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人として、死神として③

 なんだか随分と長い間綺美の世界にいたと感じるが、実際は一晩過ごしただけに過ぎない。でも、この宇宙のような空間も久しぶりな感じがするほど、昨日からいろいろ有り過ぎたようだ。  持仏堂の扉を開ける時には、相変わらず『自分の世界に戻る扉』が閉じられているのではないかという不安があったが、それはルースが何を考えているのかまだつかめていないからだろう。  魂集めだけではない。あの相闍梨や命婦、それらについてもいろいろ聞かなくてはならない。  なんとなく道楽でルースの手伝いとやらをするには、早くも限界が来たようだった。  ただ、この不思議空間に入ってもルースが現れる様子はない。 「どういうことだよ」  自然と口から不平が出るのも、もはや『放置プレイ』の域を超えているからに他ならなかった。  この場所から『宇宙空間』をある程度進めば、あのルースの『城』につくかもしれないが、そこにルースがいる保証もなければ、無事たどり着いて帰ってこれる自信もさすがにない。この空間で迷子になるのはごめんだ。 「家に帰るか」  そう思った時、ふと鼻を刺激する芳香の変化に気づいた。  地上にいる生物が死を迎えた後に等しく還っていく土、そしてそれを養分として再び生命の環の中へと送り出す木。その匂いを強く感じたのだ。  いる。  目には見えない向こう側に、ルースの気配を感じる。この匂い、ある特定の方向から漂ってきているようだ。 「ルース!」  相闍梨にやられかけた時、ルースは助けに来てくれた。それなのに、なぜ俺の前に姿を現さないのかは分からない。ただ、あの時の口調からは俺への負の感情は感じられなかった。それどころか、正の感情しかなかったように思える。  そういえば、ルースが口にした『リュビームイ』って、なんだろう。俺のことをそう呼んでいたが……  少し待ってはみたが、ルースが俺の声に応じる様子がない。その一方で、漂ってくる匂いが少し変化したことに気付いた。  土の香りが、少し濃くなったような。  その匂いの中に、ふとあるイメージを思い浮かべる。俺を誘うというより、なにか救いを求めるような叫び声。    しばらく考えた後、俺はルースを探すことに決めた。  以前、一度だけ『城』に行った時のことを思い出してみる。確か、一分も移動していなかったはずだ。決して遠いという距離ではない、かも。  人間の鼻は意外と性能がいい。俺は自分の鼻を信じて、何もない空間を蹴り、『宇宙』へと飛び出した。  硬い液体がまとわりつく感じ。体に意識を向けると、停止する。ブレーキの掛け方が分かっていれば、怖いものは無い。帰りのことは考えず、もう一度空間を蹴った。  まるでプールを歩いて移動するような感じだが、前に進めてはいる。大丈夫だ。  時々立ち止まり匂いをたどる。土の匂いはどんどん濃くなっているが、未だに『城』は見えない。このまま、行くことも帰ることもできなくなったらどうするか。もちろんその不安は大いにある。  が、ルースを探すのを止めようとは思わなかった。  ルースがいなければ、俺はこの四日間を部屋に閉じこもったまま意味もなく過ごしたことだろう。  ルースがいたから、俺はまだ人生を前に進んでいる。  ルースがいなければ、相闍梨にやられていたかもしれない。  ルースがいたから、俺はまだ生きている。 「ルース、どこにいるんだよ!」  ルースは俺を見ているのだろうか。見ているなら何を思っているのだろうか。  単に忙しいだけで俺の前に姿を見せてないのなら、なぜあの、彼が『城』と呼ぶ何もない部屋にいるのか。  『城』にルースがいることを、俺は確信していた。それでもルースは俺の前に現れない。  俺から逃げている?  まさかな。でも、助けに来てくれた時でも、俺の顔を見ようともしなかった。会いたくない何かがあるのか?  そこでふと、あることを思いついた。  このまま、俺が迷子になるまで真っ直ぐ進んだら、ルースはどうするだろうか。  実は何もなくてただ俺をからかっているだけなら、「キミは馬鹿か?」とでも言いながら助けに来てくれるかもしれない。  でも、本当に俺から逃げているなら?  なんだかんだ言って、俺の部屋の扉からはかなり離れてしまっている。今更戻るにしてもどうせ不安いっぱいで彷徨うことになるだろう。  ならば。  俺は匂いが漂ってくる方向に背を向けると、ゆっくりとかがんだ。  意識を体から放し、とりあえず目についた光点に向ける。  あそこまで、飛んでけ!  力いっぱい足を伸ばそうとしたその時、何者かに俺は後ろから力いっぱい抱きしめられた。  鼻腔いっぱいに広がる土と木の匂い。なぜ死の匂いがルースの匂いと一緒なのか、そう思わなくはないが、俺にとっては不思議と安らぎを感じるような良い匂いだった。

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