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誰そ彼と聞きし君③

「お聞きになっていたのですか?」 「盗み聞きするつもりはなかったんだけど、ね」  誤魔化しがてら作り笑いをしてみるが、藤の言葉に俺を咎めるようなニュアンスは無い。きっと、御簾の向こうにいる綺美にわざと聞かせるように話をしているのだろう。  綺美の様子は外からでは分からないが、たぶん恥ずかしさに顔を真っ赤にしているにちがいない。そのまま沈黙してしまっていた。  まあ、俺でもそんな気分なのだから、『深窓の令嬢』として育てられた綺美はなおさら……なのかな? 「どうぞ、お上がりください」  藤が|廂《ひさし》に出て俺を迎え入れようとする。夕暮の明るさの中で見る藤は、幼さが残る、明るくて活発な男の子という感じだ。その衣装は白い水干に緋色の長袴という、古典の教科書でしかみたことのないような服だった。袴の色は少しくすんでいて、年季の入った感じが否めないことに悲哀を感じる。 「我はまだ会うと言うては……」  後ろから、消え入りそうな声が聞こえてきた。 「え? お会いにならないのですか?」  藤がすぐさま聞き返す。俺は、藤の表情に何やら意地悪気なものを見て取って、思わず笑いそうになった。 「今日は帰った方がいいかな?」  藤の意地悪に同調してみたのだが…… 「な! い、いや、ど、どうしてもと言うなら……お、会うてやっても、よい、ぞ」  綺美の声がどんどん小さくなっていく。あまりいじめるのはよそう。 「上がってもいい?」  御簾の奥へと声を掛けるが返事がない。藤が笑っているので、俺はサンダルを脱ぎ、屋敷へと上がった。  そのまま綺美のいる部屋に通されたが、今日は部屋の中に蝋燭がともされている。その灯りに照らされた綺美は、しかしその顔をすっぽりと扇子で隠していた。  夕暮れ時であるが、御簾が下りているとやはり中は暗い。  昨日綺美と愛し合った時のことを思い出すと、顔を合わすのが気恥ずかしい。俺が部屋の中に入ると、綺美は扇子から眼だけを出したが、俺と目が合うとまた扇子に隠れてしまった。 「そういえば、なんか、売るやら行くやら、いい感じの話じゃなかったけど」 「そうなんです。実は」 「藤。いらぬことは言わぬがよいぞ」  話を振った俺に答えようとする藤を、綺美が扇子の向こうからたしなめる。  まあ、屋敷の状況と合わせて考えると、屋敷を売って財に充てつつ、綺美は後見人の下に身を置く、みたいな話なのだろう。もしかしたら、早く結婚しろとも言われたのかもしれない。  相手をどうするつもりなのか……牛車で帰っていった女性は、綺美が実は男であることを知っているのだろうか。でも、そこは考えないでおくことにしよう。  さて、俺で役に立てるのか。とりあえず話を続けてみることにした。 「藤、壺かなんか、使っていないのはあるか?」 「はい? えー、|厨《くりや》にならあると思います」 「よし、じゃあ、その厨に連れてって。んで、宮様は少し待ってて」  |訝《いぶか》しげに扇子の上から、青みがかったオレンジ色に光を放つ瞳を出して綺美が俺を見つめている。俺はにっこりと微笑みかえし、そして藤に離れにあるという厨へと案内してもらった。 「あのー」  行きすがら、藤が恐る恐る声をかけてくる。 「どした?」 「厨に、その、もう一人いるのですが」 「ああ、使用人が他にもいるって」 「ええ、そうなんですけど」  藤が何か言いたげにしていたが、結局最後までごにょごにょと聞き取れない言葉しか言わない内に、厨についてしまった。 「お邪魔します」  軽いノリで厨に入る。中では子供が一人何かの作業していたが、反応する様子はなく、何事もなかったように淡々と作業を続けていた。 「あ、あの……」  声を掛けてみるが、俺の存在が全く意識に入ってないようだ。すると横で、藤が足でトントンと板張りの床を踏み鳴らす。その音に反応したかのように、その子は作業の手を止めた。  もう夕暮れなのではっきりとはわからないが、後姿を見る限り年齢や背格好は藤に近そうだ。藤と同じような服を着ていて、黒い垂れ髪が腰位まで伸びている。  その子がゆっくりと振り向く。そこに藤とそっくりな顔があった。

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