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大納言を訪ねて約三里②
とりあえず、砂糖を買ってもらう交渉をするために大納言の屋敷へ行くことになった。名目上は綺美から大納言への使いになっている。
ところが、だ。綺美が形式的な手紙を書くことすら最初拒否していたので、出発するのに随分時間がかかってしまった。
待っている間、桐が顔を出さないかヒヤヒヤしたが、それとなく藤に聞いてみたところ、桐が厨と離れからでることはほとんどないらしい。
播磨という女性の方は、綺美の着衣を手伝い終わると、すぐに離れへと戻っていった。播磨はその間中ずっと無言だったので、どういう女性なのか未だに全く分からない。
出発にあたって大納言の屋敷への道筋を聞いたのだが、地理が全く分からないので、ちんぷんかんぷんだった。そこで、藤が同行してくれることになった。
「屋敷の方は大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫ですよ。いつも買い出しは私が行ってますし」
「そういや播磨さんは随分無口だな」
「彼女……言葉が話せなくて」
「そ、そうなのか。いや、なんか、悪かった」
また地雷を踏んでしまったか。人にはいろいろ事情はあるものだ。それを聞くのは失礼というものだろう。それにしても、事情を抱えた人ばかりだな。あの屋敷は、色々聞きだすには地雷原すぎる。
そう思って気が付いた。なにも理由がない人は、もうあの屋敷から出て行った後なのだ、と。
屋敷には綺美を入れて四人しかいない。そりゃ、あそこまで荒れるのも仕方ないだろうが、あれでは浮浪者がいつの間にか住み着いていても全然わからないだろう。俺みたいな……
貴族は午前中が朝廷での仕事の時間だそうだ。昼から自由。なんて優良企業なんだろう。俺もそこに就職させてくれ。
なので、昼辺りに大納言の屋敷に行き、仕事から帰ってくるところを捕まえる段取りにした。あと二時間くらいはあるだろうか、それまで藤の案内で散策をすることになった。
「近衛様は本当に何も知らないのですね」
「だから道に迷って、道を聞きに寄ったって言ったじゃないか」
「いや、道だけではなくてですね……」
綺美の屋敷周辺はあまり人通りもなく寂しげであったが、しばらく歩きやや大きな川にかかる橋を渡ると、だんだんと人通りが増えてきた。町の中心地へと向かっているようだ。
時折すれ違う中に、こちらをじろじろ見る人が何人かいるのに気が付く。
「なあ、もしかして、俺、目立つ?」
「ええ、まあ、そう、ですね」
言いにくそうではあるものの、藤は全く否定しなかった。
「まずい?」
「まあ、いいんじゃないですか? 案外気にする人は少ないですよ。どこかの修験者かと思うでしょう」
「修験者に見えるの?」
修験者とは、山にこもって修行する山伏のことだ。
「そうですね。なんか、天狗みたいな」
「天狗? あの、鼻の長い?」
「ええ」
天狗はここにもいるのか。いや、いるというか、話があるというか。
鬼とか天狗とか、実は渡来した西洋人ではないかと言われている。綺美のようなハーフがいるのだから、他に西洋人っぽい人がいておかしくはない。そんな類の話がこの世界にも残っているのだろう。
そういえば、藤は相変わらず俺のことを『近衛の少将』だと思っているのだろうか。騙したわけではないが、誤解されたままほっておくのも悪いように思える。
「なあ、藤。やっぱり、宮様の結婚相手は、貴族でないとだめなんだよな」
「まあ、身分的にはそうですね」
やっぱ、俺じゃまずいんだろうな。綺美は平気そうだが、世間体ってものがあると思う。
少し考え込んでしまった俺の心のうちを知ってか知らずか、藤はなおも話を続けた。
「まあでも、宮様がお決めになることですので」
藤は『宮様信者』のようだ。
「なあ……俺、実は、少将でもなんでもないぞ」
「ええ、わかってますよ」
「げっ、マジかよ!」
「そりゃ……近衛様みたいな貴族、いませんから」
藤は笑いながら、少し足早に俺より前に出た。水干を着て下げ角髪を結ったその後ろ姿に、訊いてみる。
「俺なんかが、宮様の相手でいいのか?」
藤がつと歩みを止めた。
「宮様が、貴方を求めているからそれでいいのです。そもそも、宮様を娶ろうという方がいるとすれば、それがどういう目的なのか、想像がつくというものです」
その、およそ年齢とは不釣り合いな藤の言葉に、俺は少し背筋に冷たさを感じた。まだ十代だろうに、この子もいろいろ背負ってきたのだろうか。
どう隠そうが宮様は男である。それを分かった上で結婚しようという人間がいるとすれば、そういう趣味を持つ者か、そうでないなら、宮様の身分を利用しようとする輩、なのだろう。
「父親は一体なぜ、宮様を女性として育てたんだ?」
その質問に、藤がゆっくりと俺の方へと振り返る。その目は、もう笑っていなかった。
「存じません」
そこでまた、ぞくっとした悪寒を背中に感じる。しかし、そんな言葉はなかったかように、藤はすぐににっこりとした笑顔に戻り、また歩き出した。
なんだろう、この子には底の知れない怖さのようなものを感じるが、それでいて、綺美とは違った意味で気を使わないで話ができる存在のようにも感じられる。
何もかもお見通しであるようなところが、逆に気を使わなくて済む原因なのだろう。
「藤、お前いくつ?」
「藤ですか? 十二ですよ」
想像以上に若かった。
「若いな。もっと大人かと思ったよ」
「でも、藤もそろそろ元服の時期ですし、大人ですよ。もし藤が女性なら、結婚の話もくるような年齢です」
いやいや、なんだかこの世界の人は、生き急ぎ過ぎているような気がする。
「あれ? 宮様っていくつ?」
「十八、です、ね」
女性ならば『行き遅れ』なのだろうが、宮様は男だしなぁ。
ほんと、父親は何を考えていたのだろう。謎だ。
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