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死にゆく者の匂い②
治るかどうか。
寝床に横たわる女性と俺とを交互に見つめる男、大納言にとってはそれが重要なことだろう。しかし、俺にとってみれば、それは、こう言い換えることができる。
死にゆく運命は、可避なのか、それとも不可避なのか。
しかし、それを知っているだろうルースは今ここには居ない。
――ルース!
何回か心の中で叫んでみるが、何か返答があるわけではなかった。
さすがにこの場で声に出してルースを呼ぶわけにはいかないし、声がルースの耳に届くかどうかもわからない。
ルースに訊くことができない以上、とりあえず、思いつく限りのことをやってみるしかないだろう。加持祈祷で『悪霊退散!』と叫ぶよりかはまだマシにちがいなかった。
かなり気になること、それは、目の前の女性にはほとんど衣がかけられておらず、かといって身に付けている衣も、どうみても一枚きりだということだ。
「とりあえず、彼女を温かくしてあげてください。火鉢か何か、暖を取るものはありますか。あと、汗を拭いてあげて、衣を着せて、上からも衣をかけて」
これでは、単なる風邪だとしても、治るものも治らない。そう思って、周りにいた使用人の女性たちに声をかけた。
「いけません」
その俺の指示に割って入る女性の声。その主が俺の前に進み出てきた。
「相闍梨 様は、悪霊を追い出すためにしばらくこのままでと仰りました。動かしてはなりません」
声の主は、もう初老に手が届きそうな女性であった。この声、どこかで聞いたことがある。
「命婦、それは本当か」
大納言がその女性に確認する。
「はい、真にございます」
みょうぶ。どこで聞いた名だったか。この声、そういえば、綺美の屋敷に来ていた女性の声に似ている。
「でも、このままほっといたら、死にますよ」
悪霊退散がデフォですか、まったく。
高熱が出ている中、この寒い時期に衣一枚でいるとか、正気の沙汰ではなかった。何の病気かはわからないにしても、これでは肺炎一直線だ。現代でも死因のトップ3に入るもの。いわんやこの時代をや、である。
一体その『相闍梨』という人がどんな人なのかは知らないが、しかし命婦の言葉で大納言はまた考え込んでしまった。それほど影響力のある人物なのだろうか。
これはダメだ。
俺はそう悟り、帳を出る。すると周りの女性たちが、ささと俺から離れた。『悪霊』に憑りつかれたかもしれない人間には寄るなということだろう。
「すみません、厨をお借りできますか」
誰に向けるわけでなく、周囲全体に聞こえるようにやや大きく声を出した。
「何をするのだ?」
大納言が考え込んだ表情のまま俺に尋ねる。
「薬を作ります。飲み水と塩と、あと何か酸っぱい果物はありますか」
もちろん薬ではないのだが、このままでは床に横たわる女性が可哀想すぎる。せめて水分補給となるものを作ってあげようと思った。
側仕えの女性たちは返事をしていいものかお互い顔を見合わせていたが、大納言が「用意してあげなさい」と一言言うと、俺を厨へと案内してくれる。それについては命婦は異を唱えなかった。
水差しに水を入れ、持ってきた砂糖と用意されたミカンのようなものの汁を加える。余り濃くするのは反対にのどが渇くだろう。少しずつ入れてかき混ぜた後、味を見る。丁度いいくらいになったところで塩を少しだけ足してさらにかき混ぜた。
なんちゃってスポーツドリンクの完成だ。高熱には水分補給が大切である。それくらいしか知らないけど。
水差しと湯呑を持って、母屋へと戻った。
「これを、あの方に飲ませてあげてください」
「これは?」
「熱が高いときは水分を取らなければいけません。飲みやすいように味をつけています」
「これを飲めば治るのか?」
そう訊く大納言に対し、俺は首を振った。
「あくまで仮の対処です。治るというものじゃ……」
大納言は少し落胆した表情を見せたが、水差しの中の液体には興味を示している。
「飲んでみますか?」
「大丈夫なのか?」
「ええ」
そういうと俺は湯呑に作ったドリンクを入れ、大納言に渡す。大納言は匂いを嗅いだ後、湯呑に口を付けた。
「うまい」
少し驚いたように俺を見る。
「砂糖と果物の汁、あとは塩を少々加えたものです」
「ほう」
気に入ったのか、大納言はドリンクを飲み干す。
「姫君はほとんど何も口にしていないそうだ。これなら飲んでくれるかもしれない」
そういうと大納言は湯呑にドリンクをついで、帳の中へと入っていった。
「いけませぬ」
周りの女性たちは、大納言が悪霊の元へと突撃するのを止めようとしたが、大納言の構わぬという鋭い一言で黙ってしまった。
「姫君、これを」
寝床から女性の体を起こすと、大納言は女性の口元へ湯呑を持っていき、彼女にドリンクを飲ませる。
「……おいしい」
今にも消えそうなか弱い声で、死の匂いを放ち続ける女性がそうつぶやいた。続けてニ口、三口と飲み続ける。そして女性の口元に少し笑みが現れた。
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