48 / 110
セイレーンの歌声⑤
いつのまにか寝ていたようだ。俺の横で軽い寝息を立てて、綺美が眠っている。なにか安心したような表情だ。昨日の激しい様子が嘘のようだった。
日の光が漏れ入っている。明るい光の下で見る綺美は、寝顔も想像以上に美しかった。極めて中性的な顔立ちではあるが、それにしても破壊力満点である。男性の格好をしたらさぞかし女性にもてるだろう。なんてうらやましい。
いや、見目だけなら、男性にももてそうだ。そう考えると、俺が綺美を好きになってしまったとしても不思議じゃないかもしれない。
いや、そう考えること自体、俺の感覚がおかしくなってるのか。
外を見ると、帳の中からでも、もう随分と空が明るくなっているのが分かる。
寝所は母屋の北側に隣接している。離れは母屋の西にあり、あとは俺がこの世界に来た扉のある持仏堂があるだけだ。最初の印象よりは小さい屋敷のようだ。
もう一度視線を戻すと、布団代わりの衣から目だけを出して、綺美が俺を見ていた。その瞳は、夜に見たときに感じたよりもずっと深いサファイアンブルーの色をしている。眼の青さと肌の白さ、そして髪の毛の黒さの組み合わせが、彫りのやや深い顔立ちと相まって、とても異国情緒にあふれていた。
この世界でなければ女性として育てられてはいなかっただろうが、もし俺の世界に女性として存在していたら、綺美は俺なんかには見向きもしなかったかもしれない。
そう考えるのは、卑屈すぎるだろうか。
綺美を連れだって大学のキャンパスを歩いたら、みんな驚くことだろうな。
「おはよう」
綺美にそう声をかける。すると綺美は、俺を不思議そうに見つめた。
「『おはよう』とは何ぞ?」
「お早い目覚めですね、という朝の挨拶だよ」
「ふむ、そうか。コノエ、おはようなるぞ」
妙に真剣な様子で挨拶をする綺美を見て、ちょっと笑ってしまった。こういうところは、なんてかわいいんだろうと思ってしまう。明るいところで見てみると、明らかに俺より年下だった。
「何ゆえ笑うや」
「ごめんごめん。綺美が余りにかわいかったから。『らうたし』ってやつだね」
「さような恥ずかし気なる言葉、我は聞いたことも無きに」
綺美はそう言いながら衣で顔を隠してしまった。
「隠れたら、顔が見えないよ」
綺美が、恐る恐る目だけを出す。
「今は明るきゆえ」
「さっきまでさんざん綺美の顔を見てたから、隠れてももう遅いと思うけど」
「をこなるぞ」
そう言って、綺美はまた衣に隠れてしまった。
おこ? なんて意味だろう。分からない。
激おこ、みたいな?
「綺美、もう一度顔を見せてくれないかな」
綺美は暫く躊躇していたが、その内ゆっくりと衣から顔を出してきた。空気の冷たさのせいなのか、恥ずかしさのせいなのか、頬と鼻が少し赤くなっている。
「我を醜いとは、思わぬや?」
綺美は恥ずかしさで俺を見ることができないようだ。目線を横に向けて、恐る恐る聞いてくる。
「とても綺麗だ。かぐや姫にも勝てるよ」
「その女子は誰ぞ」
とたんに綺美が睨むような視線を向けてきた。
こわい、こわい。
「知らないの?」
竹取物語はこの世界にはないのか、それとも綺美が知らないだけなのか。
俺は竹から生まれて月に帰っていったかぐや姫の話を、あらすじだけ簡単に綺美に教えてあげた。
「ふむ。かぐや姫なる者は、この世のものではないということにや?」
「まあ、そうなるね」
そういや、かぐや姫は異世界からの逆転移ものだな。それが千年以上前に作られたというのが驚きだ。
「そなたも、かぐや姫と同じか?」
え?
