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人として、死神として②

 この場が落ち着いた頃に大納言と、姫君についての話をした。  なんでも、丹波にいた没落貴族の娘を哀れと思って会ってみたが、彼女の純真さに打たれ惚れたそうだ。彼女のことを、丹波の君と呼んでいた。  この人は綺美にも手紙を送ったくらいだから、『没落マニア』なのだろうかとも思ったのだが、他の二人の妻はそうではないらしい。  葬儀の準備やら何やらで忙しくなりそうなのを見て、俺は丹波の君の屋敷を後にすることにした。 「また屋敷の方へ来てくれないか。私は源光明(みなもとの みつあきら)だ。源大納言の友人だと言えば、いつでも通すように言っておこう」  そんな名前だったんだ、と思いながら、しかし言葉通りに受け取るわけにはいかない。 「そんな、畏れ多いですよ」 「嫌かい? 遠慮することはない。私にも打算的な思惑がないではないからね。こう見えて色々敵が多くてね。君のように不思議な力を持つ人物が味方にいると心強い。それに、政争に関係のない気兼ねなく話せる友人がいるというのも貴重なことなのだよ。姫君の話も聞かせてほしい」 「素性の怪しい修験者ですよ?」 「ははは、上等だ。人を見る目はあると思っている」  コネクションは多い方がいいに決まっている。ここはお言葉に甘えておこう。 「光栄です。わかりました。俺は、平近衛(たいら このえ)です」 「ほお、君は平氏なのか。先祖はどの皇族かな」 「さあ、わかりません。祖父からも父からも、そんな話は聞きませんでした」  帰り際、俺は大納言とそんな会話をした。  土地勘がないので仕方なく、丹波の君邸から綺美の屋敷まで、大納言の家来が操る馬で送ってもらったが、屋敷についた時にはもう黄昏時になっていた。 「まあ、近衛様、お帰りなさいませ!」  藤の元気な声が出迎えてくれた。俺が一向に帰ってこないので、と説明した藤の話が本当なのかはわからないが、綺美の不機嫌さがマックスになっていたらしい。  それを聞いて、俺は気が重くなった。これからする話を綺美は納得してくれるだろうか。 「帰る? なにゆえぞ!」  俺の顔を見た時は、相変わらず扇子で顔を隠しながら、「別にコノエの帰りを待っておったわけではないぞ」と声高らかに言っていたが、庭に立ったまま屋敷に入ることなく『家』に帰ると伝えた俺の言葉を聞いて、今度は「もう戻ってこなくともよいぞ」とは言わず、綺美は我を忘れたように扇子を投げ捨てて、文字通り世界が終わりそうな声を上げた。 「今日は、三日夜なのにですか?」  藤も、綺美に同調するように声を上げる。  三日目の晩には結婚の儀式。いや、それは分かっていますよ。分かってますとも。  ただ、それを聞いた綺美は少し冷静さを取り戻したように見えた。 「我が『もう戻ってこなくともよい』などと言ったゆえや?」  が、気のせいだったようだ。確かに、綺美の言葉だけを聞けば冷静そのものだったが、目はそうではなかった。  渇望  彼の碧眼に、あの深淵から伸びてくる手のような、渇望が現れた。それを見て俺は、胸が締め付けられるような愛おしさを感じる。  その反面、ふと頭によぎることがあった。  彼の『渇き』は、俺を求めてのものなのだろうか。それとも、他のものでも代用が効くのだろうか。 「違うよ。そうじゃない。ちゃんと戻ってくる」  俺は今日あった出来事、人の死に立ち会ったことを話した。もちろんルースの話はしなかったが。  それを聞いた藤は「まあ、そんなことが」と驚いた様子で口を押えていた。  一方、綺美はといえば、その碧眼から『渇望』が消え失せ、その代わりに一気に不機嫌になってしまう。 「いや、だから、『穢れ』を落としてこないと、ね?」  丹波の姫君の死因、詳しくはわからないにしても明らかに病死だ。流行り病、例えばインフルエンザでも、この世界ではそれにかかると死に一直線と言える。感染を警戒するに越したことはないのだ。というか、俺って歩くバイオテロだな、これじゃ……  しばらくは綺美の元から離れておくべきだ。  ルースに詳しいことを聞かなければとは思うが、それは付け足しであって、別にルースに会うために戻るわけじゃないぞ。ルースが心配だとか、ましてや浮気心とかじゃ絶対にないぞ。男には興味はない! 綺美以外!  これはねリスク管理の、隔離ですよ、隔離。自宅隔離ってやつ。だから、俺の言葉に嘘はない!  嘘はない、嘘はなかった、はずだ……なのに、それを聞いた綺美は一言、 「彼の男ぞかし」  とつぶやいて扇子を拾い、ぷいと顔をそむけると、寝所へと出て行ってしまった。  ちょ、ちょっと待って? 『あの男ね』って、どの男?  な、なあ、どの男だよ!  しかし、綺美が何と言おうが、感染リスクは現実のものとしてあるのだ。  戻ってきたときに、綺美の機嫌が直ることを祈りつつ、俺は藤に「しばらくよろしくな」と言って、『扉』のある持仏堂へと向かった。

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