誰もいなくなりますよ」
まるで言い捨てるかのように言葉を吐き出すと、声の主は立ち上がって御簾の外に出た。
俺は慌てて身を隠す。
着物を着た少しふくよかな女性が足早に階段を降りていく。そのまま歩いて門へ行くと、外に止めてあった牛車に乗って去っていった。
「宮様、よろしいんですか?」
「よい、捨て置け」
「でも」
「我はここを売りぞせぬ。どこにぞ行かぬ。誰にぞ会わぬ」
「えーっ? では、近衛様は?」
「ま、まあ、どうしてもと言うならば、コノエには会うてやっても、よいぞ」
「えーっと、んじゃあ、会ってもらえるかな?」
声をかけるタイミングが分からず、かといってこのまま盗み聞きしているのも悪いと思って声をかけてみた。
が、その結果はというと、甲高くも鼻にかかったハスキーな声と、かわいらしい少年の声、その二つが悲鳴となってシンクロし、直後にどったんばったんと何やらしている音がした後、漸く綺美の声で返事が返ってきた。
「い、いつからそこにおるや」
「あー、ごめん。驚かすつもりはなかったんだけど……ははは、さっきの女性が帰る前くらいから、かな」
そう答えると、御簾の横から藤が顔を出す。
「あっ、近衛様!」
藤とは昨日、帰り際に会っている分、少し気恥ずかしかったが、藤の声の調子はというと嬉しさに弾んだものだった。ああいうことがあったとしても、藤には歓迎されているようだ。
綺美と二人きりだとどういう顔をしていいか分からなかっただけに、藤の姿を見て、俺は少しほっとした。
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