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誰そ彼と聞きし君⑥
その後、綺美が少し席を外すと言って立ち上がり、寝室の方へと消えてしまった。まるで暗黙の了解と言わんばかりに、藤もその後に続く。
トイレかな? と思ったりもしたが、まさか口にするわけにもいかないので、深く突っ込まずに見送った。
あの服装、つまり十二単だと、何をするにも一苦労だろう。暖房らしきものが火鉢しかない以上、厚着もやむを得ない。あれでは男性だとしても、用をするのに一人では困るだろう。ましてや、脱いだものを着直すとなると――
暗がりの中で合わせた綺美の体をふと思い出した。
明るい光の下で綺美を見ても、女性に見間違うほどである。夜ならばなおさらなのだが、それはあくまで顔だけのこと。やはり骨格は正直だ。
無意識に触ってしまっていたが、当然、『モノ』もついてたわけで……
明るい光の下で、彼の『モノ』を見ても、俺は今の気持ちのままでいられるだろうか。
そういえば、風呂……考えるのはよそう。
でも、嫌な臭いはしなかった。少し不思議だ。
きっと二人ともすぐには帰ってこないだろう。手持無沙汰のついでに、厨でもう一つ壺を借りて、残りの二袋を壺に入れてしまおうと考えた。屋敷に残す分と売る分。大量に売ると目立つだろうから、考えて持ってくる必要がありそうだ。
厨に行ってみる。だがもう誰もいなかった。辺りは暗くなっていて、手探りで壺を探してはみたものの、何が何だか判らないため、これでは探しようもない。
仕方なく立ち上がり、元の部屋に戻ろうとして、誰かにぶつかった。
よろける人影をとっさに抱える。腕にかかる重さは、綺美と比べても軽いものだった。日没後の淡い光の中、目に見えるシルエットは藤に近いものであり、たぶん桐だろうと予想する。
「ごめん」
分かるかどうかわからないが、謝罪の言葉を口にする。俺に抱きかかえられる形になった桐だったが、離れようとも抵抗しようともしない。
「大丈夫?」
かなり近い距離ではあるが、表情は読み取れない。どうしたものかと思った瞬間、返答に困る問いかけが、その小さい唇から発せられた。
「お前、誰?」
まあ、確かに名乗った覚えもなければ、藤が紹介してくれたわけでもないので、「お前、誰」と言われても仕方のないところだ。しかし、この態勢、つまり抱きかかえられている状態で聞くことではないような気がする。
それにしても、桐の言葉には全くと言っていいほど感情が入っていない。驚くとか、嫌がるとか、そういうものすら感じられなかった。
耳が聞こえないとは言っていたが、藤は言葉でも桐に話しかけていたし、とりあえず話をしてみようか。
俺は、桐を腕から解放すると、やや大きめの声で話しかけてみた。
「俺はコノエ。壺をもう一つ借りたいんだけど、ないかな?」
誰と訊かれたが、まさか自己同一性や存在理由を聞きたいわけじゃないだろう。名乗る身分も無いし。ということで名前と用事を伝えてみたのだが。
随分と暗くはなっているものの、俺の口が動いているくらいはわかるだろう。そう思ったのだが、桐は動く様子を全く見せず、ただこちらを見ているだけだった。
「えっと、壺を、もう一つ、借りれないかな?」
見えてないのかなと思いつつ、もう一度口をゆっくり大きく動かして話してみる。身振り手振りも加えてみた。
と、桐の手が伸び、俺の頭を後ろから抱えると、そのまま俺の頭を自分のほうへと近づける。そして横を向くと、俺の口を自分の耳の横に押し付けた。
「ちょ」
せっかく解放した桐をまた腕で押さえる。桐の体の華奢さが腕を通して伝わってきた。
「お前、誰?」
いや、この態勢で聞くことではないような。これじゃ、俺が襲っているか迫っているようにしか見えないんだけど。というか、男の子を襲う趣味は無い。
それとも、こうすれば聞こえるというのか?
なにか唇に違和感を感じる。唇が触れている桐の肌に、髪の毛以外の、少年の肌にしては妙にパリパリとしている硬さを感じた。
その硬さを気にしつつも、とりあえずもう一度声を出してみる。
「コノエ! コ、ノ、エ!」
すると桐は、俺の頭を自分から離し、俺の方へ顔を向けた。
「コ、ノ、エ」
「そうそう。壺ない?」
俺は首を縦に振ると、もう一度壺のことを聞いた。あ、でも、これじゃ聞こえないか……耳のそばなら聞こえるってことか? でもそれじゃあ、耳の穴のところに口を持ってくるはず。
もしかしたら響きと口の動きを肌で感じ分けているのだろうか。
「コノエ」
「お、おう」
『壺』のことをどう伝えようか……そう思っていたら、彼の手が俺の頭を離れ、首元に添えられる。
そのまま桐は、俺の首を手で絞めた。
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