まさかそうくるとは思っていなかった。俺の驚いた様子が綺美に気付かれただろうか。綺美は、真剣な眼差しで俺を見ていた。冗談で言った言葉ではないようだ。
かぐや姫の話をしたとしても、どうやったらそういう発想が出てくるのだろう。いや、まあ、図星なのだけれど。
暫く綺美の眼を見つめる。その話をしても問題は無いのだろうか。ルースはその点については何も言ってなかったな。
「もし、俺がこの世のものじゃなかったら、綺美はどうする?」
俺の問いかけに、綺美はふふんと澄ました顔で答える。
「どうもせぬぞ。鬼であろうが、物の怪であろうが、コノエはコノエであるゆえ」
「俺が何者か、知りたい?」
「べ、別に言いたくなければ言わぬでもよいぞ。知りたいわけではないぞ。さすがに夫となる殿方の正体くらいは知っておくべきと思うただけで、いや、別にそのようなことは気にしてはおらぬのだが」
などと、意味不明なことを口にしている。
……夫?
「夫?」
「い、嫌か?」
世界が明日終わるかもしれないような表情で、綺美が尋ねた。
「いやいや、じゃなくて、嫌じゃないよ。でも、急にそんな話が出てきたのでびっくりしただけだよ」
「急になどでは無いぞ。もうコノエが来て二晩になるゆえ、今宵には」
「今宵には?」
「三日夜の餅ぞ」
不可思議用語が登場してきた。三日月にでも関係があるのだろうか。でも明日は十八夜の月でしかない。
パソコンがあればすぐに調べるところだが、ない。俺は、スマホも持たない主義だから、オッケー○ーグルという風に検索するわけにもいかない。
つまり、訊くしかないってことだ。
「なにそれ?」
「契りの儀式ぞ。コノエはそのようなことも知らぬや」
呆れた表情を見せた後、綺美は笑い出した。相変わらず笑いのツボはよくわからないが、綺美の笑顔を初めて見た、この幸せを誰かに伝えたい、誰に伝えようか、いや、伝える人がいない。
俺の視線に気づいた綺美は、真っ赤になってまた衣に隠れてしまった。
「コノエのせいぞ。我を可笑しがらせるとは、あまりに酷い仕打ち」
いや、そんなつもりはないのだけれど。貴方が勝手に笑ったんですよ。
そういえば古典で習ったような気がしてきた。三日通うと結婚、みたいな。芸能人もびっくりなスピード婚じゃないか。ってか、ますますここは平安時代の日本にしか思えなくなってきた。ここは日本でも平安時代でもないという設定を忘れてしまいそうだ。
この世界の色々を調べなきゃいけないが、屋敷の中だけでは情報が少なすぎる。
「綺美は俺と結婚して、それでいいのかい?」
再び衣から顔を出す綺美。ワニワ〇パニックじゃあるまいし……
「……よいぞ」
別にどうしてもというのならしてあげないこともない、みたいないつもの回りくどい返事を予想していたのだが、返事はその一言で終わった。
ただ、視線は明後日の方向を向いている。
俺はそんな綺美をこの上なく愛しく感じた。
おでこに軽くキスをする。
「触れてよいとは、言うておらぬに」
思い出したかように綺美は不機嫌な表情を浮かべ、ツンキャラへと戻った。
それには微笑みだけで返す。
いつかまた、無かったことにされるかもしれないその言葉。でも、精一杯愛した結果ならば、それならそれで後悔は無いだろう。ああしておけばよかった、そう思うのはもう勘弁だ。
よし、俺は愛に生きるぞ!……ちょっとまて、恋と愛って、何がどう違うんだろう。恋に生きる? 愛に生きる?
まあ、いいか。とりあえず今度考えよう。こまけーことは、以下略だ。
それにしても、結婚か……人生の墓場へようこそ、だな。
っと、待てよ。
男同士って、結婚できるのか?
ともだちにシェアしよう!