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大納言を訪ねて約三里④
「ちょ、ちょっと落ち着いて」
急に態度が変わった大納言に、俺は慌てて声をかけた。
冷静さを失った自分に気づいたのか、大納言はバツが悪そうに腕を引っ込め、俺に無礼をわびる。
「すまない。見苦しいところを見せたようだ」
「い、いえ、別に気にはしませんが、なにか事情が?」
大納言はしばらく考え込んでいた。そりゃ、俺の素性もはっきりと分からない状況だ。道楽がてら俺と藤を牛車に載せたのだろうが、何かしらの事情を話すほどこちらを信用しているわけではないだろう。
ある意味、藤を連れて出てきたのは正解だった。怪しさマックスの俺だけならここまでにすらならなかったかもしれない。
「すみません、立ち入った話でしたね。これ、姫君からの手紙です。渡しておきます」
わざと帰る素振りをしてみせた。
相手がこちらの話に食いついているのは間違いない。ここは駆け引きだ。相手の足元を見るような行為は気が引けたが、こちらも綺美たちの生活がかかっている。
「ま、待ってくれ。君、砂糖は本当にあるのか?」
やはり脈ありだった。俺は予め用意しておいた和紙に包んだ砂糖を、もったいぶったようにポケットから取り出し、大納言に渡す。
大納言は俺を暫く見ていたが、おもむろに紙を開き、包んである白い粉を見た。
「む? これは塩ではないか?」
「舐めてみたらわかります」
指につけ、大納言が砂糖を舐める。とたんに、さっき以上の驚きの表情を見せた。
「白い砂糖……そんなものがあるのか。君は一体……」
たぶん、この世界で砂糖と言えば黒糖なのだろう。白くするには精製が必要だ。
もう少し派手に売買交渉をしたかったのだが、今は『いや、ごめんなさい、それスーパーで買ってきたものです』とか、『天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!』などと、冗談っぽく言う雰囲気ではなさそうだ。
「単なる、修験者ですよ」
できるだけ超然を装おう。何かあると思わせる。これが交渉だ……って、考えてみれば、何かありまくりじゃないか、俺。
普通で十分、お釣りがきそうだ。
大納言は、信じられないという眼で俺を見ている。
「その砂糖、どれくらいあるのだろうか」
「これくらいの壺、一つ分です」
俺は手で大きさを伝えた。やや小振りの壺だったはず。いくらで買ってくれるだろうか。
「分かった。私に譲ってくれないだろうか。お礼は十二分にしよう」
十二分……そこ、もうちょっと具体的にお願いしたかったな……後の交渉ということか。
「分かりました。今は持ってないので、また後程、お届けに参ります」
「それには及ばない。馬を出そう」
そう言うと大納言は、お付きの男に馬を出すように命じた。周囲が慌ただしく動き始める。
「随分、急いでるんですね」
思わずそう聞いた俺を、大納言は真剣な表情で見返す。
「妻が……病気なんだ」
そう来たか。
正直、この展開はあまり好ましくないものだ。この世界の人々の認識は、つまり『砂糖は薬である』というものだろう。それ自体驚くものではない。問題は……俺は『そうでない』と知っていることだ。高く売りつけようとおもっていたのだが、少し気が引ける。
大納言のお付きの者が馬を引いてくる。サラブレッドのような馬を想像していた俺の前に現れたのは、しかし、ポニーのやや大きいものだった。少し拍子抜けする。
藤には歩いて帰るよう伝え、大納言が操る馬に二人で乗った。鞍はあるが、つかまる場所はない。大納言の腰に手を回ししっかりとつかまった。意外に筋肉質だ。
二人も乗って馬の方は大丈夫なのかと心配したのだが、馬は二人を軽々乗せて小走りで上総宮邸まで走る。木曽馬に近いものだろうか、パワーのある馬だ。
すぐにお尻が痛くなったが、その痛さが我慢できなくなったころ、屋敷に到着した。助かったと安堵する暇もなく、中に入る。
屋敷では綺美が、絵巻物のようなものを広げて読みふけっていた。俺を見ると、慌てて扇子で顔を隠し、どう見ても装っている風にしか見えない不機嫌さを顔に出しながら、「別にコノエの帰りを待っておったわけではないぞ」と声高らかに言っていたが、すぐにまた俺が出かけると知ると、「もう戻ってこなくともよい」と言いながら本当に不機嫌になって、また絵巻物を読む体勢に戻ってしまった。
俺は綺美の機嫌を取りつつも砂糖の入った壺を急いで受け取り、大納言のもとへと戻る。門の外で待っていた彼は、相変わらず何かを考えている様子だった。
「その女性を、随分と愛しているんですね」
彼は、病気になった妻のことを心配しているのだろう。
「ああ、勿論だとも。たとえ、彼女が身分の低い出の側室だとしても、ね。今からそこに向かう。一刻も早く届けたい。君にも付き合ってもらうよ」
ここに来る道中、そのことはすでに言われていた。砂糖を渡せば終わりだと思っていた俺にはその理由はわからなかったのだが、彼の頼みは有無を言わせぬ調子だったので、俺は無理に反対はしなかった。
行先は大納言の屋敷ではなく、その側室のいる屋敷なのだろう。
来た時同様、馬は力強く走った。大納言の屋敷があるだろう方向とは違う方へ。俺はかける言葉も見つからないまま、ただ大納言の背中につかまっていた。
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